Episode 11 マザー・コンピューター
52・深層部へ
「――そうして、あなたは地下研究室に幽閉された。エレノア・オーリンが出産する直前までの数ヶ月、そこに残された僅かな食料と水で生き延び、精神までボロボロになった末に、とうとう泣きつく形でティン・リーに懇願したわけだ。『娘を実験体にするのは認める。だから、殺さないでくれ』って。エレノア・オーリンは出産直後に出血死との記録はあるが詳細は不明。もしかしたら殺されたのかもってのは、推測できるけど、証拠は何も残ってない。マザーはリーが手を下したって言ってるから多分そうなんだろうけど」
口元に笑いを浮かべながら自分の過去のことを話されるのは、正直なところ我慢ならなかった。
いつでもぶん殴れるようにディックは拳を握り、目の前の男を睨む。だのに銀髪頭は、何の手応えも感じさせない変わらぬ調子で、何度も目の前を行ったり来たりした。
ドーム襲撃の翌日、アンリに呼ばれ、ディックはドーム群の中央監視ドームに来ていた。
他のドームが半径数十キロ単位なのに対し、監視ドームは直径五百メートルにも満たない。EUドーム群全体のデータ集約、機械管理の中枢。詰まるところ、ドームのメイン・コンピューターと呼ばれる巨大な機械の塊が、そこに鎮座していた。
襲撃された最北のドームから二つほど離れた場所にあるため、直接的な被害はない。ただ、網の目のように張り巡らされた情報網の数カ所が寸断されたことで、それを修復する作業に手間がかかり、丸一日、通常のアクセスが出来ない状態だったのだ。
筒状の管理機を中心にした監視棟は、監視ドームの中央に位置した。高くそびえる管理機には、メンテナンスに備え、螺旋状に階段が巻き付けてある。巻き貝のように下部がデボッと太った地上部に小さな入り口がある。
奥の内部監視室に、ディックとハロルド、キースを連れ込み、監視モニターと端末に囲まれた中で、アンリは自分の知っている情報を順立てて話した。
『重要なファイルを見つけた』とディックを誘ったアンリは、大きな事件にESのメンバーまで巻き込んだ手前、本人だけにファイルを見せて終わりにすることが出来なくなってしまっていた。NCC出身のキースには、何故こんな事になったのかと詰め寄られ、ディックを呼び込むために利用したハロルドからは、一体何を隠しているんだと首根っこを掴まれた。無理矢理ついてくる二人を振り払うことも出来ず、渋々解説に回る。
何とも悲惨な個人情報だけに、他人に話して良いのかディックに確認を取ろうとしたのだが、とてもそんなことが出来る雰囲気にない。本人未承諾のまま、はっきりわかっている情報として、ディック・エマードが政府の実験体であった事実、ティン・リーという医師は政府総統であり、エレノア・オーリンとディックを近づけることで子供を孕ませ、その子供を新たな実験体としてProjectを続けようとしていたことまで話し終える。
勿論ディックとて、良い気分ではない。
はらわたが煮え繰り替えそうなのを我慢しながら、狭い監視室に置かれた作業用椅子で腕組みし、じっと話を聞いていた。ときに肩を震わせるのを、アンリはわかっていたのかどうか。少なくともハロルドとキースは、青ざめた顔で何も口に出さなかった。
「よくもまぁ、調べたもんだな」
ククッと鼻で笑い、ディックはアンリに鋭い視線を浴びせた。
椅子に仰け反って脚を組み替える仕草に、流石のアンリも畏怖して足を止める。
「ま、まあね。通常NO CODEの情報はどこにも残らない。だからあなたに関する情報を手に入れるのは難しかった。それを可能にしたのが、マザー・コンピューターとの交信ってわけ」
ごめんなさいと言わんばかりに両手を挙げて、アンリはにやりと笑った。
「ホントは、エマード博士にだけこっそり見せたかったんだけどな。どうしてこう、余計なモノがついてくることになっちゃったんだか。でも、実際ファイルに触れることが出来るのは博士だけだからね。他の二人は、単に同席することしかできない」
「同席だけか」
赤髪のキースが久しぶりに声を上げる。
「体力に自信がありそうな二人なら、まあ、最悪の状態になっても博士を止めてくれるだろうし。そう前向きに考えることにするよ。――じゃ、準備するよ。これを、こうして」
アンリは言って、端末をひとつディックに差し出した。
全面がパネルになっている超薄型端末、黒い画面に四角い枠と手の形が描かれている。膝の上に端末を置き、どうするつもりだと言わんばかりのディックに、アンリは淡々と説明を続けた。
「ファイルはD-13の静脈認証と虹彩認証、そして声紋認証、これを全てクリアしないと開かない仕組みになってるようなんだ。まず、端末に右手を押しつけてその静脈パターンを読み込ませ、次に虹彩。これは端末上部の小さなカメラを覗いて。最後に、何かしらキーワードみたいなものが必要らしい。しかもD-13の声じゃなきゃいけない」
「随分手がこんでるな。しかも、何故俺の生体情報が必要なんだ」
「まあまあ、説明は最後まで聞いてよ」
ぐるっと室内を囲ったモニターの画面のひとつが、不意に白く変わった。アンリはモニター下部のパネルを操作し、他の三人に少し壁際に寄るよう指示する。頭上で大きな駆動音、見上げるとそこには大きな黒い塊があった。ディックたちは、その物体がゆっくりと降下するのを目で追った。
椅子のようなそれは、扉のない戦闘機のコックピットを思わせる。頂上部から太いケーブルが何本も這いだし、油圧昇降機で天井部としっかり繋がっている。成人男性が一人何とか座れるぐらいの小さな空間を指さし、アンリはまた解説を始めた。
「これは普段、僕がマザーにアクセスするときに使用してる端末。逢瀬、逢い引きに引っかけて“トリスト”って呼んでる。この中に乗り込み、直接データを脳に流し込む形でしか、マザーとはアクセスすることはできない。各地のメイン・コンピューターは全て、マザー・コンピューターに繋がってるってのは知ってるね。マザーはそれぞれの情報を総合的に判断して思考する能力を持つAIだ。あちこちでバラバラに得られた情報も、マザーはニューロンみたいに上手くくっつけてしっかりとした情報へと変えてくれる。――僕がそのファイルを見つけたのは至極偶然だった。政府総統やその周辺について探っていたときに、Projectの名称やD-13、エマードという研究者について様々な情報がやたらと引っかかってきてね。その中から、どうしても開けることの出来ないファイルが奥底から見つかったんだ。マザーが大事そうに抱え、一向に僕にくれようとしないもんだから更に調べを進めると、面白いことがわかってきた」
話しながら、アンリはトリストの内側にある起動スイッチを押す。小さなボタンで何かを入力したあとで、トリストの中に入るよう、ディックに促した。
ひょろ長のアンリに比べ体格のいいディックが座ると、トリストの中はぎゅうぎゅうで身動きさえ取れない。苛々するディックにまあまあと愛想笑いしながら、アンリは電気系統が正常に働いているか一つずつチェックする。
「ファイルの作成者は、ラムザ・エマード。あなたの育ての親だ。恐らくファイルの内容は、あなたにとって相当重要なものだと思われる。そうだ、ひとつ忠告。脳にデータがダウンロードされると、慣れるまでは現実とデータとの境が全くわからなくなってしまうから、気をつけて。あなたが暴走したら、昨日の騒ぎどころじゃなくなるからね。――念のため」
言ってアンリは、窮屈そうに膝を畳んで背を丸くするディックの白衣から銃を抜き取って、ハロルドに渡した。
「銃は預からせてもらう。けど、体力勝負でトリストを壊されたら困るんで。こっちで見て、やばいと思ったらデータのダウンロードは強制終了させてもらうよ」
ラムザ・エマードの名を聞いただけで、ディックは動揺した。義父が自分に残した情報とは、一体何なのだろう。否応なしに胸が高鳴った。
アンリに言われたとおり、彼はトリストの中で静脈認証と虹彩認証を済ませる。続いて、トリストのシート後部からコードで繋がれたフルフェイスヘルメットを取り出したアンリは、それを無理矢理ディックに被せた。
「さあ、何か喋って。キーワード的なもの。思い当たらないの」
義父と離れるまでの間、彼はファイルの存在など聞いたことはなかった。突然喋ってと言われたところで、どう声を発したらいいのか。
悩み、数分じっと考えた。
ラムザがキーワードにしたがる言葉、しかも自分の声でなければならない言葉。
――『私の息子になってくれないか』
ひらめきのように、ラムザの声がディックの中に響いた。
――『君は最初から、私の息子“ディック・エマード”だったんだ』
優しく、思い詰めたような柔らかな口調。そうだ、彼は父親として接することを選んでいた。
「……お父さん」
何年ぶりになるのだろう。既に自分がそう呼ばれるようになって久しいというのに、彼はかつてラムザを呼んだときのように、ぽつりと呟いた。
入力確認の電子音を確認後、アンリはディックから端末を回収して、操作パネル下のスリットに差し込んだ。
読み込みが始まった。
すうっと照明が消え、監視室内の電力がトリストに集められる。闇の中、トリスト内に設置された操作パネルの光だけが浮きあがる。
しばしの沈黙、四人はじっと、時を待った。
数十秒後、”照合完了”の文字が室内全てのモニターに、一斉に映し出された。
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