27・出会うべくして

「普通の人間なら、まだまだ動けないほどの傷だったんだからな」


 男の言葉がチクリと刺さる。


「お前、医者なのか。俺の身体を、調べたのか……?」


 エマードは男の表情を覗いながら、恐る恐る尋ねた。


「まあ、医者だからね。君、NCCの出身だろ。コードが無かった」


 黒髪の男はさらっと、エマードの聞きたくない言葉を口にする。彼はむすっと、男にしかめっ面を向けた。


「ここでは、コードの無い人間なんてそう珍しくも無いんだよ。実はかくいう私も、コードを持ってなくてね。だから、君はそんなこと全然気にしなくてもいいんだ」


「わからない。俺はなぜ、ここにいるんだ……。ここはどこなんだ……」


 ラボ襲撃の事件から意識を失って混乱しているエマードに、男は静かに微笑みかける。


「ここは、政府ビルさ」


「は?」


「君は、ラボでの火災の後、ここへ運び込まれたんだ」


「どういうことだ」


「私の仕事はね、行方知れずになった、有能なNCC出身者の回収なんだ」


 長い髪を後ろで結った東洋系の男はそう言って、彼を安心させようとする。だが、それは逆効果だった。


「NCC……。思い出したくも無い。嫌だ、俺はここを出る!」


 力一杯男を突き飛ばした。よろめき尻餅をつく長髪男をよそに、エマードは病衣にスリッパ履きのままずかずかと病室の出入り口へと向かっていく。


「待て! 出て行って、君はどうする気だ! 行く当てはあるのか!」


 足が止まった。

 男の言葉にぐうの音も出ない。もう、戻る場所さえ無いのだ。

 病室のドアノブにかけていたエマードの手が、だらりと下がった。


「当てが無ければ、どうだというんだ。俺は政府ビルなんかに来れるような人間じゃない。大量殺人で捕まるのが関の山だ」


 彼は肩を震わせ、拳をいっぱいに握り締めた。


「ところが」


 男は立ち上がって、エマードへと歩み寄る。


「政府の見解は違うようだよ。君は、自分自身がNCC出身者であることを、研究員に嗅ぎ付けられていたそうじゃないか」


「……なぜそれを」


 エマードは怪訝そうに振り向いた。


「話は最後まで聞きたまえ。──政府にとって、NCCは一般人には知られてはいけない、大切な施設。その存在を、自分たちNO CODEの存在を必死に隠した君の行動は、賞賛に値するそうだよ」


 思ってもみない男の言葉に、彼はたじろいだ。男は一体、何をどこまで知っているのか。そう思うと妙な胸騒ぎがした。


「研究所での成果もずいぶんよかったみたいだし、NO CODEにしては前例が無いくらい優秀な頭脳の持ち主である君に、政府は専用の研究室を用意してくれたそうだよ。この、政府ビルの中にね」


「な、なんだって……?」


 一体、何がどうなっているのか。確かに、裏切り者と逃亡者は殺していいとは知っていた。実際にそれをやってしまったが、あれだけの騒ぎ、あれだけの殺人。常識的に考えて、大量殺人罪、流刑されても仕方ないと思っていたのだ。

 男はエマードの戸惑いを無視するように、右手を差し出して握手を求めた。


「自己紹介が遅れたね。私は、ティン・リー。さっきも言ったとおり、NCC回収担当の医者だ。コードの無いもの同士、仲良くやっていこうじゃないか」



 *



 あの時リーに会わなければ、人生は変わっていたんだろうか。

 ディックはふと、作業をしていた手を止めた。

 だがすぐに、その考えは泡と消える。

 誰のせいでもない、――生まれたときからこの身は赤く染まっていたんだと、目を閉じ自分に何度も言い聞かせていた。

 いつの間にか雨は止み、穏やかな日差しが雲の合間からのぞき始めた。

 ディックはあれから何日も、夜通し何かを必死に作り続けていた。ついさっき完成したそれを手に、何度も何度もその出来栄えをチェックする。気持ちがいい達成感があった。あの忌まわしいラボで作っていたAIチップ搭載のロボットを、彼は娘のために作り直していた。材料は廃材ばかりでなかなかの安物だが、彼なりに気持ちのこもった作品に仕上がった。

 ドーベルマンの形を摸した、犬型ロボット。エスターへのせめてもの償いに作ったこのロボットを、彼女は喜んでくれるだろうか。

 簡単な動作チェックを済まし、ディックは久しぶりにゆっくりと重い腰を上げた。

 個室から出て通路を通り、奥の食堂へと急ぐ。犬型ロボをしっかり抱え、気難しそうな顔で足早に歩いて行く。

 エスターが食堂にいるのを確認して、ディックはそっと犬を放った。

 小走りでエスターに近づいた犬は、彼女の手前で「ワン!」と吠えお座りした。

 目を丸くして右から左から興味深そうに覗き込むエスターの足元、尻尾を盛んに振りハァハァ身体を揺する様は、まるで本物の犬のように思えた。


「これ、どうしたの?」


 料理の下ごしらえをしていたメイシィも、驚いて調理場から出てきた。


「お前にじゃない、エスターにだ」


 ディックはむすっとして、メイシィに顔を突き出す。


「パパが作ったの?」


 きらきらと目を輝かせ、エスターはしきりにロボットを撫で回した。


「俺には、これくらいしかしてやれないと思ってな」


 金属質で無骨ないかにもディックらしい作品に、エスターは顔を綻ばせる。


「こいつはただの犬じゃない。お前に何かあったとき、俺が側にいないとき、こいつに守ってもらうんだ」


「え?」


 隣に屈み込んだディックの寂しそうな表情に、エスターは顔を曇らせた。

 それは暗に、敵が実験体である自分たち二人を本格的に狙ってくるのだということ。聞かされた秘密を思い出して、エスターの胸は徐々に苦しくなっていく。


「名前を付けてやったらどうだ」


 娘の様子に気付いてか、ディックは急にそんなことを言い出した。

 驚いて顔を上げるエスターの目に、疲れ切った父の顔が見えた。いつにも増して濃い無精ひげ、目の下の隈、ボサボサの髪の毛。汗臭い、シミの付いたシャツ。父親の真意はわからなかったが、滅多に見せない優しさに目が潤む。


「うん。ありがとう」


 犬はクンクンと撫で声を出し、エスターの膝に擦り寄った。遠慮がちに少しだけ距離をとるところが、何となく父に似ていた。


「じゃあ、なんにしようか。パパがDで、私とママがEだから――、F。フレディでどう?」


 犬の頭を撫ぜながら彼女が何気なく言ったその台詞で、エマードは再び過去へ連れ戻される。



――『せっかく生まれてきたのに……、お前までNO CODEの道を歩むことになるとは……』



 地下十階の研究室、暗がりの中、実験体を沈めた大きな円柱形の水槽。緑色に光る水槽の中に浮かぶ、小さな身体。

 水槽に貼られた、“E”の文字。

 エマードは空ろな目で、その実験体を見つめていた。



――『彼女と、名前を付ける約束だったのに。それも、叶わないなんて……。E……、ES……そんな団体があったな……、Earth Save……、ES……、Esther……エスター……』



 泣き崩れる。

 そして記憶の中のエマードは、さらに過去のことを思い出していく。



――『D、今日から君は、ディックだ。ディック・エマードと名乗りなさい。そして、私の息子になってくれないか』



 全体がぼやけて、はっきり思い出せない。が、自分がそうされたように、名前を付けようとしている自分。名付けられたことで、自分は“人間”なのだと、実感したあの日……。



「パパ、聞いてる?」


 我に返る。


「あ、ああ。いいんじゃないか」


 そっけない返事。

 焦った。危うく、娘の前で涙が滲むところだった。


「みんなに自慢してくる。嬉しい! 本当にありがとう!」


 エスターは満面の笑みで、フレディを連れて食堂から飛び出した。

 書けていく彼女の後ろ姿が見えなくなったことを確かめ、ディックは気の抜けたようにふらふらと立ち上がった。大きく背伸びをし、長く長く息を吐く。


「すまん、腹が減った。何か作ってくれないか」


 視線の先にメイシィがいた。彼女は「わかったわ」と微笑んではいたが、その笑顔はどことなく影を帯びていた。

 ノースリーブの服、左肩をさするメイシィ。そこには、なにかでえぐられたような古い傷跡がある。

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