41・誘拐

『緊急離陸準備中……総員速やかに作業を止め、離陸体勢に入れ。繰り返す、緊急離陸準備中……』


 船内に数少ない女性乗組員リザ・タナーの淡々としたアナウンスが流れる。操縦室から殆ど出たことのない彼女の起伏ない声は、否応なしに個々の緊張を高めていく。

 いつ離陸するのか、離陸自体が出来るのか。それとも、離陸しないうちにドームの襲撃は収まるのか。作業を終えた乗組員たちは各々の持ち場へと急いだ。

 荷運びを終えた整備士ロックとバースも足早に廊下を駆け抜ける。若い二人にハロルドが出した指示は、食堂の様子確認。何故かしら内線で呼び出しても反応がない。メイシィとエスターはどうしているのか。火気を使う場所だけに安全性を考慮して早めに案内したのだが、無反応だった。食堂は緩くカーブがかった廊下の一番奥。何度も赤く点滅する警報ランプに急かされ、走る走る。


「内線にメイが出ないって、どういうことだと思う」


 息を弾ませながら、ロックは後方を走るバースに話しかけた。


「さぁ。わかんないけど。あんまりいい予感はしないな」


 鼻水を啜り、そばかすの頬を擦るバース。その視界に、食堂の入り口が見えてくる。二人は更に足を早め、大声でメイシィとエスターの名前を呼んだ。


「ハルから内線、来ただろ」


 言って身体半分食堂に入ったところで、ロックの足が急に止まる。

 バースは勢い余ってその背中に突進、顔を埋めバウンドしてすっ転んだ。間の抜けた声で顔を両手で覆い身体を起こしたとき、彼の耳に予想だにしなかった言葉が響いてくる。


「ジュンヤ、もう止めて!」


 エスターの悲痛の叫び、同時にきらりと光る一振りの刀が目の前を横切った。刃はロックのつなぎ服を掠め、胸部をざっくりと切り裂いた。赤いものが飛び散り、身体がよろめく。

 少女の悲鳴、母親の取り乱す声、ワンワンと吠え盛る犬の声。

 一瞬何が起きたのか理解できず、バースはただただ目を丸くした。

 窓を背に女性二人、怯えて抱き合っているのが見える。なぎ倒されたテーブルと散乱する椅子。いつもの清潔さはない。室内を荒らす黒い影には見覚えがあった。

 ――ジュンヤだ。黒いスーツに細身の刀、いつもの彼からは想像できない格好で、こちらを睨み付けている。

 理解しようとしても簡単に理解出来る状態じゃない。よりによってジュンヤがと思うと、バースの頭はますます混乱していく。震える膝が思い通りにならず、立ち上がれない。気がつけば全身から血の気が引いていた。


「やめなさい、ジュンヤ。何がそこまであなたを追い詰めてるの!」


 メイシィの声にバースは我を取り戻し、傷ついて廊下の壁を背に座り込んだロックに駆け寄った。幸い傷は深くない。本当に掠めた程度。胸に一文字に赤い切り傷があるが、出血は思ったほど酷くない。


「ロック、しっかりして。今ハルを呼ぶから」


 屈みこみ、尻ポケットの通信機を取ろうと右手を後ろに動かす。――ふいに、銀色の刃が視界へと入り込んだ。右斜め後ろで、ジュンヤが仁王立ちしてバースの右肩の上に刃を落としていたのだ。


「邪魔するな。バース、お前も斬られたいのか」


 ギラギラと怒り狂ったジュンヤの瞳は、それまでバースが感じたことのない恐怖をもたらした。

 言い返せない、言葉を発することが出来ない。息が詰まる。

 バースの動きが止まったのを確認して、ジュンヤは振り返った。


「エスター、いい加減あんな悪魔の所から逃げ出してしまおう。このままここにいれば、また事件に巻き込まれる」


 ジュンヤはあくまでも優しく、エスターに語りかけた。メイシィに肩を抱かれ、彼女は無言で首を何度も横に振る。

 メイシィとエスターの前に立ちはだかるようにして吠え続けるフレディをギッと睨み付け、ギリリと歯を鳴らし、ジュンヤはバースから刀を離して彼女の元ににじり寄った。


「さあ、行こう」


 ジュンヤの視界から外れた。

 バースはやっと通信機を手にする。焦って操作が上手くいかず手間取りながらも、何とかハロルドの端末に回線を繋ぐ。だがこんな状況でどうやって助けを呼んだらいいのか。声を発すれば、再び自分に刃が向けられるのは必至だ。


『どうした、バース』


 ハロルドの声が通信機からわずかに漏れた。何とか、食堂のこの会話を聞き取ってくれたらと、一縷の望みを賭けて回線を繋ぎ続ける。


「――ディック・エマードは母さんの家族の敵だ。そして君も、彼の犠牲者だ。これ以上の理由が必要なのか。俺は君を守りたい。そのためにだったら鬼にだってなるさ。行こう、政府ビルへ……!」


 テーブルと椅子の山を乗り越えて窓際のエスターたちまで迫ったジュンヤの目は、鋭く光っていた。

 大きく身体を屈ませ勢いをつけて飛びかかるフレディに、ジュンヤは刀をふり落とした。金属同士が触れ合う不快音が響き、フレディは床に叩きつけられる。立ち上がり今度は足元を狙うと、ジュンヤは足を振り回して彼を後方のバースたちの所まで蹴飛ばした。通信機を持ったまま、バースは抱え込むようにしてフレディを抱き寄せる。

 エスターは顔を青くした。


「ジュンヤ、なんてことを」


 前に出たメイシィを、ジュンヤは大きく左手で押しのける。


「母さんには悪いけど、俺は俺の考えた道を選ぶよ」


 右手の刀を逆手に持ち替え、手早くエスターを自分の胸元に引き入れると、ジュンヤはぎゅっと彼女を抱き締めた。いつもと変わらないジュンヤの温もりが、エスターを包み込んでいく。


「ジュンヤ、やめようよ、こんなこと」


 震える彼女のセリフにも、彼は動じない。おもむろにジャケットの左ポケットから取り出した赤い二つ折りの携帯端末を開き、中央のスイッチを押す。ジュンヤの左手の中で端末が青白い光を帯び始めた。

 再び吠え始めたフレディの背中を撫ぜ、静めながら、バースは通信を続ける。


『オイ、応答しろ、何が起きてる。バース、聞こえてるのか、バース』


 通信機の音声が高くなる。


「聞こえてる。聞こえてるけど、ジュンヤが――」


 耳に機器を押し当ててヒソヒソと会話するバースの腕を、ロックが掴んだ。


「バカヤロウ、通信なんかしてる場合かよ。走れぇ!」


 胸の傷を押さえながら、ロックが雄叫びあげて立ち上がった。青白い光がなんなのか、ロックにはわかっていた。アレは空間転移装置の反応の色だ。早くしなくては、転移が始まってしまう。

 バースも通信機片手に、足をもつれさせながら追いかけた。

 そのすぐ前を、ロボット犬のフレディも吠えながら駆けていく。

 エスターを助け出そうと手を伸ばすメイシィに、ジュンヤは刃を向けている。どうすればあの長い刃物からエスターを守れるのか考えている余裕などない。とにかく、無理矢理でも体当たりして手から武器を落とさなくては。思っているのに、足元のテーブルと椅子が進路を塞ぎ、間に合いそうもない。

 フレディが勢い付けて飛んだ。間に合うかどうか、ジュンヤの胴体部分目掛けて突っ込んでいく。


「貸せ!」


 追い詰められたロックは、回線の繋がったまま通信機をバースから奪い取り、ジュンヤ目掛けてぶん投げた。


「間に合え!」


 ぐるぐると横に回転しながら、黒い通信機はジュンヤのまさに頭の位置へ。

 そのときだ。

 携帯端末から放たれた光が、突如強さを増してジュンヤとエスターを包み込んだ。

 フレディと通信機は二人の胴体をすり抜け、そのまま窓に激突する。

 転移が、始まった。

 完全に青白い光で包まれた二人は、空気に溶け込むように消えていく。

 その様子を、三人はどうすることも出来ず、ただ見つめるしかなかった。

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