50・許されない

 見えない鎖に繋がれているようだった。

 コードのないエマードの足取りを追うのは、容易ではないはずだのに。

 監視カメラだけでは説明が付かないくらい、確実に居場所と行動が相手に知れている。どうやって追っているのかと、否が応でも気になり始める。何かのセンサーか、発信器が仕込まれていしまったのか。

 以前ライブラリで容易に出来たハッキングも、全てお見通しとばかりに簡単に遮断された。ビル内のフリースペース、一般店舗の貸し出し用端末でも試したが、いずれも弾かれた。回線の繋ぎ方を弄り、経路を複雑化することで正体を隠そうとしても、すぐに見つかってしまう。

 データを漁るのは、諦めた。

 彼女に直接的な危害が加えられることはないとわかっていた。それでも、リーがどう出てくるのか不安で、彼は過度にエレノアを見舞った。

 彼女は喜んだが、本当の目的は違う。ティン・リーの動きを確かめるためだ。

 毎朝端末を持ち込み電子カルテの入力をし、簡単な診察をしていなくなるのだと彼女は言った。その言葉を頼りに、診察後のリーの足取りを追う。しかしリーはいつも煙のように消え、行き先を突き止めることの出来ない日々が続いた。

 こうなったら、ビルの最上階に行くしかない。もし、本当にリーが自分の考えるような存在なのだとしたら、普段は最上階にあるという彼の執務室にいるはずなのだ。

 警備室に見取り図があるのは知っている。警備員の目を盗み、データをコピー、自宅に持ち帰って作戦を練った。自宅の端末でデータを開くと、警備用の見取り図には防犯カメラや防犯システムの作動位置、視界範囲まで記されていた。どの経路で侵入するのが妥当か、数週間かけて練り上げる必要がある。非常用通路と物資運搬用のエレベーター、システムの死角になっている一部の通路。それらを線で繋ぎ、完璧に記憶しなければならない。

 天まで届く超高層ビルの図面は、それだけで何百ページにもわたった。しかも、データが盗難された場合を考え、見取り図の並びは故意に上下左右向きもバラバラにしてある。一ページずつ階数を確かめ順番に並べる作業に時間を要した。改めてビルの広さと高さを痛感する。

 そうしてやっと全ての見取り図を並び替え、いざ経路を組み立てようとしたとき、ふと、一つの見取り図だけが取り残されているのに気がついた。

 エレベーターの降り口と非常階段へ続く扉、長い通路、その先にある四角い部屋の塊。どこかで見覚えがある。それがどこだったのか、エレノアの病室に通いながら、エマードは何度も自分の記憶を探った。

 病室からの帰り道、いつものようにエレベーターに乗り込んだ彼は、操作パネルの中にあるBボタンをじっと見つめた。

 もしかしたら地下に、何かがあるのかも知れない。全ての見取り図を繋いでも地下五階部分までしか確認できなかったのだが、もしかしたらその先にも何かがあるのではないかと疑い始めたのだ。

 幸い、他に誰も乗っていない。恐る恐るボタンに手を伸ばす。

“B5”

 まずは見取り図で確認できた最深階へ。静かに降りていくエレベーターの中、鼓動が高鳴った。喉が渇き、思わず唾を飲み込む。

 到着、扉が開き、一旦出るがまた入り直す。今度は“B6”――エラー表示。続いて“B7”、“B8”“B9”――エラー。これ以上はないかも知れないと、汗の握る右手でそっと、“B10”と入力する。

 フワッと一瞬浮き上がり、急加速して降りていく。あの見取り図は地下十階を指していたのかと思うと、身体が火照りだした。

 程なくして扉が開く。眼前には長い通路が続いていた。


「ここだ」


 小さく呟いて、歩を進める。

 薄く明かりの灯った通路には、天井部の通気口から冷たい風が吹きつけていた。じめっとしたカビっぽい、地下特有の匂いがする。

 コンクリ壁を伝い歩いているうちに、エマードの胸はどんどん苦しくなっていった。

 知っているのだ。

 たった一度だけ通ったことのある場所だ。

 そのときはもっと通路が広かった。――子供のとき、大きな手に引かれ走ったのだ。



――『君は、ここにいちゃいけない。出よう、D-13。こんな実験は最初から間違っていたんだ。わかっていて、今まで何の抵抗も出来なかった。君の十年を無駄にした。決して許されることじゃない。私は償わなくちゃならないんだ。君を、助け出さなくちゃならない』



 痩せぎすの男の背中を必死に追う、小さなエマード。

 初めて履かされた靴が、窮屈で歩きにくかった。少し大きめでサイズの合わない服は、彼がエマードのために見繕ったあり合わせのものだった。



――『ここから先、外の世界に出たら、君は私の息子として過ごすんだ。胸を張って、堂々としてればいい。キョロキョロと辺りを見回してはダメだ。顔を上げて、前を向いていればいい。君は最初から、私の息子“ディック・エマード”だったんだ』



 脳内で再生されていく記憶は、エマードの感情を搾り取る。

 そうだ、ここはあの場所だと確信していく。

 目から溢れてくる液体がつうっと頬を伝い、視界がぼやけた。

 全てが始まったその場所が、目の前にある。

 重い鉄扉には表示がない。何の施設かすぐにわからないようにしているのだ。ドアのノブに手をかけ、そっと開く。――また、どくんと心臓が波打った。

 計器には様々な色のランプが灯っていた。起動音と水の音もする。並んだモニターと、操作パネル。手術台と診察台、そして、大きな水槽。そのどれもが、彼の記憶のまま。

 ぞくぞくと震えだした。

 もう二十年以上も前のことなのに、子供のあの日に戻ってしまったかのように、彼は怯えだす。

 震えた手で水槽に触れた。

 空の水槽には、元々色の付いた液体と自分が入っていたのだ。管を繋がれ、まるで見世物のように浮いていた。

 ウワッと頭を抱え、エマードは屈み込んだ。

 記憶の波が一気に押し寄せ、押し潰されていく。

 今まで封じていた最も忌まわしい過去の記憶が、鮮明に彼の脳裏に映し出されていた。

 あまりの衝撃に、彼は無防備になっていたのだろう。その場に先客が居たことに、彼は全く気がつかなかった。

 何者かがそっとエマードに近寄り、ゆっくりと隣に屈み込んでポンと肩を叩く。



「やあ、こんな所にまでやってくるなんて。君はなんて物好きなんだろうね、D-13」



 リーだ。

 エマードは慌て、転げた。

 大きな身体が金属で出来た計器に当たって、鈍い音がした。目を丸くし、口をパクパクさせるエマードを見て、リーは腹を抱えて笑っている。


「今度はなんだい。見取り図持ち出して、何をしようとしていたの。まさか、ここがどんな場所かもわからず迷い込んだのかい」


 彼は悔しさでギリリと歯を鳴らした。目の前の優男をギッと睨み付けるが、何の効果もない。

 リーは楽しそうに立ち上がると、まるでエマードを小馬鹿にするような口調で喋りだした。


「Project.Tの研究室だよ。覚えてるだろ。君は僕を見ていた、あの中から。そのまんまじっとしていてくれたら、誰も傷つかずに済んだのに。ラムザ・エマードは何故その罪深さに気づかなかったのか、僕は不思議で仕方ない。やっと、理想的なモノが完成したと思っていた、それを連れ出すなんて。とんでもないことをしてくれたもんだよ。僕は許さない。君を連れ出したラムザも、そのまま行方をくらました君も」


 彼は一方的に毒づいていた。あまりに身勝手な考えに、エマードは愕然とする。

 小刻みに顔を左右に振って、心の中で違う違うと何度も唱えた。それしか、出来なかった。


「まあ、どう足掻こうが、最終的に僕の思い通りになればいい。今までのことは水に流そう。次の実験体がもうすぐ手に入る、Projectは続けられる」


 またにやりと不敵に笑って、リーはおもむろに水槽を撫で始めた。その手の当たる場所に、透明なラベルが貼ってある。

 “No.D-13”――ふつふつと湧き上がる、怒りとも憎しみともわからぬものが、エマードの頭を沸騰させていく。リーの言葉、動き、どれもが彼を興奮させた。



「つ、次の実験体というのは、まさか、俺の」



 その言葉を待っていましたとばかりに、リーは大きく振り返った。

 にんまりと上げた唇の端が、鋭く尖って見えた。

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