2・地球改造計画

 地下研究室での事件から数日経とうというのに、未だシステムの復旧は、万全ではなかった。

 コンピュータで管理されたビルの内部は騒然とし、落ち着きを見せない。犯人エマードによって巧妙に改変されたプログラムは、最小限の労力で最悪の事態を招いたのだ。

 完全復旧まではあと数日掛かる。電子管理の脆弱さに、そこで働く誰もが、衝撃を受けていた。

 件の研究員ディック・エマードの消息を掴むため、政府は回復したシステムのログを必死に漁ったが、残念ながら、犯行の現場、逃亡の様子以外のデータは見つからなかった。まるで、最初からエマードの姿や行動だけ映し取れないよう、細工してあったのか──或いは、本当に、煙のように消えてしまったのか。システムの盲点を突いた彼の犯行は、前代未聞だった。



 *



 地上の全てを管理する“メイン・コンピュータ”と政府機関が入る巨大ビルの最上階に、男はいた。

 切れの長い東洋系の目鼻立ち。二十代後半に見えるが、歳の割りに落ち着いた雰囲気の綺麗な男。表情を消し、微動だにせず、彼は全面ガラス張りの窓のそばでたたずんでいた。

 政府ビルと呼ばれるその巨大建造物を中心として、蜘蛛の巣状に張り巡らされた道路。様々な商業施設や住居が整然と立ち並び、電気自動車が行き交う。鉄で出来たドーム状の保護壁が町全体を覆っているが、巨大すぎてその現実が目視では確認できない。コンクリートやアスファルトで覆い尽くされた世界──、空に浮かぶ人工太陽の光が、やたらと眩しく高層ビル群の外壁に反射して、その空気全体を白く澱ませていた。


 西暦で言うところの二十一世紀末に勃発した世界大戦は、やがて核戦争へと発展した。核汚染された粉塵が大気を覆い、地球はおよそ生物の住めない世界へと変貌してしまう。

 核の冬が訪れ、人類は地下核シェルターへの避難を強いられた。しかし、実際その権利を有したのは、一部の裕福層のみに過ぎなかった。しかも、シェルターでの暮らしは過酷を極め、内部紛争により殺し合いが始まると、シェルターよりも更に大きな移住場所──核汚染物質の影響を受けず、安全に食料や工業製品を生産し、入手し、暮らせる場所──が提供できるとして、とある科学者が提示した“地球改造計画”が、期せずして実行に移されることとなる。

 何故権力者の抵抗や反対意見を無視してまで、その計画が推し進められたのか。数百年経った今でもはっきりした理由は分かっていない。

 が、その一つとして挙げられているのが、当時世界各地に点在していたシェルターを一元管理していた、メイン・コンピュータの存在だ。改造計画推進派の科学者がそこに直接アクセスし、プログラムを改変させてしまったのだという。高度なプログラミングとメイン・コンピュータのAI(人工知能)の急激な発達は、敵対するものを徹底的に拒んだ。誰も、計画を阻止することが出来なかったのだ。

 数十年かけ、地上全体を機械が覆い尽くした。外気遮断、核汚染物質からの完全な隔離。

 人類は晴れてシェルターから脱出する。

 主要都市に築かれた巨大なドーム群は人類を多いに守ったが──、同時に、隅々まで行き渡った監視網と、新たに導入された住民コードシステムなどにより、厳しすぎるほどに管理されることとなる。科学政策に重点を置く地球政府は、いつしか言語を英語に統一し、宗教という宗教を廃止・拒絶。文化は廃れ、埋没していく。

 更に、地球全土の統括を目指す政府は“地球計画班(Earth Project Team──EPT)”と名乗り、一切合切の反政府分子根絶を宣言した。アナーキスト(無政府主義)団体が出現し、政府との衝突が相次ぐようになると、EPTは軍を増強、社会情勢は徐々に不安定になっていった。

 絶大な科学力と管理システム、そして軍隊で管理された世界──、混沌としたそれが、今の地球の姿なのだ。


 男は灰色の町並みの奥、その先にある何かを求めるように、ゆっくりと目を細めた。ただでさえ切れ長の目が、針のように更に研ぎ澄まされ、鈍く光った。高級な黒いスーツがしっくり似合う、世の女性が皆溜息を吐くであろう容姿とは裏腹に、その心中は業火の如く燃え盛っていた。


「総統閣下」


 秘書と思しき女が現れ、かの男に声をかける。


「で、エマードの所在は?」


 男は酷く苛々した口調で女性に振り向いた。

 鋭い眼差しに、秘書は「いえ、まだ」と言葉を濁す。


「転移装置を利用したかもしれません。今、履歴を辿っています。子供を一人抱えて、協力者もなしに遠くへ行くことなど、到底考えられませんから。まずはこのドームを虱潰しに……。並行して他ドームへの進入経路を当たります。元々、彼は監視網に掛からないのですから、そう簡単には」


 焦り伝える彼女の言葉を、彼は鼻で笑った。


「まあ、いい。エマードの逃走など、些細なことだ」


「些細なこと、ですか」


「監視社会を不満に思う者たちは、他にも大勢いる。このビルでも、例年、数多くの謀反人が出るくらいだ。アナーキストどもにそそのかされ、地上で暮らす自由を履き違えた挙句、我々に立て付き、治安を乱している者も少なくない。そう考えれば、あの研究室の誰かが裏切り、逃げ出すのも、全く考えられない事態ではない。そうだろう、ローザ」


「そうは仰られましても、閣下、エマード博士は、あの研究室の責任者。しかも、Project.Tに関する総ての資料と実験体を持って逃走中とのこと……。このままでは……、計画そのものの継続も危ぶまれます」


「……そうだな。そこが、他の人間どもとは違うところ。ただ逃げたのではない。私を挑発しているのだ。──私は、憎らしくて仕方がない。やはり、あの男とはこうなる運命なのか。何をもって、仕組まれたかのように、彼は私の手から離れてゆくのか」


 独り言のように呟き、総統と呼ばれた男は、おもむろに執務机へと足を向けた。ゆったりと椅子に腰をかけ、肘置きに身体を任せて、艶かしく肩まで伸びた長い黒髪をかきあげる。


「まぁ、それほど私は、事態を悲観してはいないがね。彼がいなくても、実験体が無くても、ある程度まで事を進めることは出来る。確保するまでの間、計画は保留することになるだろうが、時間はまだ、たっぷりあるではないか」


 秘書の危惧とは裏腹に、総統の表情には余裕があった。しかしそれは、彼女の心に渦巻く不安を払拭出来るほど、説得力のあるものではなかった。


「ローザ、君は、この政府、──いや、世界を作った科学者の言葉を知っているか」


 総統は突然、彼女に質問を浴びせた。


「いえ……、存じ上げませんが」


 首を傾げる彼女に、彼はニヤッと不敵に笑って見せた。


「“神になればいい”と、そう、言ったのだ。地球を全て機械化するため、“我々が神になればいい”と。私もその言葉通り、“神”になるまで。たとえあの男がどこへ行こうとも、神の目から逃れることなど出来ないのだ」



 *



 それから七年──、未だ、エマードの消息は掴めない。

 政府軍が目をぎらつかせ、監視システムを駆使させても、彼の行方はわからないままだ。エマードが連れ去ったという実験体の所在もやはり、未だ不明である。

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