Episode 03 ネオ・シャンハイドーム脱出

6・旅立つ日に

 夜。ネオ・シャンハイのドームの天辺に浮いた人工太陽は、一日の役目を終えて青白くぼんやりとした光を放つ。それはあたかも朧月のように、冷たい夜の街を温かく包んでいた。

 人間の体内時計を狂わすことのないように、きちんと朝昼晩、それぞれに色を変える空と太陽。それに伴って、昼には少し気温を上昇させ、夜になれば少し冷たくする。

 例え世界が鉄で覆われようとも、人間の身体のサイクルは変わらない。一日中、気温や照度の変化がない世界になってしまうと、体内時計との狂いが生じ、やがて人間は体調を崩す。科学的に実証されている分、EPTは神経質なほど、この時間経過と照度の変化に気を使っているようだ。

 天井に映し出された青い空の色や夕焼けの色はどこか鈍っていて決して綺麗とは言いがたいが、そうした少しの気配りがあることだけでも、この世界は救われていると思ってしまう。

 そう、例え、世界がEPTという名の狂科学団に支配されていたとしても。



 *



 ドームの中心部から離れること十数キロ、そこは人気のない夜の住宅地。ネオンやビルの明かりが遠くに赤黒く見えている。切れ掛かった街灯が続く少し冷えた夜道に、あまり清潔感のない匂いが漂う。

 スラム街──、コード支配から逃れたものたち、経済的に見捨てられたものたちが住む、薄汚い場所だ。そのすぐそばにある小さな二階建ての家の前に、数台のトラックとワゴン、数十人の人垣が。


「──以上。EPT軍がこの一帯を囲っていると通報があった。各員、直ちに作戦に移れ!」


 先頭に立って指示をしているのはハロルド・スカーレット、通称ハルだ。厳しい表情、黒い作業着に帽子を深々と被り、全員を睨むように見渡した。

 合図とともに、黒い影が散り散りになって消えてゆく。

“エレノア”を廃墟ビルで捕り逃してから数日、EPTは本格的なES掃討作戦を開始。通常無法地帯となっているスラム街、郊外を中心に、軍隊、特殊任務隊を投入した。反政府運動を展開するアナーキスト団のうち、ネオ・シャンハイで確実に勢力を広げているESは、今やEPT最大の敵となっていたのだ。

 戦車と歩兵の足音が、暗く静かな街に不気味に響き渡る。それらはじりじりと押し寄せる恐怖のように、徐々に徐々にディックたちの住む郊外の家へと近付いていた。

 家を離れるワゴンの一つに、ディックたちはいた。ジュンヤが運転し、メイシィとディック、そしてエスターを後部座席に乗せ、目的地へと向かう。更に郊外へ、人気も明かりもない場所へと、車は進む。街を離れるにしたがって廃屋の割合が増え、いつしかゴーストタウンへと迷い込んでいた。それでも車は走るのをやめず、更に奥へと突き進んでいく。


「この先、一つだけ明かりのついた白い建物がある。そこが入り口だ」


 後部座席からディックが指示したのと同時に、遠くにうっすらと白い四角いものが見えてきた。

 自宅から車で十五分、そこには十年以上前に廃墟となった町がある。

 反社会組織の掃討作戦は今回が初めてではない、過去にもあった。その舞台がこの町だ。通信網もライフラインもそのときに途絶えたが、ディックはそれを逆手に取り、この場所で活動をしていた。

 自家発電、水道水の確保が出来るようになると、彼はこの地下に巨大な要塞を建設する。EPTに気付かれぬ様に、地下に数キロの搬入路を掘り、数箇所の出入り口から材料を分割して搬入した。大量の土砂は各地の土砂廃棄上などに分散して捨てることで不自然さをなくし、必要となる部品の殆どは、廃墟となった町からのリサイクル材。こうして秘密裏に“それ”は作られた。“造船場”と、ディックは呼称した。


「どの道、我々のあとを彼らは追う。EPTに見つかるのは時間の問題。迅速に行かねば意味がない」


 造船場に着くと、四人は急いでその建物の中へと駆け込んだ。

 こじんまりとした建物の入り口に、四角いパネルがある。触れ、暗証番号を入力、ディックが手のひらを押し当てるとドアが開いた。


「早く」


 エレベーターだ。乗り込み、急いでドアを閉める。

 静かに動き出した箱が数十秒後動きを止めると、ドアが開いて巨大な空間に出た。

 暗闇の中に、球体のような丸いラインの一部が見えている。全体が把握できないほど大きい。黒光りした外観、四角く連なった強化ガラスの窓。


「わ、これが“船”ね」


 エスターは目を白黒させて一同の最後尾を歩いた。作業用の足場が邪魔して、全体が見えないのがとても残念そうだ。腕をひさしにして必死に上を見上げるも、上部は暗闇に溶け込んでしまっている。

 船の輪郭に沿って丸く作られた足場の上を、ずんずん進んでいく。船の一部が大きく開け放たれたハッチが視界の先に見えてきた。そこから先に到着した数人が乗り込んでいるのが見える。


「荷物は二日前に運び込んである。各自、自室を確認して、地下のミーティングルームに集まってくれ」


 ディックに言われるがままに、三人はそれぞれの持ち場へと向かう。

 真新しい船内。これから何か起こりそうな予感が、否応無しにそれぞれの胸に沸き起こった。



 *



 ドームのあちこちに点在する搬入路の出入り口、造船場の入り口から、分散して集合する。EPTに見つかったときの被害を最小限に止めるためだ。

 戦力的にEPTに真っ向から立ち向かうのは無理があった。武器にしても、人数からしても、全面衝突しては敵う要素がない。EPTで科学者をしていたディック・エマード曰く、ESとして出来るのは、ネオ・ニューヨークシティにそびえる政府ビルの直接攻撃。そのために、まずはこのドームを脱しなければならないということ。

 巨大な船はその移動手段。直径五〇メートルの球体型飛空艇だ。上部は操縦室、船員室などの居住スペース、下部には浮遊システム、エンジンなどが集中している。

 この船を秘密裏に作るために、ES以外の反政府組織の力も借りた。資金、経済面を水面下で援助した企業も相当数に上る。ネオ・シャンハイという街全体が、計画を後押しした。潜在的に眠る“EPT支配からの脱却”という願望が、形になりつつあった。



 *



 ハッチから階段を上って、二階の奥に食堂がある。大人数が交代で食事を取るとあって、食堂も厨房も大きめだ。メイシィはその厨房で、調理具を整理していた。

 すぐにでも厨房を使えるようにしなくてはならない。食事は日に三回、決まった時間に食堂を空けるつもりだが、何しろ下ごしらえに時間がかかる。少しの合間も惜しんで作業しなければ次の食事の時間まで間に合わない。時計を気にしながら、彼女は念入りに調理具を手入れした。

 長旅に必要な具財を保管する大型の冷蔵庫や冷凍庫が背面にぎっしりと並び、大き目の流しと調理台、そして食器棚。狭くむさ苦しかった我が家も懐かしいが、今日からはここが自分の持ち場なのだと彼女は胸を張った。

 鍋やフライパンの場所を確認し、やっと一息ついたとき、彼女はカウンター越しのテーブル席にディックの姿を見つけた。


「あら、準備はいいの? みんな、そろそろミーティングルームに集まってる頃じゃない?」


「ああ」


 ディックは生返事をしながらテーブルに肘を付き、ぼんやりと何かを眺めた。

 エプロンの端をひょいとつまみ、メイシィはカウンターから出てその向かいの席に腰掛ける。後ろで結った黒い長い髪が、ゆっくりと左右に揺れた。


「やっと、この日が来たって感じかしら。本当の目的は知らないけど、これでEPTへ攻撃する足がかりが出来たってわけね。お疲れ様」


 相手から反応はない。それでも彼女は話し続けた。


「まさか、あの時は思いもしなかったわ。自分が一番嫌いな人間と、ここまで一緒にいることになるなんて。あの、最低最悪な事件。あの日から私がどれだけ悩んでどれだけ苦しんできたかなんて、今更愚痴ったりはしないけど。ホント、運命って残酷なものよね」


「──そうだな。俺も偶に思い返すことがある。俺はあの時、果たしてあの中にいた時、人間だったか……。この答えはまだ出ない。お前には悪いことをした。償うとか心を痛めるとか、そういう感情的なことは、困ったことに俺にはまだ出来そうにない。もし、あの時」


 ディックがそこまで喋ったとき、ふいに食堂のドアが少し開いた。


「俺がヤツを殺さなければ、お前の人生も少しは変わっていたのだろうと思うと、確かに心苦しくはあるが……」


 流れるように言ったその台詞に、突然の来訪者は大きく反応した。バタン、と大きくドアを揺らし、前のめりに食堂になだれ込む。

 ジュンヤだ。

 時間が近付いて知らせに来たのか、偶々ここを通りがかったのか。どちらにしても都合の悪い相手であることに違いない。その姿を確認すると、ディックは小さく舌打ちして頭をかきむしった。


「今、何か喋ってなかった? ──殺したとか、何とか」


「確かに、喋ったが、それがどうした」


「それ、本当なのか。ディックが誰かを殺したことがあるって」


「だったらどうする」


 ギロリと上目遣いに睨まれると、ジュンヤは一瞬、足をすくめた。


「俺には、そういうことは教えてくれないんだな。“エレノア”のこともそうだ。秘密にしたがるその理由って、何だよ」


 ジュンヤは酷く不機嫌な様子で、ディックに噛み付いた。未だ“エレノア”の件について何の説明がないことに腹を立てていたのだ。そうしたところで、この目の前の男が何かを教えてくれるはずなど、ないが。

 メイシィは慌てて立ち上がり、眉をしかめて更に表情を硬くするディックとジュンヤの間に割って入る。


「ジュンヤ、そんな言い方」


 息子を制止しようとするのを、ディックが止めた。腰を上げ、長い手をぐいと伸ばし、メイシィの肩を鷲づかみして後方に退ける。


「隠してるわけじゃない。話す必要がなかっただけだ。そんなに知りたいなら、幾らでも教えてやる。俺が昔、お前の祖父を殺した話をな」


 座り直したた椅子がぎいと音を鳴らした。足と両腕を組むと、ジュンヤをあごで呼び寄せる。渋々彼が向かい側の席に腰掛けるのを見届けると、ディックは深呼吸し、その出来事について語り始めた。

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