13・最悪の事態

 ハロルド・スカーレットの脳裏にあったのは、絶えず聞かされていた昔話。この星は病んでいる、ドームの外は死の世界、灰色の大地だということ。ところが、そこにあったのは美しい自然であった。夢なのか、それともあの語り草が間違いだったのか。

 ディックと二人、東に向かっていた。小型の簡易レーダーで特定した電波の発信先へ。そこに、この不可解な大自然の謎があるかも知れないとディックは言う。政府の関与を予感したのか。または、全く別の原因を示唆しているのか。

 太陽があまりにも眩しい。エアバイクで森の中を進んでいるからこそ気持ちいいが、この炎天下を歩けと言われたら少し考えてしまう。年齢を理由にしたくはないが、ドーム育ちの身体ではこの直射日光には耐えられそうにない。優しい風が頬をなぜる。小鳥の鳴き声が、木々のざわめきが、感じたことがないくらい気持ちいい。調査なんかより、ここでゆっくりバカンスを楽しみたい、そんな気さえした。

 季節は夏の終わり。日差しは確かに強いが、風は冷たい。ドームの中には季節なんてなかった。ただ空しげに時間が過ぎていくだけ。カレンダーがめくれたからといっても、これといって何かが変わるわけでもない。現実に戻りたくない、と思うのは仕方のないことなのかもしれない。そう思うとハロルドはふうと息をついた。

 一方、隣を走るディック・エマードはハロルドとは全く違うことを考えていたらしく、表情が険しい。飛空挺を出てから、しきりに辺りを見回し、難しいことを考えながらエアバイクを運転しているように見えた。


「この島は、何かがおかしい」


 バイクの静かな起動音にかき消されそうなほど小さな声でディックが呟いたのを、ハロルドは逃さなかった。


「おかしいって?」


「死の大地……、死の世界……、いろんな形容詞をつけて、俺達をドームに縛り付けていた政府。誰ひとり何百年もそれに気づかず、ずっとやつらの言いなりになってドームを出なかった。いざ出てみれば防護服なんて要らない。ネオ・シャンハイの環境と比べるまでもなく、非常に良い、良すぎる。もしかしたら、大戦前よりも良いかもしれない。大気自体がバランスを失って毒に犯されているとか、土には放射線が染み込んだままであと数百年は元に戻らないとか、あれはただの昔話だったんだな。人間の力が働かなければ、この星は自分の力で回復できるってことなんだろうか。そしてこの島は、その答えを強調するための場所としてわざと設定してあったように感じられてならないんだ」


 所々風の音で聞き取れないが、異常な事態に彼も疑問を抱いているのは確かなようだ。


「強引な“自然保護”目的、なんてことは」


「まさか……ないだろ、政府に限って」


 ハロルドはディックの唐突な見解にハハと笑った。が、ディックは厳しい顔で答えた。


「分からないぞ。奴等がやることにはそれなりに理由があったからな。信じたくはないが、意外に自然保護者なのかも知れん」


「冗談だろ」


「そう思うのが凡人てもんだ」


 インテリ科学者は気に入りの白衣を翻して更に山道を進んだ。思わぬ問答にスピードを緩めてしまった厳つい中年男は、慌てて彼の後をつけた。



 *



 森を抜けた先、小高い丘に奇妙な建物がある。ディックとハロルドは、天文台のような外観の建物を目を丸くして見上げていた。てっぺんには数個のアンテナらしきものが、あちこちの方角を向いてつけられている。あたりはうっそうとした森だのに、そこだけきちんと草が刈り取られ芝が張られ、別世界のようであった。


「なんとまぁ、びっくりってやつだ。電波の発信源はここで間違いなさそうだな。ディック、行ってみよう」


 白壁のドーム型建築物の中へ進む。荒らされた雰囲気も、長時間放置されたような跡もない。空調まで効いている。所狭しと置かれたコンピュータ機器の冷却のため涼しくしているのだろう。明らかに誰かが使用している、今も動いている証拠だ。

 二人、思い思いの場所へ散って探る。どう見ても最新式の機材だ。数百年誰も訪れていないはずの島にあるべきものじゃない。それは、機器に詳しくないハロルドにだってすぐにわかる。


「これが、何の施設なのか、解明するには時間がかかりそうだな」


 ハロルドは思ったよりも広い室内をぐるっと見回した。配管や配線が天井にまで張り巡らされ、計器のランプが付いたり消えたり。何台かのパソコンのモニターには、グラフが。


「“収穫量”“生産”……。なんだこれは。野菜、作ってるのか? “農業用ロボットの配置図”なんてのもあるぞ」


 仰々しい建物の割にずいぶん平和な内容だな、これならと顔をほころばせた。飛空挺で感知した微弱電波はきっと作業ロボットの管理のためのものだ。しかし、誰が一体何の目的で。

 夢中でモニターを覗き込んでいたハロルドの後ろで、ディックが床にうずくまり何かを必死に調べているのが視界に入った。


「どうした、なにかあったのか」


 踵を返して足下を覗き込むと、床には。


「空間転移装置」


「だな、間違いない」


 床に描かれた直径二メートルの円の中、床下にうっすらと集積回路が透けている。

 見覚えがあった。昔、ハロルドが政府で働いていた頃によく見かけたものだ。各ドーム間の荷物輸送、搬入のため施設に数個、並べて設置されていた。大きさ質量問わずどんどん運べるこのシステムがなかったら今の暮らしはないと、当時の上司が耳が痛くなるくらい喋っていたものだ。懐かしいが、同時にそれは政府の科学技術の象徴のような忌々しいもの。自分たちもドームからの脱出にその技術を利用したとはいえ、あまりお目にかかりたいものではなかった。

 ディックは指で回路をなぞり、眉間にしわを寄せてハロルドを見上げた。


「埋め込み型のこの装置は俺が政府で開発したものだ。広く汎用されているような代物じゃない。一台あたりの経費、技術を考えれば、もともと大量生産なんてできっこないようなものなんだ。ところが、これはそれを模してある。しかも、改良されている」


「と、いうことは?」


「恐らく、技術を応用できる人間。普通の科学者じゃない。きっと、それなりに権力があり、改良型の図面をすぐに引けるような人物。もし間違いないとしたら、“あの男”か……。いや、まさか」


 彼は思い出したくない何かを思い出したかのように、額を両手で押さえ込み、背を丸くした。その様子が奇っ怪で、ハロルドは思わず足を引っ込める。ディックがはっきりものを言わずに何か考え込むようなときは近づかない方が良い。仲間内でも暗黙のルールになっていた。


「さてと、他には」


 白々しく余所を向いて別のものを調べようとしたハロルドの目は、ふと壁に埋め込まれた少し小さめのモニターを捉えた。パソコンや計器の間を抜け、配線を飛び越えて、彼はそのモニターのすぐそばまで行き、ぐっと覗き込む。

 監視用のモニターなのだろう。様々な景色が数秒単位で切り替わり、様々な角度から島の景色を映している。森、畑、ESの飛空挺、作業ロボットに無造作に乗り捨てられたエアバイク。小さな小屋、その庭、人影。


「あれ。ここにいるの、ジュンヤとエスターじゃ」


 気の抜けたようなハロルドの声に、ディックはぴくりと反応し、顔を上げた。

 二人がどこかの小屋の縁側にいて、誰かと話している様子が上から見下ろすような角度で撮影されている。一緒にいる見知らぬ若い男、ハロルドには人の良さそうな好青年に見えた。


「なんだ、あいつら。そんなところにいたのか。のんびりお茶なんか飲みやがって。まあ、危険な場所じゃなさそうだし。手始めにここに来たのは正解だったかもな、ディック。見つかったならそれでよかったじゃないか。あとは日の落ちる前に、回収に行かないと……」


「――そんな、楽観視出来るような状況じゃないだろ」


 軽い気持ちで喋ったハロルドの声に被せるように、ディックはその低い声を張り上げた。立ち上がり、ハロルドのいるモニターの方へ向かってくる。


「よく考えなくても、わかることだ。誰もいないはずの島で、なぜそんなことが出来る。茶、だと? 誰がそんなものを。この施設の関係者か」


 ぐいとディックの大きな腕が、ハロルドの左肩を押しのけた。無理矢理モニターの真ん前に陣取ると、目を鋭くして画像を睨みつける。パッと画面が切り替わり、エスターとジュンヤ、それに二人に挟まれた人物の顔がアップで映し出されると、ディックは突然、目の前の机を両手で勢いよく叩き付けた。

 あまりの音にハロルドは驚き、恐る恐るディックの顔を覗き込む。


「さ、最悪の事態じゃないか……!」


 そう口走ったディックの形相は、ハロルドの知っているどの表情よりも怒りに満ちていた。鬼のように顔中に深く濃いシワが刻まれ、目頭がぴくぴくと脈を打つ。肩を震わせ、血管という血管が全て浮き出、息が荒い。彼はその画像の中の何かに怒りを覚えた、そして怒りのあまり、我を忘れてかけている。


「な、何が最悪なんだ、おい!」


 ハロルドの言葉は最早耳には入らない。

 彼はぶつぶつ呟きながら、その場にあったパソコンデスクに向かい、プログラムをいじり始めた。こうなっては誰も止められない。

 前にも同じようなことがあった。確か、シロウが死んだときだ。泣き崩れるとか、そんなもんじゃない。もっと何か、仲間にも言えない何かを胸に抱え込んでいる。多分そうだ。彼は言葉で表現できる程、出来た人間ではないらしい。何があったのか、詳しいことは誰も知らない、多分、彼以外誰も。誰にも言えない、相当辛いことがあって、その上で政府を裏切った。きっと今回のこれも、以前と同じ。“あの男”と彼が呼ぶ人物が関わって……。

 と、そこまで考えると、ハロルドはハッとした。


「お、おいディック……。まさかとは思うが、か……彼がそうなのか。あいつらがのんきにお茶してる相手が」


「そうだ、だから言っただろう。最悪の事態だって」


「だって、まだ若い。お前が言うような人物にはとても……」


 ドン、という鈍い音が狭い部屋に響いた。思い切り蹴り飛ばされたデスクの脚が、ディックの脚力に耐えかねてグランと揺れる。


「誰もいないはずのこの島で二人が出会ったのは、紛れもない“あの男”。散々俺達を、俺を苦しめた、諸悪の元凶“ティン・リー”だ!」


「な、何かの間違いじゃないのか」


「間違い? 何を間違うって言うんだ。――この十七年間、ずっと待ち望んでいた。あいつを殺すチャンスをうかがっていた。善人面で端正な奴の顔が、真っ赤に染まるのを、ずっと待っていた。……逃しはしない……」


 ディックはすっくと立ち上がり、空間転移装置の円の中央に進んだ。青白い光が円に沿って立ち昇り、彼の体を包み込んだ。すうーっと、ディックの体が透けていくのを見て、ハロルドは慌てて光の円柱へと飛び込んだ。

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