36・まるで神のような

「──パパが、こんなことを言ってたの。『もし彼が本当に、ただの人間だったとしたらありえない話だ。あの時までは、彼は俺より年上だったなんてな』って。私には意味がわからなかったけど、おばさんの話を聞いてみて、思ったの。おばさんとパパの話には共通点がある。リーは確かにずっと前から存在している。パパより前に生まれて、年もとらず、いろんな顔を持って、パパやおばさんの周囲に現れてる。彼の目的はわからないけれど、これだけは確実に言える。彼はもしかしたら、老いを知らない身体なんじゃないの」


 ばかげたことを言ってしまったと一瞬エスターは後悔したが、メイシィは同意したのかごくりと生唾を飲み込んでいた。


「そうね、多分、そういうことだと思うわ。常識的に考えたらありえない話だけど、もしかしたら何らかの方法で若さを保っているのかも。ディックも、今回のことでそれを知ったのね。だけど、ほかの疑問は残ってしまうわ。リーは何者なのってこと。ディックの敵だということは、島での事件やあなたの話で理解したけど。私が知っているのは医師の姿よ。ディックはどうなの。ディックの知っているリーの姿はどんなだったの。謎が多すぎるわ。シロウが生前、どうやってリーと知り合いになっていたのかも。なんだか嫌な予感がする。全てが仕組まれているような……。たった今偶然に起きたように見せかけて、実はもっともっと前から少しずつ仕掛けられていた罠が、時を見計らって徐々にあきらかになっているような、そんなとてつもなく嫌な予感が。もしかしたら今この瞬間にも、その引き金が引かれようとしているのかも知れない。リーの言葉に感化されたジュンヤが心配だわ。あの子、純粋だからどこまで――」


 メイシィは話の途中で何かに気付き、はっと視線を食堂の入り口に向けた。

 大人しかったロボット犬フレディも、突如として吠え始める。

 ドアのない入り口に立つ、黒い影。瘴気をまとったような、殺伐とした気配。


「ジュンヤ……!」


 エスターが思わず大声を上げた。

 吠え続けるフレディを静めるため、彼女は慌てて犬に駆け寄る。エスターの心に反応したのか、フレディは咆哮を唸り声に変え、ジュンヤを睨みつけた。

 エスターは気が気でなかった。今までどこにいたんだろうという考えより先に、どこから話を聞いていたのかという疑問が頭を駆け巡る。


「なるほど、母さんとエスターが、そんな考えまで辿り着いていたなんてね」


 背筋が凍った。

 冷気が徐々に忍び寄りる。

 二人は無意識に肩を寄せ合っていた。


「リーの正体なんて、考えたって無駄だよ。あの人は神なんだ。俺たちの考えの及びもしないところで、全てを知っていて、全てを操っている。ディックとは真逆の存在だってこと。──わかる?」


 じりじりと詰め寄るジュンヤ。右手に、細く長く光るものがある。エスターが見たことのない武器……、日本刀だ。一体どこで手に入れたのか。飛空挺の中には存在しなかったはずだ。びゅんびゅんと宙を切りながらにじり寄る細身の魔物。見た目にも切れ味がよいことがうかがえる。


「エスター、現実を直視するんだ。正しいのは誰? 光の当たらないところで次々と人を殺していたあの男の言うとおりに生きる意味って何? 闇に引き込み、自分と運命をともにさせようだなんて、父親のすることじゃない。あんな悪魔に従うくらいなら、俺はいっそのこと、あいつの敵になって全ての鎖を断ち切ってやる」


「ジュンヤ、あなた、何をしているかわかってるの!」


 エスターをかばい、大の字で立ちはだかるメイシィの気持ちはジュンヤには届かない。


「わかってるさ。──母さん、どくんだ。あいつからエスターを引き離すには、今しかない。あいつがドームでいざこざに巻き込まれているうちに、俺は彼女をここから連れ出すつもりだ」


 禍々しい神に支配されたジュンヤは、最早元の彼ではなかった。ギラギラと鈍い光を放ち、血に飢えた獣のように、握り締めた刀の切っ先を二人に向けた。



 *



 ディック・エマードは、EUドームの一室“G”と書かれた扉の奥で出迎えた男と対峙していた。

 何も知らされずハロルド・スカーレットの旧友だという男に引き合わされてしまった彼は、初めて出会ったその男の、青いが底なしに陰湿な態度に業を煮やしていたのだ。自分より十以上若い目の前の男が、一体どれほどの情報を握っているのか。手の内を見たい気もするが、知りたくないとも思う。ソファーに座るよう案内されたが、いらいらが募り、腰を下ろすなり貧乏ゆすりが止まらなかった。


「まあまあ、落ち着いてくださいよ」


 その男、アンリは不敵な笑みでディックを見下した。

 目の前に出された珈琲の香りは確かによいが、ディックの気持ちを落ち着かせるほどではない。

 大体、この部屋も落ち着かない要因の一つ。めちゃくちゃに張り巡らされた回線とモニターのひしめき合う室内。機械音と熱を誤魔化すような冷房が、必要以上に効いている。悔しいくらいに動揺している自分に、嫌気が差すほどに。


「何を知ってる。何故、ハロルドを使って俺を呼び寄せたんだ。あいつの旧友だなんて言ってたが、それは一方的にハロルドが思っていただけで、実際は俺が目当てであいつに近づいたんだな。違うか?」


 気持ちを静めつつ、ディックはアンリを上目遣いに睨みつけた。

 ローテーブルに回転椅子を近づけ軽やかに座ると、アンリはそんなディックの態度に目もくれず、ニコニコして彼の問いに答えた。


「ご名答~。流石だね。そう、あなたがESにいることは、マザーからの情報で大体わかってたから。カマかけてみたら案の定、あなたに辿り着いたんだよね。噂に違わず面白い人物だよ、あなたは。マザーも総統も御執心になるわけだ」


 棘だらけの話し方は、決して温和とは言えないディックの気に障る。


「さっきから『マザー』『マザー』と。まるで“マザー・コンピューター”に人格があるような言い草だな」


 ディックはフンと鼻を鳴らす。


「あれ、知らないの。そうだよ。マザーには人格がある。美しい女性の人格だよ。それはまるでこの世界を包み込む、温かな女神のような優しく大らかで心地よい人格──。まぁ、あなたのように、機械はあくまでも無機質な物体だと決め込んでいる人間にとっては、到底考えられないことだと思うけどね」


 アンリの一言一言がディックの神経を逆撫でする。とにかく、耳障り極まらない。


「事は……世界の成り立ちまでさかのぼるんだ。先史での世界大戦により地上にある全てが核に汚染され、人間は地上で生きながらえることを拒絶された。それを救ったのは地上を機械で覆い、ドームの中で人間が暮らせるようにしようと提案した科学者たち。だから、ドームの地下には未だそのときの地下シェルター跡が網の目に残っていて、後の世に残った僕らは外の世界を知らない。これは誰だって知ってること。──だけどね、歴史にはいつでも裏がある。地下シェルターの奥に眠っていたメイン・コンピューター……これは今でも現役で、データの蓄積に使われているようだけど……そいつは、一人の科学者が手を加えることで、人工知能、つまりAIを持った。AIはどんどん発達し、やがて、メイン・コンピューターは“マザー”と呼ばれる別のコンピューターシステムを作り出し、そこに全ての人格を移動させたんだ。マザーはEPT政府管理下に置かれ、政府が人類を治めるのに力を貸した。つまりこういう流れからしても、マザーは神に他ならないと思うんだよね、僕は。全てを見守る女神様ってところだよ」


「そこまでは、俺だって知らないわけじゃない。AIの研究をしていた時期にちょっとだけ聞いたことがある。世界最高のAIは“マザー・コンピューター”だと。我々人類がそれを凌ぐAIを作ろうとするのは無理かも知れないが、それに準ずるものを作るのは可能ではないかと。だがそれはあくまでも、そういうプログラム。人間と同じように人格を持つ機械だなんていうのは、夢のまた夢のような話だと俺は言ってるんだ」


「あなたがAIの研究をしていたあのラボで起きた事件、偶然じゃないとしたらどうする」


 アンリが突然、揺さぶりをかけた。

 ディックは「何のことだ」と口にしようとして、やめた。


「あの事件、いや、その後あなたが謀反を起こすことも、あの島で再会することも、そのメンバーさえ緻密に計算されたことで、あなた方は作り上げられた舞台の上で踊らされている役者に過ぎないとしたら」


「ちょ……、ちょっと待て。何が言いたい。それは──」


 テーブルをドンと叩き立ち上がり、ディックはアンリの胸倉をがしと掴んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る