42・絶望の淵で

 薄暗い地下空間、あちこちで燃え上がる炎。そして、何度も立ち上がる不死身の兵たち。

 戦闘員たちの体力も精神力も限界に近付いていた。仲間の動きを確かめながら、失敗作たちを投げ飛ばして急所を撃つ。それでも、息が続く限り奴らは向かってきた。全身がきしむ。しかし、今はそれどころではなかった。守ると約束したはずのディック・エマード博士が、キースの目の前で傷だらけになっているのだ。甘く見た訳じゃないが、戦況はかんばしくない。

 No Code――、コードで支配された世界の中でその所持を認められない存在、人間ではないもの。

 多くは人体実験のため人工子宮の中で育てられ、遺伝子サンプリング後、施設に預けられる。動物との遺伝子の掛け合いにより生物バランスを崩した者や、遺伝子異常、発達障害のため手足の本数が違うもの、人間の形さえしていない者も含まれている。彼らには基本、人権はない。人間としてではなく、実験道具や兵器として活用される。しかし彼らのうち、精神状態の正常な者は政府の従順な兵士として訓練を受け、政府に反旗を翻すアナーキストたちを殲滅する任務を負う。また、頭脳レベルが異常発達した者は、研究員としてビルに迎えられている。

 目の前にいるのは、その中でも“失敗作”と呼ばれる者。脳が異常に小さく精神異常をきたしているため兵士としても研究員としても将来性がない。兵器の威力実験、人体実験などで生涯を終える。恐怖を感じぬよう手術を施された、人型の兵器。身体の一部が損傷しても、彼らの攻撃は止まない。

 攻撃を回避しながらディックへと歩み寄れば、遠方からパメラの散弾銃が足元を狙い撃ちしてくる。また数歩下がる、の繰り返し。


「坊やのお相手は後ろでしょ」


 ニヤと笑う視線の先から失敗作が数体迫り、キースは慌てて腰を屈めた。

 キリがない。

 相変わらず視界は悪い。そして酸素も薄くなっている。体力があとどのくらい持つのか、このままでは敵を倒すどころか博士の救出さえままならないと、そればかり頭に浮かんだ。



 *




 ディック・エマードはエドモンドの、一般成人男性の二倍はありそうな大きな右手のひらの中にいた。

 何度も腹部に浴びせられたボディーブローは彼の胃液を逆流させた。喘ぎ声を上げるディックの頭蓋骨を砕かんばかりに鷲掴みにし、巨木のような太い左足で更に腹部に蹴りを入れる。抵抗出来ない人形のようにディックの身体は激しく揺り動かされていた。

 一九〇センチ近い彼が、まるで子供のようにさえ見えてしまう。ブンという大きな揺れを最後に、エドモンドはディックをコンクリの瓦礫の中へと叩き込んだ。砕けた柱から突き出た鉄筋の鋭い切り口が、攻撃を喰らったディックの腹部に更なるダメージを与える。


「リーの言うとおり、年を食いすぎているのか、まるで手応えがない」


 二メートルを大きく超える黒人の大男は、ぎょろりとした眼球を光らせながら、次の攻撃のためのっそりとディックに歩み寄った。


「ただの、人間じゃないな。やっぱり、お前も、NCCの」


 傷を負った腹部を軽く抑えながら、ディックは立ち上がろうと必死に腰を上げた。出血はないが、内臓の一部がやられているとはっきりわかる痛みがあった。呼吸が辛く、苦しい。爆撃により室内に充満した粉塵が症状を悪化させる。意識が朦朧としてくるのがわかる。


「エドモンドは、筋肉増強、肉体改造によりサイボーグ化した最強戦士。わしの研究の成果、すまんがここで試させてもらう」


 狂気に満ちたスウィフトの一言。

 ディックは再び老人を狙い、銃を構える。


「無駄だ」


 低い声と共に蹴り上げたエドモンドの左足が、ディックの手にヒットした。緊張の呪縛から解き放たれたデザートイーグルは、カラカラと音を立てて数メートル先まで転げていく。彼は息を飲んだ。絶対的な身長差、体力差、そして支援を見込めない情勢。

 勝ち目がない。エスターを助けなければ、早くこの状況を打破しなくては。

 思えば思うほど思考が空回りし、追い詰められていった。

 ギリリと歯を鳴らし、ディックは構内全体を見回した。失敗作に完全に押されているドームの戦闘員たち。あちこちにある残骸を慣れた足取りで駆け巡る敵に、今のところ打つ手なし。よく見ると少し離れた壁の付近で赤毛の女パメラが誰かと交信している。通信機を耳に押し当て、神妙に何かを聞きとった後で、



「“E”確保、確保ですね。了解!」



 自信に満ちたパメラの声。



「じいさん、エド、撤去よ! ウメモトの坊やがうまく“E”を確保したわ」



 ──ついさっきの会話だ。制御室でアンリと話していた、『敵が迷わずこちらに向かっているのはなぜか』と。この広いドーム群で、居場所を突き止めるのは容易ではないだろうと。『それとも、別に政府との連絡役が存在したのか』自身の発した他愛ない台詞、それが現実だったとは。よりによってその連絡役が、ジュンヤだったとは。

 完全に、リーにしてやられた。



――『命の続く限り、守ってやる』



 エスターに約束したばかりだのに。

 あの震える肩を、抱きしめたばかりだったのに。

 また、彼女に辛い思いを。

 怒りが込み上げ、同時に体が軽くなる。

 ディックは懐からキースに渡されていた光線銃を取り出し、乱射した。エドモンドの足、体、腕、首筋に数発命中、よろめき倒れたところで、体当たりする。巨体が瓦礫に埋もれてジタバタするのを横目で見ながら、素早く零れ落ちたデザートイーグルに駆け寄り拾い上げた。

 ディックの動きを察知し、ナイフを振りかざしてきた失敗作の額をマグナム弾が突き破る。血飛沫を上げながら倒れていくその上を大股で飛び越え、走った。赤い斑点が汚れた白衣に付いて、おどろおどろしさが増す。彼はその色に背を押されるように、もっと走る、走る。

 無意識に、彼は叫んでいた。声にならない声が、彼の悲しみと憤りを表しているのか。切なく、途切れそうな声。

 ディックを援護し、失敗作らがその道を阻まぬよう必死で食い止めるキースたち。

 デザートイーグルから放たれた弾丸の一つはパメラの通信機を壊し、戦闘員たちの援護射撃により、彼らの放った光弾のいくつかが三人の乗っていたバイクに当たった。荷台に積まれていた爆薬に引火し、破裂、無数の爆音が鳴り響く。

 スウィフトは慌てて、持っていた四角い端末のボタンを押した。離ればなれに立っていた黒いライダースーツの三人を、青白い光がそれぞれ包みこんでいく。


「逃がすか!」


 キースたちは必死に彼らを撃ち続けたが、最後まで手応えはない。やがて光は消え、炎と残骸を背景に、NCCの失敗作と自分たちだけが取り残される。

 火の勢いが、激しくなってきた。視界も悪い。不完全燃焼の、鼻を突く匂いが立ち込める。

 失敗作らは爆発に巻き込まれ、ほぼ壊滅状態だ。火傷を負いつつ攻撃してくる数人を、銃撃で倒していく。

 持ち込んでいた科学消化剤を投入しても、火は収まらない。まるでディックたちを嘲笑うかのように更に勢いを増した。

 銃を下ろし、腰に付けていた防塵マスクを被ったキースは、戦闘員たちに告げる。


「ここはもうだめだ、敵を封じて、撤退する」


 力尽き、膝を落とすディックの肩を、キースは自分の背中に回した。

 呆けた中年男の身体は、有毒ガスを吸い込んだ彼の上にずっしりとのしかかった。

 避難路へ向かう。大きな鉄の扉を封じ、無線でアンリにロックを依頼する。

 生き残った失敗作は何とかL地区に封じ込めた。だが、結局それだけだ。

 戦いの犠牲はあまりにも大きい。

 避難路を戻る彼らの表情は、皆一様に悲痛だった。

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