第三話 物質転送装置という思考実験

 「ザ・フライ」という映画をご存知でしょうか?

 1986年の米国映画で、物質を分解して別の場所で再構成するという物質転送装置が登場します。

 映画の中では、人間とハエが同時に転送された結果、融合してしまいハエ人間ができあがりました。


 ここで注目したいのは、人間を原子レベルでバラバラにしてから復元することは、現代の技術では困難ですが、物理的には可能だろうということです。


 ある瞬間のあなたの、あなたを構成するすべての原子の位置情報を記録し、一度バラバラにしてもう一度同じ原子を同じ順番に並べてあなたを再構成する。


 厳密には原子の位置情報だけではなく、原子間の結合状態やエネルギー状態も同じにします。

 つまり素粒子レベルで同じにします。


 莫大なエネルギーが必要なはずで、とても一瞬で完了する工程とは思えませんが、物理的には可能だと思いませんか?


 「素粒子で」という言い回しをしたのには理由があります。

 素粒子の位置まで正確に再現することに意味はなく、必要もないからです。

 つまり、ここでは不確定性原理を問題にしません。




 さて、ここで思考実験です。


 再構成されたあなたは元通りのあなたになり、違和感を感じることもないでしょう。

 切断した腕をくっつけるのと、概念的には同じことです。


 映画「ザ・フライ」でもそれがあたり前のように描かれていましたが、もしかしたら「記憶が戻るのか」あるいは「私を私と認識できるのか」といったことを心配する方がいるかもしれません。

 「腕ならわかるけど、脳まで分解したらよくわからない」という方が。

 脳や精神は特別だと思っている方が、世の中にはそれなりにいる気がします。

 理屈ではなく、魂とか輪廻転生を信じている方は普通にいますよね。


 私自身は、脳は身体の影響を常時受けているものだと思っていますので、脳だけにこだわることはナンセンスだと感じるのですが、証明できない未解明の領域に対する考え方は人それぞれです。


 例えば精神と肉体は別であって、精神は物質ではないと考えている方は納得できないかもしれません。

 申しわけありませんが、そういう方にはこの先の話も納得していただくことが難しいと思います。

 私は哲学者ではないので、それを否定するだけの論説を持っていません。


 記憶や思考を神経細胞や脳内物質、電気信号の変化だと思っている方、つまり物質の状態だと認識している方には、物質が素粒子レベルで再現されることで記憶や思考が継続されることを納得していただけるのではないかと思います。



  ***



 それでは、思考実験をもう少し発展させてみましょう。


 あなたの身体をバラバラにしてできたたくさんの原子をすべていったん捨てて、別に用意していた原子で再構成したらどうでしょうか?

 もちろん、同じ種類の原子を同じ数だけ同じ位置に置き、素粒子レベルで同じにします。

 素粒子に個性がないのであれば、まったく同じあなたになるはずです。

 ただし、元々あなたを構成していた材料はひとつも使われず、別の場所から取り寄せた原子が使われています。


 別に用意した原子で再構成されたあなたは、あなただと言えるでしょうか?


「いやいや、だって自分はバラバラにされて捨てられたんでしょ? 殺されたってことですよね。同じ種類の素粒子を組み合わせて作られたとしても、そいつは別の誰かですよ」


 そう感じることは、自然なことのように思えます。




 人の身体を構成する原子の数を試算すると、全部でおよそ十の二十八乗個くらいになるそうです。

 百兆の百兆倍の数です。

 宇宙に存在する恒星の数は全部で十の二十三乗個と見積もられるそうですから、あなたの身体を構成する原子の数は、宇宙十万個分の恒星の数に匹敵するわけです。


 そのうちの一個の原子だけを、別に用意した原子と入れ替えたらどうでしょうか?

 それだけで、あなたがあなたではなくなってしまうと感じるでしょうか?

 そんなことは、ないはずです。

 たとえ心臓を丸ごと移植したとしても、あなたはあなたであり、あなたを別人だと考える人はあまりいないでしょう。

 では、十の二十八乗個の原子のうち、何個までを入れ替えたら、あなたは自分を自分とは感じられなくなるのでしょうか?


 あるいは、自分を自分たらしめているのは脳だとお考えの方もいるでしょう。

 脳以外をすべて機械化するという話はSFでよく目にする設定です。

 その場合は、脳を構成する原子の何パーセントを入れ替えたら、あなたは自分を自分とは感じられなくなるのでしょうか?




 ところで、あなたの身体を構成する細胞は、新陳代謝で日々入れ替わっていることをご存知ですよね?

 食事によって取り入れた材料を使って新しい細胞を形成し、古い細胞を体外へ排出しています。

 臓器移植の経験がなくても、物質転送装置なんていうものが存在しなくても、あなたを構成する原子はとっくに入れ替わっているわけです。


 ただし、すべての細胞が入れ替わるわけではなく、心筋細胞の一部や神経細胞などは入れ替わらないそうです。

 「脳細胞は死滅していくだけで再生されない」とはよく聞く話です。


 とはいえ、ここで入れ替えるのは脳細胞ではなく原子です。

 機械や他人の脳細胞と入れ替えるわけではありません。

 原子の並びは同じであり、当然、物理的、化学的に同じを果たすと考えられます。


 最近では脳細胞さえ再生する医療が研究されていますが、原子の入れ替えは、再生医療よりもよほど自分が自分のままだと思えるのではないでしょうか?


 つまり、あなたを構成する原子を百パーセント入れ替えたとしても、原子の種類と位置関係が同じであれば、それはあなたであり、あなたの記憶や思考を引き継ぐはずなのです。


 ですからあなたを二人にすることも、十年後に作ることも可能です。

 現在のあなたを未来に時間旅行させ、未来のあなたに会わせることが物理的に可能ということです。




 以下は蛇足です。


 哲学者は「私」が二人いることを許容しないのでしょうか?

 とあるサイトを拝見して、「私が私である」ことに、唯一の存在であることに強いこだわりを感じました。

 「自分と認識できる存在が自分しかいない」というのはその通りなのですが、だからといって、「自己同一性」をコピーできないとは言えません。

 そもそも「自己同一性」という概念自体が、自分で自分を客観視している言葉です。


 「今」のあなたを原子レベルで複製したもう一人のあなたは、複製された瞬間から物理的には「今」のあなたではありません。

 それどころか複製元のあなたでさえ、「今」のあなたではありません。

 どちらもすでに「未来」のあなたであり、「今」のあなたとは違う記憶が追加され始めており、思考も変化しています。


 同じ体験をどう感じるか、つまりクオリアは同じなのかという点についても、そもそもクオリア自体が過去の積み重ねで変化していくものであり、そういう意味で記憶や思考と同様です。


 ただし、未来のあなたも複製されたあなたも、「今」のあなたの記憶や思考を引き継いでいます。

 つまり、未来のあなたと素粒子レベルで複製されたあなたは、同じくらい「今」のあなたのままであり、同じくらい「今」のあなたではないと言えます。


 五歳の「私」と五十歳の「私」の自己同一性とは、永遠に同じものではなく、どこかで突然切り替わるものでもなく、年月に応じて変化していると私は考えます。



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