Episode 09 EUドーム襲撃

33・地下通路

 もう何十年も使われていない、薄汚いトンネルの中に二つの細い光が走った。光は飛沫を上げ、奥へ奥へと進む。

 ヘドロ化した下水が底に溜まったこのトンネルは、かつて点在した世界各地の地下核シェルターを繋ぐためのもの。しかし今はその姿をドームの下に隠すのみ。大戦後しばらくは頻繁に人や車が往来し、食料や物資を運ぶために欠かせなかったそれも、月と火星の開発が進むにつれ不要になりいつしか封鎖される。

 EUドームでの食料・工業品生産が活発化し、ドーム間での物資移動が必要になっても、その通路は使われることなく廃墟と化してしまった。空間転移装置が発明され、大量輸送が簡単に行われるようになったためだ。今や移動手段さえ、電子化してしまったのだ。

 忘れられた通路を走っていたのは、二台のエアバイク。光はその前照灯だ。

 車輪を持たず宙を滑るように走るそのバイクの一台には赤毛の美しい女、もう一台には厳つい身体をした黒人の大男としわがれた老人。三人とも、ヘルメットの中で鼻をつんざくような臭いに絶え、揃いの皮製の黒いライダースーツをまとっている。

 ヘルメットからはみ出した風になびく美しい髪の毛を押しのけるように女は振り向き、少し後ろを走るもう一台のバイクに視線をやった。


「総統閣下の命とはいえ、こんな通路を通るなんて正気じゃないわよ! ねぇ聞いてる、じいさん!」


 ヘルメット内臓のインカムから甲高い声が飛び出す。


「うるさいわい! 聞こえとる! パメラ、おぬしが言うことはもっともじゃが、これ以外移動手段がないのだから仕方なかろう。我慢せい」


 キンキン声を振り払うように怒鳴り散らしたスウィフト老人は、バイクから振り落とされまいと必死で大男の腰に掴まっている。風圧で細い腕がちぎれそうになりながら。


「出来ることならば転移装置で軽々と移動したいところじゃが、EUドームにあった装置は勝手にプログラム変更されとって、地球からじゃ行けないようになっとるそうじゃ。月や火星の装置は丁度メンテナンス中で稼動できんし、遠回りも無理。ヤツらわかっていてこの時期を選んだのか、偶然なのか。ともかく、今EUドームに侵入できる方法と言ったらこの古い通路だけ。それでもワシらが行かねばならんのは、このチャンスを逃せば、今度“E”を捕らえるチャンスがいつになるかわからんからじゃろ」


「ええ、わかってるわ。新参男が“E”を捕獲するには、私たちがエマードの足止めをしなくちゃいけないってこともね。……武者震いがするわ。一体エマードって、どんな素敵なおじ様なんでしょうね」


「想像するのはお前さんの勝手じゃが、あんまり期待せんほうがいい。あれはまっとうな人間じゃない。恐ろしい男じゃぞ」


「あーら、だから楽しみなんじゃない。私、あの時の興奮が忘れられないのよ。政府の目をあざむいて、飛空挺をこしらえていたあの周到さ、大胆さ。一体彼はどういう人物なのか、この目で見てみたいわ」


 イヤホン越しに、パメラとスウィフトの会話を聞いていた大男エドモンド・ケインは、彼女の興奮したような声に苛立ち眉をひそめた。



 *



 数時間休み無しで走り続け、やっと通路の出口が見えてくる。

 ラストスパート、ようやく辿り着いたことに歓喜し、滑り込むようにしてかつてのドーム連絡通路出入り口前にエアバイクを停めた。


「やっと着いたわね」


 ヘルメットを脱ぎ、ずっと我慢していた水分補給を済ますと、パメラは生き生きとしてもう一台に乗り込んだ二人に顔を向けた。

 エドとスウィフトも思い思いに水分や栄養を補給し、一息ついていた。最悪の路面状態に、既に一仕事終えたような表情をしている。


「さあて、これからが本番よ」


 ガシャンと銃に弾を装填する音。石造りの地下街によく響く。


「準備はいい、じいさん、エド」


 燃え盛るような鮮やかな赤い髪を振り乱し、黒のライダースーツから豊満な胸をのぞかせてパメラは言った。

 華奢な身体に似合わぬ大きめの散弾銃。黒光りし、妖艶な女に花を添える。


「まずまずじゃがな……、出来ればその前に、この臭いを何とかしたいもんじゃ」


 大男の運転するエアバイクの後部座席で、ウィフト老人がぼっそり呟く。この一言は、パメラが言うまいとしてじっと飲み込んでいた言葉だった。


「じいさん、それは言わない約束! 好き好んで地下道通ってきたわけじゃないじゃない。私だって、臭いの我慢してるんだから。あ~、イヤイヤ、私の美貌が台無しじゃない。鼻から臭いが取れないし!」


 パメラは何度も鼻を摘み、もぎ取るような動作を繰り返す。総統の命令とはいえ、暗くじっとりとした地下道を通るのは、気が引けた。こうなることは半分予想できていたのに。彼女は悔しさから、顔中の臭いを剥ぎ取るように何度も自分の頬を叩いた。

 三人からは何とも不快な臭いが漂っている。生臭い、泥のような臭い。長い間使われていなかった地下道をエアバイクで走ってきたせいだ。底に溜まった泥がエアバイクにあおられて飛び散り、全身に浴びる結果となってしまった。おかげでこの臭い。予想だにしなかった事態、必要以上に動揺する。


「臭いなど、そのうち取れる。気にする必要はない」


 パメラより一回り大きいエドがぶっきらぼうにそう言ったので、彼女は益々不機嫌になった。


「あなたねぇ、エド。女性にとっては香りはとっても大事なのよ。何にもわからないくせに!」


 フン、とそっぽを向き、パメラは懐から取り出した気に入りの香水を、シュッシュと首筋に噴きかけた。ほんのり、薔薇の匂いがたちこめ、彼女は安心したように再びエアバイクにまたがった。キリッと身を正し、ハンドルに引っ掛けていた防塵マスクとヘルメットを装着。エアバイクにエンジンをかける。

 奇妙な一団は一斉に噴煙を上げ、EUドームの内部へと侵入を始めた。



 *



 赤いスーツの女が、ソファーの上でゆったりと構えるリーにそっと珈琲を差し出す。


「酷いことをなさいますのね。今更あのような通路を通らせるなんて」


 秘書の女は彼に優しく微笑んだ。


「私は使えるものは何でも使う主義だから」


「まぁ」


「せっかく少しずつ、歯車が噛み合い始めたんだ。このままの勢いで“E”を手に入れたい。マザーのために、ジュンヤがどれほど動いてくれるのか期待しようじゃないか。なぁ、ローザ」


 彼は差し出されたカップをゆっくり持ち上げ、立ち上る湯気の香を嗅いだ。

 その笑みは残酷で、冷徹。秘書の女、ローズマリー・グリースは背筋が凍るような恐怖を覚えた。

 彼女が“総統”であるティン・リーの秘書となってから五年が過ぎた。ローズマリーはリーの正体を知る数少ない人物。しかしそれでも、彼の心の内までは図り知ることが出来ず、悩まされる。

 その冷徹さがどこからくるのか。

 何故エマードにそこまで執着するのか。

 彼の闇の心臓部 まで辿り着くことなど、出来そうにない。もし仮にそのようなことをしようとすれば、きっと消される。だから彼女は、秘書として知る必要のないことは知らないように探らないように、心掛けているつもりだった。

 好奇心がうずくようになったのは、エマードがエスター……自分の娘を“エレノア・オーリン”と称させ、町を徘徊させるようになってからだ。

 なぜかしらリーはその名前に執着し、目をぎらつかせてエマードの消息を追うようになった。“エレノア・オーリン”という女性と、総統と、ディック・エマード。三人の間にどんな過去があり、二人をここまで醜悪な状態へといざなったのか。それさえわかれば、全体の構図が紐解くように明らかになるのではないのかということも、彼女は知っていた。

 だが、彼女は口を噤む。なにしろ、このリーという男の恐ろしさというものには、限度がないのだから。まかり間違えば、秘書である自分すら標的になりえるのだと、自分に言い聞かせて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る