11・隠された何か

 調査なんて必要ない――、根拠なくそう思ったのだろうか。ジュンヤの乗ったエアバイクは風を切って森の奥へと進んでいた。

 空気を目一杯吸い込む。身体全体に清々しさが広がっていく。まるで羽が生えたかのような軽い気分に彼は酔いしれていた。

 彼の目に、ある光景が浮かんだ。

 それはこの島で一番大きな山。美しい錐の型の、薄絹を纏った山。ジュンヤは目の前に広がる山々と記憶の中に潜ませた景色を対照させた。そして頷き、バイクを走らせる。何かを確信したように、エンジンを吹かす。多分ここに違いない、この島のこの辺りに違いないと、言い聞かせた。行かなければならない、そんな衝動に駆られていた。

 眩しいくらいの緑がジュンヤを山の上へ、上へと案内する。彼の視界にあるのは緑の間から垣間見える、記憶の中と同じあの山だけだ。かさかさと肌に当たる葉っぱ達も、車体に絡みつきそうな蔦や野草達も、今の彼にはどうでもよかった。大木の間をぐんぐんとすり抜けていく。

 坂を登りきると、広大な農地に出た。見渡す限りの畑。ジュンヤは見たこともない光景に興奮する。


「す、すごい。まさか地球にこんなに素晴らしい景色があったなんて……!」


 ドームの野菜工場で生産されているものとは違う、新鮮な匂いがする。空気がいっそうおいしく感じられ思わず生唾を飲むが、ジュンヤはそれを横目にまたバイクを走らせた。

 人の気配のない畑は、何ヘクタールにもわたって続いている。農地整備用の人型ロボットらしきものたちがあちこちで作業し、水をやるスプリンクラーの音がかすかに届く。きゅうりやトマト、キャベツ……。どこにでもあるいつも食べているはずの野菜たち。大量のそれらは、ジュンヤの目にはとても奇異に映っていた。

 数分進むと、目線の先に小さな小屋が見えた。


「あれだ」


 ジュンヤはいっそうスピードを速め、そこへ向かった。



 *



 空気中、地中の残留放射能、異物等を精密検査する。調査員が飛空挺の外へ出てサンプリングを行い、廷内に設けられた小さな研究室で分析が完了するまで、数十分。エアバイクを奪って姿をくらましたジュンヤの様子も気になるが、動きを止めることなく北へ移動していることからして、今のところ異常はないと思われる。

 実際、地球は完全に破壊され尽くしたと――死の世界になってしまったという政府報道、衛星写真は全てまがい物だったのかも知れない。自然の回復力のすさまじさ。完全に、予想外の展開だ。


「分析の結果が出たが……、つまり、その。防護服など一切いらない状態であると、そういうことらしい」


 結果を印字した紙で扇ぎながら、防護服を脱ぎ捨てたハロルドがハッチへ帰ってきた。風除ドアを半分開けて、分厚い装備のまま壁際に腰を下ろしていたディックとロック、バースは、大きくため息をついた。


「ハル、つまりそれって、自然が元に戻ってるってことなの。それとも、最初から核戦争なんてなかったってことなの」


 ロックが防護服のチャックを思い切り下ろしながら尋ねてきた。


「前者なんだろうが……、詳細はちょっと」


 しどろもどろに答えるハロルドは、目でディックに助けを求めた。


「戦争は、あった“らしい”」


 すがるような目に応えたのか、重い腰を上げ、装備を外しながらディックが話し始めた。


「このアジア地域は中東とともに激しい戦地となったと文献にはあった。所持していた核弾頭ミサイルの撃ち合いになっただとか。原発が攻撃され、放射能まみれになっただとか。だが、どこまで事実なのか、我々が知ることは出来ない。旧ソ連のチェルノブイリ原発の放射能は、その付近数百キロに被害が及び事故後も放射線が観測され続けていた。石棺で事故原発を囲っても、簡単にそれは遮断されなかったという。記録は大戦直前のものまでしか確認できなかったが、少なくとも事故から百年以上は人間が住める環境には戻らなかった。三次大戦から約五百年、それだけ経てば地球は回復できるのか。政府はこのことを知っているのか。――何か、嫌な予感がする」


 脱ぎ終えた防護服をエンジンの止まったエアバイクに乗せ、操作パネルを確認する。赤い点が停止していた。胸騒ぎがいっそう大きくなった。


「ハッチを開放しよう。確か、微弱電波を感知していたはずだ。その発信源を特定した方が良い。もしかしたら、政府も一枚噛んでいるかも知れん」


 いつもの白衣を手荷物から取り出し、さっと羽織ると、ディックは目配せしてハロルドをうなずかせた。



 *


 

 食堂でメイシィの手伝いをしていたエスターが騒ぎを聞きつけたのは、ジュンヤがいなくなってから何十分か経過してからだった。

 ミーティングルームで着地直後に聞いた話では、ディックら四人が早々に調査を開始し、調査結果が出次第、アナウンスで知らせてくるはずだった。地面に直接降り立つことが出来るのを皆楽しみにしていたのに。一向にアナウンスが入らないばかりか、どうも船内が騒々しい。


「ジュンヤが、勝手にハッチから飛び出したんだ。エアバイクを奪って」


 ぼやきながら食堂に入ってきたバースとロックの言葉に、エスターとメイシィは息をのんだ。


「それ、本当なの」


 二人は包丁を持つ手を止め、カウンターの外へと思わず飛び出した。

 防護服を脱いだばかりでシャワーもまだだったバースたちは、自分等の身体が汗臭いのを気にして少しのけぞったが、エスターは構いも無しにロックの逞しい胸板のすぐそばまで迫った。彼女の血の気の引いた顔に、生唾を飲む。


「エンジン吹かせてこれから出発しようとしていたところを、さっと持ってかれちまったんだ。こっちは防護服で動きにくかったし、視界も狭かった。言い訳になっちまうけど」


 Tシャツの襟からエスターの胸の谷間が見える。目のやり場に困り、そらした目線がバースと合った。羨ましそうに睨んでいる。

 年上のロックにエスターがすがったのがよほど悔しかったのか、バースは間に割りいるようにして話に割り込んできた。


「ジュンヤってば、何の防具も着けずにいつもの格好で飛び出したんだよ。結果的に、残留放射能も毒素も見つからなかったから良いものの、もしもの時はどうするつもりだったんだろうな」


「ごめんね、迷惑かけて。どうしたのかしら、うちの息子は」


 少し後ろから話を聞いていたメイシィが、ロックたちに深々と頭を下げた。


「メイが謝ることじゃ」


 とロックが声をかけても、しばらく頭を上げようとしない。


「原因は大体わかってるの。私がきちんと言い聞かせていれば、こんなことにはならなかったかも知れないのに。中途半端に誤魔化そうとしたからよ。本当にごめんなさい」


 そう言ってまた深々と頭を下げる。

 メイシィの神妙な様子、出発前にやはり何かあったのだと、エスターは確信した。ジュンヤもそうだ、急に誰も知らないような言葉を口に出したりして。――隠している。何かを隠している。おおっぴらに言えない何か、それによってジュンヤが心を乱し、勝手な行動を取ってしまったんじゃないのか。

 いつも気丈に振る舞っているジュンヤの心が、ガラスのように脆いのをエスターは知っていた。シロウが亡くなったあの日も、ガタガタと肩を震わせ、部屋の隅でうずくまるのを自分が抱きしめたのだ。声を殺して泣くような人だ。私が支えてあげなくてはと、彼の方が三つも年上なのに思ってしまう。

 居ても立ってもいられなかった。

 気がつくと、彼女は走っていた。食堂を飛び出し、螺旋階段を下り、長い通路をハッチ方向へ。カッカッと靴底が鳴る。廊下中に彼女の焦りを響かせる。急にどうしたんだとロックとバースが叫んでいる。何人かが通路で声をかけた。しかし、彼女には聞こえなかった。ただただ、ジュンヤの元へ行きたい一心。

 風除ドアは全開だ。これからどこかへ出発するつもりなのだろう、エアバイクのエンジンが三台ともかかっている。


「あれ、エスター。何して」


 ハロルドが、一人惚けて壁にもたれていた。微弱電波の発信源特定しようと操縦室に戻ってコンピュータと睨めっこしているディックの指示で待機中だったのだ。金髪を振り乱し血相を変えて向かってくる彼女の姿に、彼は驚いた。咥えていた煙草を胸ポケットの携帯灰皿に押し込み、おいと右手で制止の合図。しかしそれより少し先に、


「ハル、ゴメン」


 彼女は一番手前のエアバイクのハンドルに手をかけた。さっと身軽にまたがり、申し訳なさそうにゆっくりと瞳を閉じるエスター。華奢な身体で無骨なバイクを抱え込むよう。ハンドルを一捻り、バイクの排気音が急激に高まり、あたりの酸素をいっそう多く取り込んだ。

 風圧でよろめくハロルドは待てと声をかけるので精一杯。本能で衝突を避け、壁により掛かった。そして彼が瞬きをしている間に、彼女はバイクに乗ってハッチを潜り、やはり森の中へと姿を消してしまったのだった。

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