14・対峙
小さな日本家屋に注がれる日の光が心なしか陰って来る。山頂から広がった薄い雲が、少しずつ青空を蝕み始めたのだ。風は澱み、湿っぽい空気を孕む。先ほどまでの青空は嘘のように、いつの間にか曇天へと姿を変えつつあった。
「僕はこの島の研究をしてるんだ」
と、リーは切り出した。
傍らに腰掛けたエスターとジュンヤは、そのまま話に引き込まれていく。
「この島に辿り着いたのは偶々でね。とある天才科学者が残していった、ワープ装置の誤作動が原因だった。何十年も、何百年も誰も訪れたことのないこの島に、この小屋やちょっとした施設みたいのが残されていた。もしかしたら生存者がいる可能性も、とも思ったけど、“僕”がここに来たときには、誰もいなかった。この島では驚くべきことに生態系が戻りつつあり、僕はそれに深く興味を抱いた。きっと、核の冬を越えて長い間人類が関与しないことで、自力で再生したと思われる。また、この島の存在は今は忘れられているが、調べていくうちに、過去にはある程度重要な国があったことも分かってきた」
「それが、“日本”か」
と、ジュンヤ。
「そう、“日本”だ。ここはかつて、南北に連なる列島だった。そしてそこには、一億人以上の人間が住んでいた。が、第三次世界大戦の末、滅んでしまったか、ネオ・シャンハイに移り住んだか、どちらかだと思われる。多分、君はその末裔だろうね、ジュンヤ。明らかに君には“日本人”の血が流れている。それは“ウメモト”という、明らかに日本人じみた姓からもわかる。君のお父さんも、その点に関してものすごく興味を持ってね」
「それで、写真を送ったのか」
ジュンヤは言ってギロリとリーを睨む。
写真、の一言に状況を掴めないエスターは二人の間で目を泳がせた。
「そう。約束をしたんだ。僕はアナーキストをここへ連れてこられるような立場にない。君がもし、何らかの手段を得てドームを出ることが出来たら、この場所で落ち合おうと。何枚もの写真と、メッセージを添えてね。君の持っているのは、その一枚。だろ、ジュンヤ」
リーはジュンヤから答えが返ってくるのを待った。
ジュンヤは呆然と、リーの目を見つめていた。深い闇のような瞳の奥、何を考えているのか、一体何者なのかわからない彼の会話にどんどん引き込まれているのが自分でもよくわかる。だが、そこからどうやって抜け出したらいいのか。全て見透かされている。
記憶の糸を手繰れば手繰るほど、彼の言葉と父の言葉が一致していく。
――『これは母さんにも秘密なんだけどな……』
優しい父が、いたずらっぽく笑ったのを思い出した。書斎に隠した小さな箱、その中に眠っていた色あせた写真たち。写真自体にそれほど興味はなかったが、父と自分だけの秘密というフレーズが気に入って、ジュンヤは父が亡くなったあともずっと大切にしてきた。
――『昔、世話になったある人からいただいた写真でな。ここが俺達のルーツ、日本なんだ。もし行けるなら、オレはこの島に行ってみたいと思っている』
頭をかきむしり、必死に頭を整理する。非現実なほどに一致していく言葉たちは、一体何を意味するのか。ジュンヤは身震いした。ポケットの中の写真を、破り捨ててしまいたいくらい、混乱し始めていた。
沈黙が何分か続く。ジュンヤの様子がおかしいのは、エスターにもよくわかった。それは飛空挺の時に感じたそれとは違うもの。
「必然、なのか」
と、ジュンヤは観念したようにぽつり呟いた。
「父さんの残した写真と言葉に、俺がどうしてもここへ来たいと思ってしまったのも。あなたがこうして俺と出会うのも」
*
いつの間にか、庭全体が日陰になっていた。ぽつぽつと音を立てて雨粒が落ち始める。雨粒は庭を包み、日の光で輝いていた花の色さえより濃く際立たせる。
ドームから出て初めての雨だのに、ジュンヤにもエスターにもその感慨に浸るような余裕はなかった。
触れたら弾けてしまいそうな張り詰めた空気は、彼らにはどうすることも出来ない。リーという正体不明の青年がその場を支配していたのだ。
やがて雨は激しく降りしきった。雷鳴が轟き、雲に光の筋が走る。空気全体が震え、青白く光った。視覚と聴覚を脅かす自然の変化にドキリと肩を震わせたのは、エスター一人。重々しい空気は雷雨さえ寄せ付けないのか。
徐々に雷鳴が近づいてくる。光と音の間隔がより短く、雨もいっそう本降りになってきた。土に叩き付ける雨粒が激しく舞う。怖い、雨を運んできた冷たい風のせいだろうか。それとも、両脇の彼らが重苦しい空気を保っているからか。
――閃光が走った。
庭の中心部に青い円柱が現れ、足元から徐々に何かが姿を現す。三人は異様な光景に目を奪われた。見覚えのある着古した白衣をひるがえし、履き潰した革靴で光の柱を抜け、こちらに向かってきた。
「パパ」
エスターが立ち上がる。
ディック・エマードの姿がそこにあった。乾いた白衣が一瞬で濡れた。もしゃくしゃにかき上げたいつもの髪型が雨で崩れ眼鏡に覆い被さると、まるでいつもの彼ではない、別人に見えてしまう。エスターは心臓を突かれた。耳元で激しくなる鼓動、胸が詰まり、息が出来ない。いつもと違う父親の様子彼女は戸惑った。
光が消えてなくなりそうになると、またそこから見覚えのある影が一つ現れた。ハロルドだ。
「久しぶりだな」
ディックはそう言って不敵に笑った。彼の体全体から、黒いものが立ち込めている。目はしっかりと縁側に腰掛けたリーを捕らえて放さない。
「『久しぶり』? おかしなことを言う。“僕”ははじめまして、だけど」
リーは彼の視線を受けても戸惑うことなく、にやりと笑い返した。
ハロルドはハラハラして、二人の対峙を見守った。いつ、どちらから仕掛けてくるのかわからないが、明らかに敵対しているからだ。いつでもディックの暴走を止められるようにと、白衣の後方で腰を低く構えた。武器を持ってこないのを後悔する。棒きれの一つでもあれば投げるなり叩くなり出来るが、どうもこの庭、手入れがずいぶん行き届いていてそのようなものは入手できそうにない。雨で足場も悪い。足元に咲く小さな花を見つけ、こんなに綺麗なものを愛でるやつが本当に敵なのかと、疑心暗鬼も隠せない。
もし、ディックの言うように“諸悪の元凶”と称すに値するならば。一刻も早く彼とエスター、ジュンヤを引き離さねばならない。戸惑うジュンヤの顔、エスターの驚き、そこに辿り着くまであと何歩。だがハロルドは、一歩も動くことが出来なかった。ディックとリーの視線の間を縫って彼女らのそばへ向かうなど、不可能に近いのだ。
「こいつに何を吹き込まれた」
雨粒に打たれて、一層恐ろしく見えるディック。光を失った庭で、彼の瞳だけがぎらぎらと燃えさかっていた。
「何を吹き込まれたんだ!」
急き立てるディックの声に、エスターはおののき、後退りする。彼女の目はうるうると涙を浮かべ、現実を受け入れたくないという気持ちからか、視点が定まっていなかった。
叩き付ける雨の音が、更に場を盛り立てる。雨粒一つ一つが、その場を凝視するかのように長くとどまっていた。
「いやだな、別に何も話してやしないよ」
リーは言ったが、もちろんディックが納得できるはずもなかった。
「ジュンヤ、お前はこいつがどんな奴か知って近づいたのか? エスター、お前は奴の顔を忘れたのか! 何故隣にいるんだ!」
ジュンヤは言われてドキッとするが、だからと言って、特に返せる返事はない。エスターも同じく視線をうろつかせ、首を横に何度も振る。
リーは薄ら笑った。それまでとは表情を変え、元来の冷たい眼光を鋭くさせる。立ち上がり、両手を大きく広げると、ゆっくり軒下から豪雨の庭へと足を踏み出した。
「彼らには、何もわからないよ。だって本当に、たいした話なんてしてないんだから」
黒いスーツがザッと濡れた。本性を現したかのように、彼のシルエットは更に黒を帯びた。黒い革靴に泥が跳ね、それでも構い無しに歩を進める。
リーが動く。
ディックは無意識のうちに、懐から黒い何かを取り出していた。
「黙れ! ――貴様が如何に卑劣な男か、俺は知ってる。貴様の台詞などに興味はない。減らず口を叩けないように、その喉を打ち砕いてやる!」
黒光りした銃口がエスターの視界に入った。
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