38・迫る

 ハロルド・スカーレットが騒ぎを知ったのは事件発生から数分後のことだった。

 ハッチに続く荷物の長い列を追い抜いて、ドーム側から見慣れぬ若い男が走ってくる。ドームの人間だ。彼は全速力でハッチの直ぐ下まで来ると、


「ハロルド・スカーレットさん、いますか。スカーレットさん!」


 息も絶え絶えにハロルドを呼ぶ。

 荷物の配送指示をしていたハロルドは、慌てて彼に駆け寄った。


「ハロルドは俺だ。どうした」


「ば、爆破。ドームが襲撃されて──、アンリさんがエマード博士と共に事態収拾に当たるというので、報告を」


 あまりの息苦しさに男は咳き込み、苦しそうに胸を掴んだ。

 ハロルドはそんな彼の背を大きく撫ぜてやる。


「わかった、ありがとう。ディックのやつは通信機器を持たないから、いざとなったらこういう連絡手段しかないんだもんな。ご苦労だった。俺達も協力したいが、どうすればいいって言ってた?」


「もう少しで荷物が運び終わるだろうから、まず全て積み込んで、いつでも離陸できるようにしておいてくれと。いざとなったら飛空挺で飛び立てるように」


 ドーム側から渡された荷物リスト、ハロルドは人差し指でトントンと残数を確認した。


「確かに、あと数個で完了だな。わかった。こちらからも指示を出しておく」


 ドームに戻っていく男の背を見つめながら、ハロルドは自分の胸にもやがかった不安を感じずにはいられなかった。何が起きようとしているのか。このタイミングでの襲撃、これはどう見ても……。そこまで考えて、彼はブルブルッと肩を震わした。

 生ぬるい風が吹き出して草原を駆け抜け、彼の身体を舐め回すようにまとわり付いて消えていく。じっとりと汗ばみ、急に喉が渇く。ふと顔を上げると、巨大な球形の要塞の陰に隠れるようにして、太陽が嫌なくらいにさんさんと輝いていた。空一面に雲が広がり始め、日の光を乱反射させる。まばゆいばかりの光で要塞が一層黒く浮かび上がり、ハロルドの心を騒がせた。

 嫌な予感がした。言いようのない息苦しさも。しかし考えていても、何も始まらない。

 ハロルドは考えを断ち切るように、両頬を両手のひらで勢いよく叩きつけた。



 *



 監視モニターと制御パネルに囲まれた狭い室内で、男数人真面目な顔でテーブルの上の大きな紙をにらんでいる。ドームの見取り図だ。被害状況を確認し、アンリがペンで被害区に印を付けていく。

 地上の小さなドーム一つ一つにアルファベットが振られ、更にその中の重要な箇所には個別番号、地下空間もかなりの面積があるらしく、おびただしい数の記号が散りばめられている。地下最下層部分に当たる、エリアX-2からZが、最初に被害を受けた場所。監視モニターでは、更にエリアU-5に非常ランプが点灯している。


「どんどん、こっちに近づいて来てるぞ」


 隣で様子を見ていたディックが、図の被害箇所を指でなぞった。

 アンリは腰掛けた椅子を左右に回しながら、指先でペンを遊ばせていた。監視モニターと見取り図、ディックを交互に見つめ、


「確かに。迷わずこっちに向かってるね。どうしてだろう。まさか、誰か発信機でも持ってるとか。まぁ、人工衛星なんかで要塞の位置が確認できれば、その付近に僕等がいることも容易に想像できるだろうからね」


 落ち着いた様子で、事態を静観している。


「人工衛星は……、ないはずだ」


 ディックが呟いた。

 アンリは「えっ」と、思わず顔を上げる。彼の指の動きが不意に止まった。


「人工衛星を使い続けている必要がないんだ。ドームから出る事がなかったから、数百年前衛星の機能を停止させ地上に落としたと聞いたことがある。衛星から映像が届けば、この星が回復に向かっていることが目に見えてしまうからな。政府は人間をドームに閉じ込めておきたかった……、故に人工衛星の存在は邪魔でしかない。別の方法でここに俺達が来ているのを突き止め、攻撃を仕掛けているんだろう」


 思いも寄らないディックの言葉に、アンリは沈黙を強いられてしまった。


「──ハロルドからの連絡方法、ここのコンピューターの回線、それとも別に政府との連絡役が存在したのか。今はそんなことを考えている場合じゃない。敵の様子は、熱感知はどうした」


 ディックの視線が、共に見取り図を見入っていた制御室担当の少年、マイクに注がれる。少年はその厳しい視線に肩をすくませ、慌てて監視モニターを確認にいく。


「す、すみません、エマードさん。ええと……、サーモグラフィはエリアOより上の層、つまり、地下シェルター跡から上の部分にしか設置してないんですが……、エリアLに、生物反応があります。三人、何かに乗ってます。この形はバイクかな。最初の爆破が確認されてから今までの時間で、これほどの距離を進んだということは、ここまでやってくるのは時間の問題かと」


 びくびくしながらも、マイクは自分なりに事を分析して伝える。

 かつてのイタリアからフランス地方にかけて広がるドームの地下には、二千年以上前の遺跡が今も残る。消え去った文明の痕跡の上に次々に都市が築かれ、石造りの教会跡地、井戸、住居跡などが形をとどめているのだ。まるで古代の風が漂っているかのように。更にこの上層に大戦前の地下シェルター跡、そして現在のEUドームが築かれているらしい。

 地下遺跡からシェルター跡にかけて、監視区域内の被害箇所ではスプリンクラーが作動し、延焼を食い止めているはず。しかし次から次へと爆破され、正常に作動しているか確認すら危ういとも、彼は言った。

 ディックはうんうんと頷きながら、なにやら思案している。


「ドームに穴を開けて崩落させるつもりなのかな」


 アンリも考えあぐね、ツンツンに立てた前髪を掻き毟り、またぎこぎこと椅子を揺らす。


「時間がない。戦闘員と非戦闘員に分け、体制を固めろ。非戦闘員は消火活動、戦闘員は武器庫からできる限り武器を持ち寄って、攻撃準備。指示は出さないのか」


 と、ディック。

 それに反論するように、アンリはぐんと勢いよく立ち上がった。


「いや、武器よりも、このドームを守る事が先決かも。相手の目標が何なのかによっては」


「どういう意味だ」


 ディックがいぶかしげにアンリの顔を覗きこむ。


「“マザー”からの情報では、あなたは政府総統であるティン・リーの標的になっているという。さっきも言ったけど、ESの飛空挺がここに来た事によって起こった騒動なら、もしかしたら今度の襲撃は、やっぱりあなた一人を引き摺り出すためじゃないのかって思ったんだ」


「つまり、何か? 武装するのは俺だけでいいと」


 眼鏡の奥に光る深い青色の瞳を向けられ、アンリはバツが悪そうに目を逸らした。正直な見解とはいえ、鬼気迫るこの男に進言するには勇気がいったのだ。

 ディックは、そんなアンリの気持ちを知ってか、ポンと軽く肩を叩いて、


「いや、読みは悪くない。相手の人数、これだけの施設を全部ぶっ壊すには少なすぎる。デザートイーグルだけは持ってきたが、弾がなくなればお終いだ。貰えるか」


 思ったよりもすんなりと聞き入れたディックに、アンリはほっと胸を撫で下ろした。


「ええ、大丈夫です。もちろん援護しますよ。博士に死なれたらこっちだって困る。精鋭のみ同行で、他は消火活動に当たらせるつもりだけど、いいかな」


「仕方ない、それで行こう。このドームがなくなれば俺も困る。“マザー”とやらとお目にかかれなくなるからな」


「盾にするようで申し訳ないけど、こういう展開だしね。──“NCC出身”なんでしょ。寧ろ戦闘には慣れてる?」


 “NCC”の単語に、ディックは一瞬ぴくりと眉を動かすが、


「さあな、昔の事だから、どうだか」


 と、話をはぐらかした。

 この年でこんな修羅場を通る羽目になるとは思ってもみなかったのだ。

 ゴツゴツした、皺の刻まれたディックの手。守ることより壊すことを教えられ、生きてきた過去。どんなに後悔しても後戻りは出来ないことを、彼は知っていた。

 その手に握られるのが、いつも大切なものではなく銃であったこと。

 全ての災厄は自分に降りかかってくること。

 何も知らされずに苦しい道のりを歩んできた彼にとって、アンリの知っている情報は、喉から手が出るほど欲しいものだった。そのためには、再び銃を握る事もいとわない。この身が再び血色に染まっても……、自分と娘、そして亡くなった妻を貶めた男の情報を得るためなら何だってする。

 ディックはバシッと、自分の両頬を勢いよく叩いた。指先が眼鏡に当たり、軽くバウンドした。

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