Episode 08 運命の皮肉

28・憎しみの連鎖

 窓についた雨粒が日の光を浴びてきらきらと光を集め、眩しいくらいの日差しを辺りに注ぎ込む。数日分の雨量で川は茶色く濁り速さを増していたが、そのおかげもあってか緑は一層青々と茂り、残暑の山で生き生きとしている。

 広大な自然に不似合いな大きな球体、ES飛空挺は天気の回復を見て飛び立とうとメンテナンス中だ。周りで作業をする何人かの人影。厨房の窓から作業員に混じって、エスターの姿が見える。

 ディック・エマードは窓辺で小さな椅子に腰掛けて肘を付きながら、荷物を運んだり道具を手渡したりしている娘を目で追っていた。

 ロボット犬フレディがエスターの周りを嬉しそうに走り回り、整備士数人が作業の合間にその相手をする。ペットのいなかったESに、機械という無機質な存在だとしてもフレディが加わったことは、彼らの気持ちを更に上向きにさせるとてもよい機会であったことは間違いない。

 整備士の最年少十六歳のバースに至っては、遊んであげるつもりが逆にフレディにもてあそばれ、まだ乾かない草地の上に寝転がって全身びちょびちょに濡れてしまっている。

 作業をしながら様子を見ている他の整備士たちにも自然に笑いがこぼれ、それは暖かな日差しをいっぱいに受けた緑の大地の中でまばゆいほどに輝いていた。


「もうすっかり元気みたいね」


 隣でそう言ったのはメイシィだった。

 小腹が空いたと押しかけたディックのために、遅めの朝食を作っていた。フライパンの上で、卵がジュウジュウとおいしそうな音を立てている。


「エスターは偉いわよ。酷い場面に立ち会って、色々悩んだんでしょうけど、それでもきっちり前を向いていられるんだから」


 言いながらフライパンを揺らすメイシィの左肩に傷跡が見える。ノースリーブの服の陰に隠れようともせず、存在感をアピールしているような傷。えぐられたような跡が生々しく残っている。


「それでもきっと、心は一生癒えないんだろうな、お前のその肩の傷のように」


 ディックはチラッと、その肩の傷に視線をやった。


「癒えなくてもいいのよ」


 メイシィはオムレツの形を整え、くるっとひっくり返した。


「それが、生きてきた証なんだから」


「……強いんだな」


「ええ、誰かさんのせいで、強くならなければ生き残れなかったし」


「そうだったな」


 メイシィは出来上がったプレーンオムレツにケチャップをかけサラダを添えて皿に盛ると、パンとスープを一緒にのせたトレイをディックに差し出した。

 が、彼はトレイを膝の上に乗せたまま、少し考えにふけっていた。


「ずっと引きこもって、何を考えてたの」


 洗い物をしながら、メイシィが横目で尋ねる。


「お前の父親を殺した日のことを、思い出していた」


 ガチャガチャと食器のあたる音と、ちゃぷちゃぷした水の音。


「……それで?」


 寂しそうな横顔。食器を洗っていた彼女の手が少し止まる。


「あの後、俺はあの研究室の机の上にふた付きのシャーレが置いてあるのに気づいたんだ。そのふたには血文字で『YOU LOSE!!』と書いてあった。切り取られたコードを見たとき、俺は気が狂いそうだった。お前の父は、自分の娘がたとえ傷つこうとも生きながらえる方法を選んだ。そこまでして守りたいものが、この世にあるのかと」


 ディックはそう言って、もう一度メイシィの肩の傷を見つめた。

 メイシィはその視線に気付き、蛇口を閉めて手を拭くとゆっくりディックに向き直った。


「ねえ、私と再会した日のこと、覚えてる?」


 彼女は少し長めの緩いウェーブがかった前髪をそっと掻き揚げた。


「覚えてるよ」


「あの時、私は本気であなたを殺してやろうと思った。──あの時も、やっぱりキッチンだったわ。買い物から帰ってきたらあなたがいて。私は、肝が潰れるかと思った……」



 *



 今から七年前。地球暦四九二年の春だっただろうか。

 メイシィは夕飯の買出しに、スクーターで少し遠くのスーパーまで出かけていた。

 その頃のウメモト一家は、シロウが不定期にしているボディーガードや警備の仕事で多少収入はあったものの、決して贅沢な暮らしのできない環境にあった。

 シロウがESという名の反政府組織の代表をしていることも、生活を苦しくしている原因だったのかもしれない。政府の人間が目を光らせているところには、堂々と出て行くことが出来なかったのだから。

 それでも彼女らは精一杯に生きていた。例えそんな状況であったとしても不平不満を口にせず静かに生きていれば、何も恐れることなどなかった。

 スクーターのかごいっぱいに詰め込んだ安物たちが、ガサガサと揺れる。その音を聞きながらお気に入りの曲を口ずさみ、メイシィはオンボロだが居心地のよい我が家に着いた。

 裏庭の錆っぽいガレージにスクーターを駐め、布製の買い物袋をかごから引っ張り出して彼女は玄関へと向かった。今日のメニューはどうしようなどと主婦らしいことを考えながら。

 いつものようにカギを開け、玄関からキッチンへと向かう。

「ただいま」の声にも反応する者はない。

 シロウとジュンヤはまた地下にこもっているのねと、冷蔵庫の前にドサッと荷物を置いた。


「メイ、今来たのか、おかえり。ちょっと話が」


 物音に感づいたのか、シロウが申し訳なさそうに現れる。

 彼女は冷蔵庫を開け、食材を詰め込みながら夫に耳を傾けた。


「ジュンヤと一緒に地下にいたんじゃなかったの」


「まあ、さっきまではいたんだが。ちょっとした事件があってね」


 シロウの言う“事件”とは大抵、逃げ込んでくる政府関係者、反逆者やアナーキスト、浮浪者の保護だった。捨て猫や捨て犬を見つけると決して見捨てることが出来ない、優しい男。富も権力もないのに、そうやってみんなを守ろうとする。だからこそ、慕われる。


「で、今度はどんな“わんこ”を拾ってきたの?」


 メイシィは冗談交じりに言って、冷蔵庫のドアを閉めた。


「実はな、政府のお偉いさんだった男なんだが……。あまりに気の毒だったので、うちで面倒を見ることに……」


 視線をちらちら後ろに向けて、いつもよりもバツが悪そうなシロウ。彼はメイシィより一回り年上だったが、いつもわがままに付き合ってくれる彼女には頭が上がらなかったのだ。


「もったいぶってないでさっさと紹介しなさいよ。面倒を見るのはあなたじゃなくて、私なんだから」


 メイシィの一言に触発されたかのように、隣のリビング・ダイニングからのっそりと大柄の男が現れる。


「彼が──」


 シロウがおそばせながら、と紹介する。


「今日からうちで面倒を見ることになった――」


 百九十センチ近い白い影が、自分の中にしまいこんでいたものと重なった。

 薄汚れて、脂ぎって、……口髭も記憶の中にはなかったが、彼はまさに、


「“ディック・エマード博士”だ。政府の科学者だったらしい」


 十五年前に自分の父を殺した男、その人だった。

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