7・研究所のエマード

「そもそも、俺はお前の祖父と同じ研究所に勤めていた。俺が所長、ヤツが研究員。若かった俺の下で働くのに抵抗があったんだろう。だいぶ反発された」


 組んだ腕の上で、人差し指がトントンとせわしなく動いている。それでもディックはいつもの無表情だ。

 ジュンヤは好奇心と不安感の入り混じった表情で、肩を張り、テーブルを挟んで斜め向かいに腰掛けたディックの話に耳を傾けていた。

 こうしてじっと話を聞くなんてことは今までなかった。将棋の席ですら、ディックは最低限の会話しか許さなかったからだ。


「話して、いいの? 人が疑われるわよ。今まで信頼していたのにって、言われるかも知れないわよ」


 ジュンヤの後ろに立つメイシィが、耐え切れず身を乗り出して止めようとする。

 しかし、ディックは口髭の下で不敵に唇を緩めた。


「構わん。それで信頼度が下がればそれまでのこと。あとはジュンヤがどう考えるかだ。人を信じることと、真実を知ることが、どれほど罪なのか。こいつは知らなさ過ぎる。後悔先に立たずって言葉の意味を知るいい機会じゃないか。──メイ、お前は先にミーティングルームへ。エスターが心配する。ジュンヤは俺が後で連れて行くと、ハロルドに伝えてくれ」


「わ、わかったわ。でも、出発まで時間はないんだから、それだけは忘れないで」


 無言でうなずくディック。メイシィはその姿を確かめると、何度も振り返りながら後ろ髪引かれる思いで食堂のドアを閉めた。

 ミーティングルームへの移動とEPT接近を知らせる船内アナウンスが広い食堂に響く中、彼らの間には重苦しい空気が漂っていた。

 母親がいなくなったことで少し安心したのか、ジュンヤは気張っていた肩を緩めるように深呼吸し、こう切り出した。


「俺のじっちゃんを殺したって、つまり、どういうことだよ」


 声は震えていた。啖呵を切った割りに、自分の度胸のなさには嫌気が差す。ジュンヤは焦りから滲み出た額の汗を手で拭った。

 ディックはそんなジュンヤを無視して話し続ける。


「──あれは、ネオ・ニューヨークシティの、町外れのラボだった。住居も併設されたその研究施設で、俺はメイシィに出会った。まだ年端の行かないガキだった。何人だったか、大勢の兄弟がいて、その一番上だったのはぼんやり覚えている。子供の声が絶えず響く、仲のよさそうな家庭だった。目障りなくらいに幸せそうで。俺は、多分どこかで嫉妬していた。自分が手に入れられないものを持っている、あの男に。だからというわけじゃない。ヤツは、知ってはいけないことを知ってしまった。EPTという組織の根底に迫る秘密。例え好奇心でも、それを調べたらお終い、そういうものが世の中にはある。秘密を抱えきれるほどの度量も、覚悟もないくせに、ヤツは軽い気持ちでそれを探ってしまった」


「それは」


 どんな秘密かと、ジュンヤは言いかけてやめた。やめて正解だった。ディックはますます顔を険しくしてジュンヤを睨んだ。


「秘密をここで教えるほど俺は優しくない。知ってしまったら最後、EPTはそれを知った人間をどこまでも追いかける。ましてやその秘密を知ったまま、政府から逃れようとしたらどうなるか──。考える余裕がなかったのか、愚かだったのか。ヤツはよりによって、逃亡を企てた。しかも、反政府組織ESの力を借りて。あの時、ヤツはしきりに単語を繰り返していた。後から考えてようやく理解したんだが、『ES、ES』と、そう言ってたんだ。その意味を知らぬ俺は、しばらく放っておいてしまった。ところがヤツは迂闊にも、夜中俺に決定的な場面を見られてしまう。シロウに会っていたんだ」


 父の名が出て、ジュンヤは思わず目を見開いた。話は更に続く。


「シロウ・ウメモトはその頃、まだ無名のアナーキストだった。だが、例え無名だったとしても、政府を倒そうとする男に精通していたヤツを、俺は立場上見逃すわけにはいかなかった。EPT政府が家族を施設内に住まわせていたのは、裏切りを抑止するための人質が欲しかったからだ。政府の意に反する研究員の家族の命を奪うのは、当然のこと。俺はヤツの家族を一人ずつ始末した。親、妻、子供、皆殺しするはずだった。あの夜、俺は夢中で逃げ惑う研究員と家族を撃った。混乱に乗じてシロウと逃げ延びたメイシィを見逃しているなんて知らずに。施設に爆弾を投げ込み、助けようと誘導するシロウを目撃しながら、殺し損なったことをどれだけ後悔したことか。裏切り者、逃亡者、そして政府に楯突くものは全て抹殺する、それが政府の正義だ。俺にとっては、殺しも仕事だった。人を殺すのはなんでもない、当たり前のこと。犠牲だとか可哀相だとか、俺には関係ない。メイを逃した致命的なミスにもかかわらず、政府は俺を評価したし、それがもとで昇進し、政府の中枢で研究出来ることになったんだ。まさか、その後政府から逃れ、自分自身が追われる身になるなんて、その頃の俺は考えもしなかったが……」


 語り終え、ふうと大きく息を付いたディックを見て、ジュンヤは両膝に置いた拳を震わせた。頬が紅潮し、ギリギリと歯をかみしめる。そして、我慢ならないとばかりにバンとテーブルをたたきつけて立ち上がった。その上に片足をかけると、ディックの胸倉を掴んで引き寄せる。


「つまり、ディックは虐殺者だったのか……。ただのEPTの犬だったってことか!」


 声の限りに感情をぶつけてくるジュンヤを、ディックはくすりと笑い飛ばした。


「若いな。その強すぎる正義感はシロウ譲りか。──いや、違う。お前はただ単に青いだけだ。何も知らず、ぬくぬくと生きてきたことを呪え。己の隣でどんな残酷なことが行われていたとしても、お前のその暴走した正義感では誰一人助からない。それどころか、いずれ自分自身を潰すぞ」


 起伏なく、いつもどおりの冷徹な台詞に、ジュンヤの心はますます苛立っていく。殴りつけようと高く掲げた右手の拳が、行き場を失って細かく震えた。振り下げ、テーブルを打ち付ける。その拍子に力の緩んだジュンヤの左手から、掴まれた胸倉を開放させると、ディックは逆襲するようにジュンヤの襟元を引っ張った。


「もうすぐ時間だ。話は済んだんだ。気持ちを切り替え、次に進め。それが大人になるということだ」


 やり切れず強くかみ締める歯の音と、悔し涙の浮かんだ目じりを隠すように、ジュンヤは両手で顔面を覆った。



 *



 食堂から通路を通り、ミーティングルームへ向かう階段を下りていたメイシィの視界に、焦った様子で駆け上がってくるエスターの姿が飛び込んできた。螺旋階段のパイプの手摺りから身を乗り出し、声をかける。


「メイ、ジュンヤとパパを知らない? もうすぐ時間なんだけど」


 集合を呼びかける船内アナウンスにもかかわらず、なかなか来ない二人を心配して戻ってきたようだ。階下からこちらを見上げる彼女の金髪は軽く乱れ、うっすらと額に汗がにじんでいる。

 メイシィは息子とディックの緊迫した場面を思い出しつつ、悟られまいとにっこり笑った。


「大丈夫よ。あと少しで来るんじゃないかしら。それより、どうなの、政府軍はどこまで迫ってるの?」


「うん、それがね」


 踵を返して階段を下り始めるエスターを見て、メイシィは胸を撫で下ろした。そのまま、エスターのすぐ後ろを下りていく。


「搬入路が見つけられて、そこからこちらへ向かっているらしいの。あまり時間がないから、すぐにでも出発しなくちゃって、ハルが言ってた。だけど、最終チェックを開発者のパパがしてくれないとどうにもならないらしくて」


「その辺は、あの人も承知しているはずだから、心配は無用よ。見つかるのも計算のうちだとか何とか言ってた気がするし。わかっていても話さなきゃいけないこともあるらしくてね」


 と、そこまで言って、メイシィは考えた。

 ディックはなぜ、食堂にいたのだろう。

 自分が切り出した昔話に付き合わせてしまったため、彼の話を聞き損ねたことを今更後悔する。一人寂しげに腰掛けていた彼の後姿を思い出し、戻って話を聞きなおすことも、息子をあの場から引き剥がすことも出来ない寂しさに襲われる。


「メイ、どうしたの、メイ」


 急に歩調の遅れたメイシィをエスターは不信そうに振り返った。なんでもないと、彼女はそっとその背を押した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る