37・侵入者

「それは?」


 そんな状況でさえニヤニヤと面白がるアンリとは対極的に、ディックの身体は嫌な汗でぐっちょりと濡れている。苦しい程心臓が高鳴り、血が物凄い勢いで頭に上っていくのがわかった。血圧の急激な上昇に焦りつつ、彼はこう続けた。



「全て、リーの……、ティン・リーの仕掛けた罠だったと」



「そういうことになるよね」


 言い終えて、ディックはアンリから手を離した。

 考えたくないが、認めたくないが、もし、それが本当だとしたら恐ろしいことだと、常々思っていたのだ。

 アンリの口に乗せられたとはいえ、それを認めてしまったことは、彼にとってかなりの屈辱だった。それは、リーにしてやられたということに他ならないのだから。


「あなたは、ティン・リーの正体を知らないんだよ。あの人が、政府総統が、どういう人物で、何を考え、何のために動いているのか。──知るべきだ。自分自身のこととともにね。いつまでも逃げていては勝てないよ。やられっぱなしは嫌だろ。手を貸すって言ってんだよ、マザーと会話の出来るこの僕が。あの男の手の内、全てはわからないにしても、過去の出来事の矛盾点を辿っていけばいくらかでも謎が解けていくと思うんだよね。どう、結構役に立つと思うけど」


 目の前のアンリが憎たらしい。

 リー程ではないが、この人を茶化したような喋り、態度。まだあの時よりはマシだとしても、それに似たようなとてもマトモじゃない心境だ。

 何かきっかけになるようなことがあれば今すぐにでも我を失ってしまいそうな自分がいる。ディックは冷静に、自分の精神状態を分析することに努めていた。そうしなければ、懐に隠し持った銃で、堪らずアンリの頭をぶち抜いてしまいそうだったから。


「お前は、それを知ってるっていうのか。あの男の目的、正体……」


 アンリは嫌な笑いを浮かべ、人差し指をくるくると回しながら、


「あなたが協力するというまで、手の内は見せない。当然だろ。すぐに結論を出せとは言わないけど、早いほうがいいと思うな。政府の奴らだって、馬鹿じゃないんだから、こうしている間にも──」


 グラッと、建物全体が揺れた。

 遠くで複数の爆音。

 そして、ビー、ビー、ビーという、けたたましい警報。

 二人は会話をやめ、顔を見合わせた。

 よからぬことが起こった合図だ。システムが一気に非常事態モードに突入したらしい。部屋一面のモニターが赤く点滅を始めている。

 どたばたと足跡が聞こえ、勢いよくドアが開く。


「アンリさん、大変です。地下から侵入者が!」


 一人の少年が息を切らしてやってきた。驚きどよめく人々の声が、廊下に乱反射している。


「地震か?」

「爆発だ、地下が燃えてる!」

「早くドームの外へ!」


 足音に混じって聞こえる声。

 アンリの顔つきが変わった。今までと違う、厳しい表情。大きく息を吸い込み、深呼吸。回転椅子を弾くように払いのけ、Gの部屋から飛び出す。まだ煙はない。


「セキュリティシステムが正常に作動してるか、チェックはしてたか?」


 少年の肩を掴み、問いただす。


「あ、はい。制御室で見てました。だけどアンリさん、敵は先史の地下道からやってきたらしくて、最下層のエリアX-2からZの全域、システム範囲外の被害状況までは……」


「仕方ない、あの辺まで行き届かなかったのは、僕らのミス。まさか、そんなところから襲っては来ないだろうって甘い考えが招いた事態なんだから。被害をこれ以上広げないようにしないと。被害箇所近辺の防火扉は閉まってる?」


「はい、勿論」


「そしたら、サーモグラフィーで敵の居場所を突き止めろ。奴ら、コード認識解除の技術を持ってるみたいだから」


「熱探知するんですね。了解です」


 少年が制御室のある方へ走っていくと、ようやくディックが重い腰を上げた。

 二人の会話を遠巻きに見ていた彼だったが、事態が事態だけに口を出さずにはいられなかった。恐る恐る歩み寄り、前傾姿勢で廊下の様子を覗い始める。


「おい、侵入者ってどういうことだ。EPTか」


 この一言を待っていた。

 アンリはいつものニヤニヤ顔に戻り、くるりと振り返った。非常事態に関わらず、彼のなかで何か面白いことがどんどん膨れ上がってきている。ディックがそんなアンリの不謹慎な顔に益々不快感をあらわにしていても、彼はお構いなしにパンパンパンと手を打ち鳴らし、終いにはこんなことを口走った。


「取引しましょうよ、ね、エマード博士」


 意味がわからない。ディックの眉間にシワが一つ増える。


「今はそれどころじゃないだろ。一刻も早く情報を集め、的確に人を配置させんと。ここでのお前の立場がどんなか俺は知らんが、それなりに責任はあるんだろ」


「そりゃ勿論。ドームにあるセキュリティシステムの監督とか、コンピューターネットワークの管理は僕の仕事だからね。何かあったら連絡が入るようになってたんだ」


「だったら、わけのわからないことを口走ってないで、さっさと動け!」


 アンリは彼の叱咤に臆することもなく、変わらず嬉しそうに右手の人差し指をくるくると回した。


「その前に、さっきも言ったとおり、僕と取引して欲しいんです。タダとは言いませんよ。交換条件てやつです。この騒ぎの原因は、十中八九EPTで間違いないでしょう。あなた方の飛空挺がこの地に降り立ったことをあっちも知っていて、わざと攻撃を仕掛けてきたんですよ。ここで足止めして、先へ進めなくする気です。EUドームが被害を受ければ、地球全体の経済に影響を及ぼすのに、それでも攻撃してきた。──向こうには勝算があるに違いありません」


「つまり、俺達の船のせいで被害にあったから、何とかしろってことか」


「ええ、つまり、そんなところです。今、EUドームで起こってるこの事態を収拾するのに一役買ってもらえませんか。見事解決したら、僕の知ってる全ての情報を教えるのと同時に、マザーにコンタクトさせてあげますよ。どうです、いい考えだと思いませんか。あなたほどの頭脳の持ち主なら、どんな難題だって、潜り抜けられるんでしょう」


 ディックのまん前まで戻ってきたアンリは、彼の顔にぐいと迫って取引を持ちかけた。

 無邪気なアンリの姿に戸惑いながら、ディックはこくんと頷いてしまう。この選択をしてしまったことによって、自分の娘に迫っている危険を回避できなくなってしまうとも知らずに。

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