Episode 07 郊外のラボにて

23・悪魔

 ディック・エマードは再び机に向かっていた。

 工具箱を取り出し、部屋中からガラクタ──金属片や壊れた基盤、ネジ類等々を掻き集め、ごそごそと何かを作り出した。

 机の上には、何かの書類の裏に走り書きされた、設計図のようなもの。それを見ながら彼は必死に何かをいじっていた。まるですべてを放り出しておもちゃに熱中する少年そのものだ。

 雨も小降りになり、薄くなった雲の隙間から少しずつ日の光が漏れ始めている。山々の緑も明るく輝き始め、鳥があちこちの木々から飛び立つのが見て取れる。

 しかし、そんな窓の外の光景に一切とらわれる様子もなく、ディックはひたすら何かを作り続けていた。

 先刻、エスターがようやく彼の部屋を離れた。泣き疲れてはいたが、泣いた分ストレスも解消できたようだ。 

 すっかり元気になっていた彼女がせっかく彼を食堂へと誘ったのに、彼はそれを拒んだ。まだまだ周りの者とは距離を置きたいらしい。仕方なく、彼女は昼食にと食堂で振舞われていたサンドウィッチとコーヒーを、そっと彼の部屋に届けた。

 ディックは机のガラクタの上に居心地悪そうに置いてあるサンドウィッチをほおばり、更に作業を続ける。止めどなく流れる汗を拭おうともせず、彼は夢中に手を動かした。何かに焦るように。ほんのひと時も無駄にできない、そんな勢いで。

 彼は作業をする一方で、頭の中では全く違うことを考えていた。──昔のことを、思い出したくなかった過去の記憶を整理して、たどっていた。 

 彼は回想の中で少しずつ少しずつ若返り、二十代の青年の頃へと戻っていた。

 ぼさぼさの焦げ茶の髪に混じる白髪はない。

 眉間や額についたシワも、当時の彼にはなかった。

 脂ぎったごつごつした身体は清潔感のあるスレンダーな体型になっていたし、いつしかトレードマークになっていた口髭さえなかった。



 *



 地球暦四七四年。

 ディック・エマードはネオ・ニューヨークシティにそびえ立つ政府ビルから南へ数キロ離れた研究施設にいた。

 巨大なドームの中に築かれた都市には大小さまざまなビルが立ち並んでいたが、その中でもひときわ大きくすべてを見下ろすように都市の中央部にあるのが、EPT政府ビル。その最上部はドームの天井と一体化し、名実ともに世界のすべてを支えていた。政府ビルを中心に、放射線状に伸びる道路が都市の景観を更に整然なものにしている。

 ドーム中ではたくさんの科学者が日々研究にいそしんでいた。政治家や公務員など、この世界ではほとんど無意味だ。すべてが科学で支配され、“科学者として如何に優れているか”ということだけが全てだった。

 どれだけ研究に専念し、どれだけの発見・発明・分析をしたか。

 そして、どれだけ政府のために尽くしたか。

 認められれば政府ビル内のラボへ招待される。何の苦労もない生活をし、好きなだけ研究に没頭できる。──それが、この世界での科学者達の夢であり、ディック・エマードもそれを夢見る一研究者に過ぎなかった。


* *


 白亜の外壁で覆われた、小さないくつもの四角い箱をくっつけたような、こじんまりとした研究施設で彼は所長を任されていた。

 ロボットに意思を持たせようと人工知能の研究をするラボ。どんな小さなロボットにも対応できるAIチップが出来れば更に世界が快適になっていくだろうと、政府の指示で研究開発に励んでいた。

 有能なロボット工学の科学者たちが数名、当時まだ無名だったエマードの元に集まった。他のラボでもそうしているように、エマード所長は所員の家族を同じ研究施設内に住まわせた。家庭が近くにあることで、所員も心置きなく研究ができるはず、だった。

 彼は当時二十四歳。背が高く、整った顔とがっちりと鍛えられた身体、知的な眼鏡、サラサラの栗色の髪もクールで、道行く女性は密かに彼を噂にした。

 しかし、そんな外見とは裏腹に、彼は恐ろしく冷たい一面を持っていた。時折見せる凍るような視線は、研究所員たちを震え上がらせた。そして、何よりも恐ろしいのは、彼が人間らしい感情を持ち合わせていなかったということなのである。

 ジャン・ウェイという中華系研究員も、エマード所長に不満を抱く所員の一人だった。

 初めこそ若い所長の才能と力量を尊敬したが、次第に彼の本性を知り、畏怖した。

「所長には何か秘密がある」という噂話がすべての発端だった。

 最初は何の根拠もないただの「噂」だったのだが、ウェイ所員はふと、突拍子もないことを思いついた。


「所長のデータを漁ってみたらいいんじゃないのかな」


 誰もが興味本位でうんと頷く。

 所員たちはその時点で、触れてはいけない事実に触れようとしていることに全く気づいていなかった。そして、恐怖は思ったよりも早くやってくることになる。

 “データを漁る”、それは、一人の人間の過去の経歴を遡ること。すべてがデータ管理化されたこの世界では、“住民コード”と呼ばれるマイクロチップが個人情報を管理する上での重要なキーになっていた。

 “コード”は産院で生まれるとすぐに産婦人科医師によって、赤ん坊の身体に埋め込まれる。

 どの位置に埋め込まれるかはその医師次第で、大抵は身体の露出しにくい部分、例えば胴体や手足の付け根などに埋め込まれるのが殆どだ。人体に無害な薄いフィルム状のチップだが、埋め込んである箇所を特定しやすいように、皮膚に透けてアルファベットや数字が十桁並んで見える。

 何をするにも、この“コード”が重要になってくる。学校に入るときから、医者に掛かるとき、ラボや会社を立ち上げたりするときの身分証明、事故犯罪歴等々。

 “コード”が人物を特定し、その人物の証明となる。

 個人情報は“コード”ごとに管理され、それらはすべてネオ・ニューヨーク・シティの奥底にあるという、“メイン・コンピューター”へ蓄積される。対象人物の死後百年間保存され、自動消去する。データは政府の住民登録係の専用サーバに接続することで、必要であればいつでも本人確認の手続きを経た上で手に入れることができるのである。

 これにより、すべての人間という人間が政府の元で管理されているのだが。

 この“住民コード”データベース上に存在するディック・エマードのデータを漁るために、所員たちは密かに政府のコンピュータをハッキングすることにした。

 所長のいない時間を見計らい、こっそりパソコンの配線を変え、IPがばれないように、あちこちの回線を介して、コードデータの集積部に侵入する。


「……ない」


 ある夜、一人で研究所に残っていたジャン・ウェイ所員は思わず絶句した。そこにあるはずのデータがなかったのだ。

 どんな検索をかけても、一つ一つ該当しそうなデータを覗いても、そこに“ディック・エマード”に該当するデータは存在しなかった。


「まさか、所長は……」


 当惑した彼の背後から、何者かが声をかけた。


「何を……見ている。私に隠れて、何をしている」


 振り向き様に見かけた人物に、ウェイは硬直した。

 エマード所長が目をぎらぎら光らせてその場に立っていたのだ。


「い、いえ、別に何も」


 ウェイは必死に否定した。

 が、消そうとしたパソコンの画面が震える手でうまく消せずに残っていた。

 エマードは蛍光灯の明かりを消した薄暗い研究室の奥へずんずんと押し入った。

 眼鏡にモニターの光が反射し、いつも以上に不気味に見える。そしてその奥にいつもより激しく怒りに震えた血走った目が、鬼のようにぎらついている。

 闇の中にくっきりと白衣のシルエットが浮かび上がった。彼の筋肉質な身体が更に大きく見え、ウェイは恐ろしさにただただ怯えた。

 必死に立ち上がり、ウェイは一歩一歩後退りしたが、その室内はそれほど広くなく、あっという間に壁際に追い詰められる。

 ぐんと勢いよく、ウェイの顔面の寸前まで、エマードがにじり寄ってきた。ウェイは蛇に睨まれた蛙のように身動きひとつできない。


「お前たちが何しているか、私が本当に何も知らずにいたとでも思っているのか」


 薄笑いを浮かべ、目を細めてエマードが言った。


「しょ……所長、私たちは別に、そんなつもりで」


 必死の抵抗だった。


「結果、私の秘密が暴かれるのであれば、経過などどうでもいい。お前は知ってしまったんだろう、私が……!」


 エマードはウェイの白衣の胸倉をつかみ、そのまま彼を引きずるようにその研究室を出た。

 有り余った力でぐいぐいとウェイを引っ張りながら、彼は研究施設に併設された所員用の住宅へ近づいていった。

 何をする気なのか、ウェイは焦った。自分の社宅の前で立ち止まり開放されたとき、大きな胸騒ぎがしているのに気がついた。今まで感じたことのない、恐怖。


「口止め料だ」


 彼はいつもの、クールなエマード所長に戻っていた。

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