Episode 02 ES

3・エレノア

 廃ビルの屋上で味気無い夕焼けを見つめる金髪の少女に、彼らは問い掛けた。


「街を出るの……? エレノア」


 少女はゆっくり振り返り、その潤んだブルーの瞳で彼らを見た。

 虚ろな瞳に明日への希望は見出だせなかった。薄汚い格好は、ここがスラム街であることを強調させる。

 ネオ・シャンハイドームの縁に沿うように街が出来たのは、きっと必然なのだろう。ドームの中心から外れれば外れるほど貧しくなり、汚らしくなっていく。町も、人も、同様に荒び、暗黒街と罵られるほどに堕ちていた。

 EPTの絶対権力の裏側で、危険分子と位置づけられ者たちは反政府組織を立ち上げ、徒党を組んで政府に立ち向かった。人間の動きをつぶさに観察する都市機能に歯向かい、コードシステムからの離脱を試みる。政府との決別は、少しの自由をもたらしたが──、しかし、結局は政府の“アナーキスト狩り”に遭い、反政府勢力分子を親に持つ子供たちを独りにしたに過ぎなかった。

 治安を乱す“孤児”や“スラム”の存在は、政府にとって早急に排除すべき“危険分子の卵”そのもの。彼らは幼くして、政府に負われることを余儀なくされ、生きていくすべを失って、彼女と出会った。

 エレノアは知っていた、そんな身寄りのない彼らが自分を慕ってくれていること。

 しかし、それは救いとなるべきではなかったことを、彼女は伝えねばならない。

 よりによって、目の前にいるのは、力ない幼子ばかりだった。自力で生活する力の無い彼らが、如何に自分を頼っていたのか、知っていたのに。胸が苦しく締め付けられるのをじっと耐えながら、小さな手や無垢な目が自分に向けられるのを受け止める。誰も助けない、誰も信じない──生きていくことすら苦痛に感じる。その恐怖が、今まさにエレノアの前にいる子供たちを取り巻いていた。


「エレノアはどうして街を出ちゃうの? ……あたちたちが、嫌いになったの?」


 廃墟ビルの屋上は、殺風景で寒々としていた。居場所の無い子供たちがエレノアを囲い、必死に懇願する。

 五つくらいの女児が思いつめたようにエレノアの足にすがり、彼女なりの精一杯の力で巻きつくと、エレノアはいとおしさから、そっと背中を撫ぜた。

 女児のフリルスカートは、所々赤黒く汚れ、色あせていた。女児の母の血だ。彼女がその死の瞬間を目撃してしまったのを思い出し、エレノアは力強く少女を抱き締める。


「痛いよ、エレノア」


 女児はそう言って笑った。


「ごめん……、ごめんね、私、行かなくちゃ」


「行っちゃうの?」


 子供たちが次々に寄る。


「行かないで」


 別れ際に付き物な在り来たりの言葉が、エレノアには鋭いナイフのように感じられた。

 次第に夜の姿に変わっていく町並みを見下ろしながら、彼女は子供らを引き離す。壊れた金網の向こう側に、仲間のトラックの荷台が見える。時間だ。


「僕たちも連れてってよ、エレノアんとこに!」


「だめよ」


「どうしてなの?」


 子供たちの言葉に、エレノアは思いつめたようにぎゅっと目を瞑った。こんな悲しい別れをするくらいなら、出会わなければよかったのだという後悔の念が渦巻く。


「私はエレノアじゃない。ここにいるべき者でもない。もう、役目は終わったのよ。あなたたちにはもう、会わないわ」


「エレノア────!」


 悲痛な叫びが早かったのか、彼女の足が離れるのが早かったのか。金網を飛び越え、屋上の手摺りから彼女はダイブした。Tシャツに風が孕み体中を突き抜ける。二階建ての古びたビルの屋上から、クッション材を詰め込んだトラックの荷台に転がと、数回、身体がバウンドした。吐き気が襲うが構いなしに、トラックは彼女の存在を確認するとすぐに走り出した。

 同時に、屋上から数発の銃声──、


「警察だ。間一髪だったな」


 トラックを運転する仲間が、荷台のエレノアに話しかける。

 子供を撃つ音だ。浮浪児を一斉排除する警察隊か、あるいはエレノアを追っていた部隊かがあのビルを張っていたのだろう。いずれにせよ、生きていくことも叶わなかった子供たちに、


「どうして」


 と、彼女は嘆く。

 廃屋が徐々に小さくなっていく。ゴミのように屋上から放り投げられる遺体の影が、彼女の脳裏にこびりつく。スラム街を抜け、住宅地へ──、薄暗い街の中へ紛れていくトラックの荷台で、彼女は泣いた。

 守らなければならない命さえも、守れない。自分という存在が、恨めしくて仕方ない。


「もう、“エレノア”は辞める……」


 ぽつり、呟いた言葉は、夜風に解けて消えていった。

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