35・シロウとリー

 飛空挺の通路にせわしない足音がこだました。食料用倉庫の入り口が大きく開け放たれ、ハッチから次々と物資が運び込まれる。

 通常、正規ルートから食料を入手するとすれば、政府の目をかいくぐることは困難。例えESを秘密裏に支援している企業体がいくつもあったとしても、不自然な需要が目に付くからだ。地球上の食料生産を一手に担うEUドームから直接仕入れ出来ることで、いくつかのリスクが回避できるのはありがたい。現実的にそれを可能にしたのは、EUドーム群が政府から孤立するような立場をとっているということ。普段は殆ど関わり合いがないながらも、こうしたときに援助してもらえるというのは心強くもあった。

 食料庫に残ったわずかな食材で調理に当たってくれていたメイシィも、ようやく食材が手に入るとなるとご機嫌で朝から鼻歌が止まらない。指定席の調理場で包丁を研ぎながら、あれこれメニューを思案している。あまりにも嬉しそうな彼女の姿を見て、ESの誰もが今日の献立を想像しよだれを拭わずにはいられなかったくらいだ。

 ハッチから地上に伸びた長い降り口からベルトコンベアーのようにどんどん箱を運んでいく男たちの様子を、エスターは食堂の窓辺で遠目に見ていた。時折ロボット犬フレディの頭をゆっくり撫ぜながら、興味深げに覗きこむ。


「女性は手伝う必要はないよ」


 年上の整備士ロックが言うので、良心は痛むが彼に従った。一つ当たり一メートル四方もある大きな段ボール箱がどんどんハッチの中に流れては消えていく。ここは力自慢の整備士たちの腕の見せ所。せっせせっせとリズムよく運ばれる箱の下で、身体の小さなバースが押し潰されそうな小さな身体でもがいているのが見えて、エスターの口元が少し緩んだ。

 ドームへ向かったディックからは音沙汰が無い。

 ハロルドは最初の食料箱と一緒に戻ってきてあれやこれやと皆に指示を出していたが、ディックのことをエスターが尋ねると、「ちょっと面会中なんだ」と話をはぐらかした。最後に見たジュンヤの様子がいつもと違ったのを少しでも早く相談したかった彼女は、機会を失い落胆していたのだった。

 窓に張り付くようにして外を眺めるエスターに、食事の後片付けを終えたメイシィが声をかける。


「ディックはまだ来ないの。面会って、どんな人にかしらね」


「私もハルに聞いたんだけど、教えてくれなくて」


 ハルというのは、ハロルドのことだ。


「なんだか嫌な予感がするわ。あの二人、何か隠してるに違いないんだから」


 ツンとしてため息をつくメイシィの言葉に、エスターは便乗するようにこう切り出した。


「あの、メイおばさん。ジュンヤのことなんだけど……、最近、会って話した?」


「いいえ。あの子、すっかりこもりっ放しで。食事は届けに行くんだけど、姿を見せないのよ」


「おばさんも、見てないのね……」


 大きく表情を沈ませるエスター。

 メイシィは少し身体を屈ませた。


「あら、ジュンヤがどうかしたの」


「あのね、パパとハルがドームに行く少し前にちょっとだけ話をしたんだけど、なんだか酷く思いつめたような顔をしていて。いつもの彼じゃなかったような気が」


 ラフな格好しかしたことのなかったジュンヤが、どこから入手したのか真っ黒なスーツに身を固め、深刻な表情でいたのを思い出した。殺気立ったような、ピリピリした態度。まるで、あの島で出会ったあの男を彷彿とさせるような──、明らかに染まってしまっているようなジュンヤの姿。


「島でリーに出会ってから、ジュンヤ、様子が変なの」


 やるせなさが込み上げてくる。彼の気持ちを察することもかなわない自分に腹が立つ。

 長い間同じ屋根の下で暮らしていたというのに、彼の心境の変化に微塵も気付くことの出来なかった自分。あの衝撃的な出来事に、自分の不幸ばかり見てしまい、隣にいたジュンヤのことまで頭が回らなかったのだと言い訳をしている自分に……、エスターは腹立たしく、肩を震わせていた。

 メイシィの温かい腕が、そっと細く頼り気ない彼女の身体を抱きしめた。本当の母親のように親身に接してくれるメイシィに、エスターは溢れる思いをぶちまかす。


「リーの言葉が頭から離れないって、ずっと言ってたのに。もっと早く気が付くべきだったんだわ」


 エスターの頭の中には、リーの最期の姿が浮かんでいた。両手を広げた、神の使徒のようなあの姿。忘れようと思ってもなかなか忘れられるものではない。残像を消し去るように、メイシィの胸の中でエスターは何度も首を横に振った。


「ねぇ、エスター。さっきから気に掛かっていたんだけど」


 しかしリーの残像は、メイシィの一言で、消えるどころかくっきりと浮かび上がっていく。


「島にいた男の名前は、“リー”というの?」


 訊かれて、エスターは顔を上げた。


「う、うん。そう。“ティン・リー”って、言ってたわ。黒髪で綺麗な顔立ちの、年上の男の人」


「その人、本当に、“ティン・リー”と名乗ったの」


「そうよ。──メイおばさん、どうかしたの」


 リーのフルネームを聞いた途端、メイシィの顔色が変わった。


「リーは、私の命の恩人よ。EPTの研究施設から逃げた瀕死の私の手当てをしてくれた、非政府医師団のメンバーだったはず」


「え、どういうこと?」


「それに、リーを私に紹介したのは他でもないシロウだったのよ。それが、どうしてディックの標的に。どいうことなの」


「メ、メイおばさん、何かの勘違いじゃ。だって彼、どう見ても二十代で、おばさんよりずっと年下に見えたわよ。パパだけじゃなくて、おばさんまでそんなことを言い出すなんて。どうかしてるわ」


「二十代? まさか! 私がお世話になったとき、彼は二十五、六だったはずよ。あれから二十年以上経っているのだから、ディックみたいに中年のおじさんになっているはずだけど。エスター、あなたの勘違いじゃないの。本当に、彼は“ティン・リー”だったの?」


「嘘じゃない、ホントよ!」


 言い合ううちに互いの台詞に矛盾が生じる。メイシィとエスターはしばらく沈黙し、互いの台詞の意味を考えた。

 食い違っている。年齢、リーの職業。二十数年前にメイシィ出会った彼と、今の彼。ディックの『自分さえ実験に使われていた』という証言、そしてメイシィが言う『医師団で働いていた』彼。反政府組織ESのリーダーだったシロウ・ウメモトとリーの関係……。

 あの事件後、ディックの部屋で聞かされた、過去の話を照らし合わせる。すると、一つだけ、全てにおいて一貫している事実がある。


「ねぇ、メイおばさん。変な風に思わないでね」


 エスターは恐る恐る、メイシィに自分の推理を語りだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る