Episode 12 孤立無援

61・誰かを救うなど、君には出来ない

『自分のしたことを後悔してないからな』――などと言っておきながら、ジュンヤは自分の行動に納得できていなかった。

 リーの言葉に操られるようにして、エスターをビルに連れてきたというのに、達成感もない。古い日本の武器だと渡された刀を振り回し、自分の母親と仲間を脅したことも、刃を突き立ててエスターを誘拐まがいに連れだしたのも、全てはあの恐ろしい科学者からエスターを救うためだと信じていたのに。

 ビルに来てわかったのは、ティン・リーが思ったよりもずっと恐ろしい人物だということ。護衛も付けずどんどん走っていくタイプに思っていたが、そんなことはない。彼の側にはいつも特殊任務隊の誰かか、もしくは秘書のローズマリーがいて、彼を守っている。彼の行動は全て計算されていて、全てに理由がある。恐らく自分を政府側に引き寄せたのにもしっかりとした意味があるに違いないと、ジュンヤは思うようになっていた。

 それにしても、リーは不可解な男だ。シロウの友人だなどと近付いておきながら、エスターを連れてきた途端、それまでの繋がりが切れたようにジュンヤとの会話をやめた。まるでエスターさえ手元に来ればそれでよかったのように、いや、もしかしたらそれが目的で自分に近付いたのではないかと思ってしまう。疑り深くなっていたジュンヤは、とにかく何に対しても簡単に信用しようだとか、鵜呑みにしようだなんてことが出来なくなってきていた。

 赤髪の美女パメラに手を引かれてリラックスルームを後にし、「しばらく、ここでくつろいで」と案内された個室。ルームサービスでビル内のレストランから運ばれたランチの匂いが、空腹のジュンヤのお腹を刺激した。

 まともに睡眠も食事もとっていなかったと思うと、それが何時間ぶりの食事かわからないくらいの勢いで、ガツガツ胃に流し込み始める。魚のグリルや香味野菜のサラダに、ビシソワーズ、カルボナーラ、驚くほどするすると胃に落ちる。流石政府ビル、味は格別に良かった。心は決してすっきりしていないにもかかわらず、人間の身体ってヤツは正直だ。腹が減って十分に血液が循環していなかった身体に、旨味が染みた。最後にガブガブと水を流し込む。満腹だが、やはり満足感がない。

 エスターはどうしているのか、そればかりが頭を巡っていた。

 無理矢理部屋を追い出され、彼女と別れたままだ。

 彼女は政府側についた自分のことをどう思っているのだろうか。いやらしい、裏切り者、はたまた自分の敵とでも。それでも、あの選択肢しかなかったと、ジュンヤは自分に言い聞かせた。そうしなければ、押し潰されそうだった。

 政府ビルに潜り込み、黒いスーツまで着こんでEPTの人間になりきったつもりが、現実には居場所がない、発言権もない。エスターをリーに引き渡すという目的を達した途端、抜け殻になってしまった。

 ESにいたら、いや、そんなことを考えてはいけない。

 あんな立ち去り方をして、どの頭を下げて戻ればいいのか。

 空になったランチ皿をぼうっと見つめ、しばらく呆けていた。

 今後、どうしたらいいのか、ジュンヤには何も思い浮かばなかった。


「俺は一体、何がしたいんだ」


 ぼそっと呟く。誰も聞いてはくれない、空しさ。

 窓のない室内はとても窮屈で、退屈だ。

 フラフラと立ち上がり、あちこち物色する。ここは、研究者たちの短期滞在用として使われている部屋らしい。ビルの中にはたくさんの研究室があり、数え切れないくらいの科学者たちが日夜研究に励んでいると、リーの秘書ローズマリーに聞いた。研究が長期にわたったり、都度帰宅することが困難な場合に備えて、こうした部屋がいくつも備えてあるようだ。室内に備えられた携帯端末で見る、各階の見取り図、研究室エリアの階を挟むようにして、上下に一時滞在室の並んだ階がサンドイッチ状に存在しているのがわかる。

 政府ビルはとにかく巨大で、ジュンヤの暮らしてきたネオ・シャンハイや、ディックが先導して作り上げられた飛空要塞などとは比べものにならない。ビルそのものがドームを支え、支配しているのだ。

 とんでもないところに来てしまったと、島の施設にあった転移装置から飛んできたときに思ったが、それは今も変わらない。

 場違いだ、何も知らない自分がビルの中にいること自体。

 ジュンヤの心は枯れていく。

 そもそも、冷静に考え直してみても、リーがシロウと友人だったことが未だ理解できないのだ。

 憤り、苛々が募った。考えれば考えるほど、頭痛が酷くなる。

 ルームサービスの女性が食器を引き取り、また数時間が流れた。

 気がつくと彼はベッドの上で寝息を立て、夢を見ていた。幼い日、初めてエスターと出会い、彼女に惚れ、彼女が必死に生きようとしている姿を目の当たりにし、自分という存在の小ささに気づいたこと、無口な大男が絶えず少女の側で静かにたたずんでいたこと。


――『記憶がないの』エスターの涙。


――『お前の祖父を殺した』残忍なディックのセリフ。


――『ある意味必然だったのかも』にっこりと笑いかけるリー。


――『あの、ディック・エマードって人物はね。人間じゃない。悪魔だ』


 ぐるぐると数週間の出来事が頭を巡る。

 振り回した刀が宙を斬り、ロックの胸をかすめた。あの不快なロボット犬もなぎ倒した。だのに、どんなに刀を振り回しても、ディック・エマードだけは切り裂くことが出来ない。

 なぜ死なない、なぜずっと立ちはだかり続ける。

 どんどん大きく迫ってくるディックのシルエット。いつも懐に忍ばせている、あの黒光りしたデザートイーグルの銃口が、ジュンヤに向けられていた。頭を吹き飛ばされる、そう思うと一気に喉が渇いた。死にたくない、嫌だ、逃げたい、逃げたい逃げたい――。



「あら、随分うなされてたみたいじゃないの」



 女の声に、目が覚めた。

 真っ赤な髪の女が真上からジュンヤを覗き込んでいた。大きな胸の谷間が視界に迫り、彼は思わず目を背ける。


「ホント、ウブね。可愛い。その無垢なところも、可愛いお顔も、素敵よ坊や」


 パメラは色っぽく笑い、ベッドの角に腰掛けて、よしよしと子供をあやすようにジュンヤの頭を撫ぜた。

 馬鹿にしているとしか思えない。ジュンヤはカッとなって、彼女の手を払いのけ、ベッドから跳ね起きる。


「あら、つれないのね。せっかく遊んであげようと思ったのに」


 わざわざ胸の谷間を強調し、猫のように身体をくねらせる女に、ジュンヤは思わず身震いした。

 とてもじゃないが今はそういう気分じゃないし、何より新鮮味のなくなった年増女に興味もない。あからさまに嫌がってみせると、彼女はそれがまた気に入ったのか、鼻を鳴らしてニヤッと口角を上げた。

 どのくらい寝てしまっていたのだろうと思うほど、ジュンヤは寝汗をびっしょりかいていた。羽織りっぱなしだったジャケットをベッドの上に脱ぎ捨て、ふぅと大きく息をつく。


「エスターはどこだ」


 額の汗を腕でぐっと拭い、パメラを睨み付けた。


「そんなに気になるの、坊や」


 組んだ腕の上から胸をぐいと持ち上げて、パメラはジュンヤにいかにも柔らかそうな胸の膨らみを誇張する。

 呆れたようにため息をつき、ジュンヤはもう一度尋ねた。


「エスターに会いたい。彼女はどこだ」


「仕方のない子ね。どうしてもあのお嬢ちゃんに会いたいの」


「どうしてもだ」


 いやあねぇと大げさに両肩を上げ、さも残念そうに両手を開いてそっぽを向く彼女の仕草は、ジュンヤを逆撫でした。一歩踏み出し、パメラにぐいと顔面を近づけて、


「どこにいるんだ、言えよ」


 訊いたところで、この広いビルから探し出せかどうかも知れないのに、ジュンヤはパメラに押し迫った。

 一瞬表情を固めたパメラ。左右バランスの悪い目をクルクルと動かし、不思議そうに彼を見つめる。ジュンヤの真剣な眼差しを受け止めていたはずが、口元を歪め、吹き出し、終いには腹を抱えて笑い出した。


「何がおかしいんだ」


「いやあね、何も知らないの。彼女とはもう、会えないのよ」


「会えない? まさか」


「坊や、あなたは何を信じてたの。自分がどれだけ期待されてると思っていたの。――馬鹿ね。閣下はあなたを利用して、Eをここに呼び寄せた、たったそれだけのこと。Eさえ手に入れば、あなたの存在などどうでもいいのよ。でも、ESに戻ることも出来ないものね。可哀想に。ここで朽ちましょうか、それとも本格的に私たちの仲間にでもなる?」


 ジュンヤは思わず声を上げた。


「何を、言ってる」


「ホント、可愛いお馬鹿さん。あなたは人を疑うことをもっと知った方がいいわ。正義感の塊みたいな顔してたけど、実際その正義とやらは誰かを救うことが出来てるのかしら。もうちょっと賢く生きなきゃ、ダメよ」


 以前、ディックにも言われた、『暴走した正義感では誰一人助からない』と。パメラもまさに同じ事を。

 ジュンヤの顔は一気に火照った。耳まで真っ赤にし、ギリリと歯を鳴らす。目の前の人物が男なら殴りかかっているところだが、ぐっと我慢する。

 じゃあねと手で合図して、くるっと回れ右した彼女の肩を、ジュンヤはぐいと掴んで引き戻した。


「まだ答えを聞いてない。彼女はどこだ」


 艶っぽい女はフェロモンをまき散らすようにウインクし、「秘密」と一言。


「今更彼女を見つけたところで、あなたにはどうすることも出来なくなっているはずよ。それどころか、絶望を味わうかも。気づくのが遅すぎたのね。結局あなたには、誰も助けることなんて出来ない。彼女がどんなに救いを求めても、あなたは気づくことができなかったじゃない。当たり前よね、一番彼女が助けて欲しいときに、あなたは閣下に騙されていたんだから」


 ジュンヤの身体から、音を立てて血の気が引いていく。立ちくらみがした、魂が抜けてしまいそうだった。

 パメラはそんなジュンヤを見下すように、また甲高い笑い声を上げた。

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