57・第二段階

 あのアンリが鍵の一つだったのかと、思わずディックは笑みをこぼした。

 あの妙な性格、駆け引き好きなところは、もしかしてこの人の影響なのだろうか。何よりも、まるで自分の行動が全て読まれているような――気のせいだったにしても、ラムザは全てをあらかじめ見透かしていたかのようだ。アンリに、リーが全てを仕組んでいたと知らされた衝撃よりは、幾分か驚きは少なかった。

 二十年前、少なくとも彼が失踪するまで、ラムザはEUドームにいたことだけははっきりした。

 トリストも、元々はラムザのものらしい。

 政府ビル出身の科学者は反政府組織でも重宝される。技術援助さえしっかりすれば、彼らは確実に科学者を守ってくれる。生活に直結するような最先端の知識や技術を、喉から手が出るほど欲しているからだ。ディック自身もそうやってESに身を隠していた。そう考えれば、無意識的に義父と同じ道を辿っているような気がして、滑稽に思えてくる。


『ディック、最初に言っておく』


 襟を正し、スッと背筋を伸ばしたラムザは、一段と気難しい顔でディックを見据えた。


『私がお前にファイルを残したのは、恐らくお前以外に、あの男の暴走を止めることが出来る人物がいないからだ。リーの秘密を知ってしまった私と、彼が一番力を入れていた研究の実験体だったお前。否応なく、リーの興味は私たちに向けられる。お前には幸い、NCCで鍛えられた体力と秀でた頭脳がある。だからこそ、お前に止めてもらいたい。そのためには、まず彼が一体何者なのかを知る必要がある。そして、彼が何をしたいのかということも知らなければならない。そうすれば自ずと、私がなぜこの形式でファイルを遺さねばならなかったのかも見えてくるはずだ。今から、大量のデータをお前の脳に送る。それを受け止めることが第二段階となる』


 静かに口角を上げるラムザ。両手のひらを胸の前でそっと合わせ、本を開くように、ゆっくりと左右に開いた。

 それが、ファイルを開くという意味の動きだったのか、先ほどマザー・コンピューターへ侵入を開始したときとは比べものにならない情報が、一気に身体の上から下まで突き抜けていく。

 イメージ化されていた身体がほどけた。衝撃波を一気に受け止めると、身体の輪郭線がボコボコと歪み、凹んでいった。意識が分散し、ディック・エマードという自我さえ保てないほど、大量の電子の粒と混ざり合う。

 目に見えていた懐かしいアンティークな室内さえ無の空間に溶けた。

 ラムザの姿、時計、人形、絵画、色も、音も、何もかも感じなくなってしまった。






*






 白い空間に一人の男のシルエットがぼうっと浮かび上がる。

 黒髪の東洋顔、黒いスラックスと白衣――ティン・リーだ。

 次第に背景に色がつく。ラインが走り、輪郭を縁取り、立体画像へ。あの、地下研究室だ。他に数名の研究員、男女混合の虚ろな集団。


「Dタイプ十二体目まで死亡。これは由々しき事態だな。どう責任をとる、ラムザ・エマード」


 リーは凍るような視線を浴びせてくる。

 目線の人物は、大きく息を飲み込んで、渇いた口から懸命にセリフをひねり出していた。


「再生能力を完全に取り込むのは、そう簡単ではありませんよ、閣下。私は尽力してきたつもりですが、ご期待に添えず残念です」


「次の改良点は」


「組織の培養方法がいけなかったのかも知れません。溶液の配合を変え、細胞にかかる負担を減らします。それから、今まで与えてきた電気信号のパターンを変えてみます。βからαに移行、その上で細胞が活性化しない場合はまた別の方法を」


 端正な顔に光るリーの目は、冷たく鋭い。

 圧倒され、男は一歩後ずさった。震えた声で、気力を絞り出すようにやっと言葉を紡ぐ。


「D-13には完全な自己修復機能を持たせます。……間違いなく」


 ほの暗い研究室の中、慌てふためく男を、リーはせせら笑った。


「ラムザ、研究の意図は理解しているな。私の身体はもう限界なのだ。遺伝子の劣化が始まっている。No.D-13は、あらゆる意味で失敗を許されない実験体になる。それによって、お前自身の行く末も変わることを、肝に銘じるがいい」






**






 また、画像がほどけた。






**






 次いで現れたのは、ウォーレス・スウィフト。EUドームの爆破事件の際現れた老人だ。まだ毛は黒く、顔のシワも浅い。白衣姿のスウィフトは、いけ好かない猿顔を向け、にたっと気味悪く笑った。


「研究対象に随分肩入れしておるようだな、エマード博士」


 研究室まで続く地下通路で、スウィフトは男の肩を叩き、引きとめた。


「そんなことは」


 振り向いた男は頬を伝う汗を袖口で拭い、目をそらす。


「D-13がどれほど大切な存在か、わかっていてあのようなことをするのか。総統閣下の身体をCタイプからDタイプに移行するためには、早急に研究を進めねばならん。クローン体のストックもそろそろ切れる。毎度あのように記憶データを移し替えるのでは、負担が大きすぎる。わかっておるな。何のための自己修復機能、なんのための不死の研究。マザーの代弁者たる政府総統の存在が危ぶまれれば、この世界そのものが崩壊の危機を迎えてしまうことも――」


「わかって、います」


 男は大きくため息をついた。


「ヒトクローンがなぜ遺伝子の劣化を起こすのか、なぜ人は老い死んでゆくのか。それがわからなければ、恐らく研究は完成しない。私は、研究そのものに疑問を感じ始めています。私には、マザーの存在意義も、その代弁者である閣下の存在意義も、理解できなくなってしまった。もう……、限界なのです」


「ならば、死ぬしかない。政府の秘密、総統閣下の秘密を凝縮させた研究室の中心にいながら、お主はなぜそんな血迷いごとを。これまでDタイプ開発のリーダーとして腕を振るってきたのは、なんだったのだ。地に墜ちるのか」


 視線を反らしうつむく男に、スウィフトはたたみかけるように言葉を浴びせてくる。


「私の倫理観は、間違っていると、そうおっしゃるのですか、スウィフト博士」


「倫理など、綺麗事に過ぎん」


 猿顔が、背景ごと、ぐにゃっと歪んだ。






 **






 様々な色や音がほどけては混じり、ほどけては混じり。

 それは、データとして蓄積されたラムザの記憶なのだと、ディックは頭のどこかで感じていた。

 浮いては消え流れていく映像と、知識。一つ一つを理解することなど不可能だ。ぐるぐると様々な出来事が頭を巡っていく。疑似体験に過ぎぬというのに、それらはディックの記憶の一部となり、経験の一部となる。ラムザの記憶は、更にディックの中へと流れ込み続けた。




 


 **





 コールドスリープカプセルの並んだ場所に、男はいた。銀色のカバーに強化アクリルの窓があてがわれ、そこから中をうかがい知ることができる。巨大な冷蔵庫のようなその場所には青白いダウンライトしかない。

 防寒用ジャケットに、凍結防止の手袋、呼気が凍結しないように特殊なマスクを被り、耳当てとゴーグルをつけた状態で、ひとつずつカプセルの中を覗き込む。狭い空間に、魂の抜けた人間の身体が、霜のつかないように特殊加工された白い衣類を身にまとって横たわっていた。

 カプセルの横に付けられたプレートには、“TYPE-C”の文字。一つ、二つ、心の中で数えながらカプセルの間を歩いて行く。


『エマード博士、チェック完了しました。そちらは』


 耳当ての下に付けたイヤホンから男の声が漏れた。


「計数完了、計器異常なし。そちらに戻る」


 マスク下のインカムで別の誰かに返答すると、男はのしのしと出口へ向かっていった。

 重い金属製の扉をこじ開け、通常温度圏へと戻る。身につけていた防具を一つずつ外し、壁面の収納棚に片付けた。作業着に戻ったところで、誰かが彼を呼んだ。


「あと、どれくらい持ちますか」


 同じような作業着を着こんだ別の男の、主語のないセリフ。

 彼は振り返り、壁に肘をついて、斜めに寄りかかった。


「さあ。あと七体だが、一体当たりの使用可能年数は、五年から十年。閣下自身、時間がないと焦る気持ちも、わからなくはない」


「Projectが完成したとしても、成長年数はやはり必要ですよね。すると少なくともこれから二十年はかかる計算になりますが」


「だからこそ、急いではいるんだ。Dタイプの遺伝子結合が上手くいかない。あちこちくっつけすぎて、奇形になってしまう。この間処分したD-09を見たか」


「え、ええ。まあ、見ましたけど」


「あれは人間の姿ですらなかった。再生機能、そう思って結合させたトカゲの遺伝子が悪かったのか。鱗が全身に現れ、目ン玉が黄色に光ってた。NCCでもあんなクズはいらんと送り返されてきたよ。で、処分。上手くはいかないな」


 そうですよねと愛想笑いの後、相手の男はふと、こんな事を言い出した。


「『Dタイプは完全な人間に』と閣下はおっしゃってましたが、エマード博士はそもそもどういう定義なのだと思います」


 相手は他意なく話題を振ったのだろう。ちょっとふざけたように半笑いして、返答を待っている。


「完全というのが生死に対してなのだとしたら、やはり死なない人間が完全だということなのだろう。だが、そうしなければならない理由があまりにも弱い気がして、私はずっと先に進めずにいるんだ」


 男はそう言って、深く長くため息をついた。

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