第1話
数ヶ月後――
俺は、午後3時頃、閑静な住宅街をゆっくりと歩いていた。
今日の天気は朝から曇りで、暑くもなく寒くもなく、とてもすごしやすい一日だ。
住宅街とはいっても、まだ家が建ち始めたばかりのところで、完成して人が住んでいる家は、まだまだ少ない。おそらく、これからどんどん開発が進んで、この辺りも賑わっていくのだろう。
俺が、こんなところで何をしているのかって?
そう、俺は、ここに住んでいる――というわけでは、もちろんなく、これから仕事をする為に、ここまでやって来たのだ。
そう、俺の新しい仕事は、営業――などではない。
俺の仕事は、どこかの家に無断でこっそりと入り込み、金品などをいただいてくるという単純な仕事だ。
別の言い方をすると、空き巣というやつである。単純な仕事とはいっても、結構難しいとは思うが。
何故、俺が空き巣なんかをやっているのかって?
まあ、それは話せば長くなるのだが……。
数ヶ月前、俺は理不尽な理由で会社をクビになった。俺は、ちゃんと仕事をしていたつもりなのに……。
それから俺は、酒やギャンブルをやるようになり、妻と娘に捨てられてしまったのだ。
そして離婚をした俺は、家族で住んでいた家を出て、安いボロアパートに住んでいたのだが、次の仕事もなかなか決まらず、そろそろ貯金も底をつきそうになった。
俺は、両親は既に他界していて、頼る親戚も東京近辺には一人もいない。
鳥取県辺りに遠い親戚がいると、父親に聞いた事があったが、文字通り遠すぎて、頼る事もできない。そもそも、詳しい住所も名前も知らないのだが……。
そこで、遠くの親戚より近くの他人というわけで、昔の同僚に泣きついた。
なるべく早く返すからと、なんとか3万円だけ借りる事はできたのだが、それもあと2千円くらいしか残っていない。
2千円では、あと何日食べられるのか……。
ああ、クソッ!
昨日の最終レース。あそこで、あの馬が落馬をせずに、更に勝った馬が降着になって、更に5着だった馬が、もう少しがんばっていてくれたら、万馬券が当たって、数十万円になったのだが……。
まあ、とにかく、俺には金がないのだ。
せめて、元同僚に返す3万円と、今月の家賃や食費、それに水道光熱費を手っ取り早く稼がなくてはならない。
まあ、元同僚に借りた3万円は、急がなくていいかもしれないが。
元同僚も、俺が返してくれるとは思わずに、貸してくれているだろう。あいつは、そういう奴だ。
しかし、だからといって返さないわけには、いかないのだ。
ちゃんと、約束は守らないとな。俺は、約束を守らない奴が嫌いなのだ。
そこで俺が数十分、必死で考えた結論が、空き巣に入ろうというわけだ。
実は、俺が空き巣に入るのは、今日が初めてである。
俺は、平静を装いながら、ゆっくりと歩いているが、本当は今にも心臓が破裂しそうなほどドキドキしている。
しかし、あまり挙動不審な態度をとると、通行人に変な奴だと思われて、覚えられてしまうかもしれない。それだけは、なんとしても避けたいのだ。
幸いにも、この近くに来てからは、白い犬を連れた女性一人としかすれ違っていない。
その女性は、犬に向かって、なにやらぶつぶつ話し掛けていて、俺の方は見向きもしなかった。
俺に言わせれば、その女性の方が、よっぽど挙動不審で、警察に通報したいくらいだ。もちろん、そんな事はしないが。
犬の方は、俺の方を見たような気がしたが、まあ、犬が証言できるわけはない。俺の臭いをとも思ったが、警察犬でもあるまいし、心配のしすぎだろう。
そうこうするうちに、俺は一軒の家の前で足を止めた。二階建ての、一軒家だ。
ここにするか――
迷っていても、時間だけが過ぎていく。
幸いにも、向かい側にも左右両隣にも家はない。裏に一軒、家があるが、裏に回らなければ大丈夫だろう。
俺は、辺りをキョロキョロと見回すと、素早く玄関に向かった。
ふぅ……。俺は、一息ついた。
いかんいかん。もっと自然にふるまわなければ、おもいっきり不審者だ。
営業マンに見えるように、スーツ姿でやって来たのだ。もっと、堂々としていなければ。
こんなに周囲の目が気になるのなら、真夜中に来ればいいのだが、人が居る時間帯に忍び込むのは、とても不安なのである。
もし、住人がトイレに起きてきたりして、鉢合わせになったりしたら、どうしたらいいのか分からない。
それに、俺は、そんな遅い時間に起きていられない。俺は、完全な昼型人間なのだ。
だから、昼間の留守宅に忍び込むことにしたのである。
もちろん、俺が忍び込んでいるときに、住人が帰ってくる可能性もゼロではないのだが――
しかし、そんな事を言っていては、いつまで経っても忍び込めないので、住人が帰ってこない事を願って、この時間にやって来たのだ。
さあ、まずは、この家が留守かどうか確かめなくてはな。どうやって確かめるのかというと、色々と考えた結論はこれだ。
表札は、出ていないな。俺は、玄関のチャイムを鳴らした。家の中で、チャイムが鳴っている。
これで、誰も出てこなければ、留守というわけだ。
もしも、誰か出てくればどうするかって?
その為の、スーツ姿だ。このカバンの中には、色々な商品のパンフレットが入っている。
いざとなったら、これを見せて、営業マンのふりをするだけだ。
チャイムを鳴らして、しばらく待ったが、人が出てくる気配はない。
念のため、もう一度鳴らしてみたが、やはり人が出てくる気配はなかった。
よし、ここにしよう。俺は、そう決心すると、さっそく準備に取り掛かった。
さて、どうやって忍び込むのかというと――
これだ!
ジャーン!
俺はスーツのポケットから、細長い棒状の物を取り出した。
これは、針金だ!
これを使って、カギを開ける――
そう、クッキングだ! ……。
違う! 間違えた、ピッキングだ。こんなところで、料理をしてどうする。
そもそも、俺は料理などできない。
まあ、そんな事は、どうでもいい。
何? 俺に、ピッキングなんてできるのかって?
フッフッフ。
俺は、今日の日の為に、ネットカフェで予習をしてきたのだ。
インターネットでピッキングを検索して、やり方を書いている悪人のサイトを見付けたのだ。
インターネットに、犯罪のやり方を載せるなんて、世の中には悪い奴がいるもんだ。
だが、そのおかげで、俺がこうして空き巣に入れるのだ。この悪人に、感謝しないとな。
無事に空き巣に成功したら、お礼をしたいくらいだ。
さて、やるか。
俺は、もう一度周囲を確認すると、玄関のドアの鍵穴の前にしゃがみ込んだ。
昨日、築数十年と思われる、空き家で練習をしてきた。それと同じようにやれば、たぶん開くだろう。
俺は、針金を鍵穴に差し込むと、ガチャガチャとやってみた。
うーん……。なんか、昨日の空き家の時と比べると、手応えが全然違うような気がする。
ま、まあ、ここは新築だからな。多少は時間がかかっても、仕方がないか。
3分後――
俺は、苦戦をしていた。
まだ、3分くらいしか経っていないが、数十分くらい経ったような感覚だ。
くそっ! どうして、開かないんだ?
昨日は、あんなに上手くいったのに。
俺は、だんだんイライラしてきた。
いかんいかん。落ち着け、俺。焦っても、いい事はない。
俺は、汗だくになっていた。持ってきていたハンカチで汗を拭きながら、俺は考えた。
っていうか、もしかしたら、もう開いてるんじゃないか?
俺は、試しにドアを引いてみた。すると、ドアは静かに開き始めた。
やっぱり!
俺が、気付かなかっただけで、既に開いていたみたいだ。
ほとんど手応えが感じられなかったので、どのタイミングで開いたのか、全然分からなかった。
やっぱり、空き家と新築では、違うというわけか。
まずいな――
ちょっと焦りすぎて、鍵穴が傷だらけだ。
まあ、仕方がないか。さっさと中に入って、用を済ませてしまおう。
俺は、もう一度周囲を確認すると、素早く家の中に入った。
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