第7話
「ほら、そこに、バッタがいるでしょ?」
柳地が指差した先には、バッタが1匹いた。
「あれは、オンブバッタかな、それともショウリョウバッタかな? あれを捕まえよう」
網を構える。バッタはこちらに気付いていない。これなら簡単に捕まえられる。経験でわかる。
「私にやらせてよ」
栞が網の柄を掴んで言った。
「いいけど、逃がさないでよ?」
「大丈夫だって。任せて」
栞はそう言うが、大丈夫ではないし任せられない。構え方が素人丸出しだ。
一歩踏み出す。
「あ」
バッタは飛んで逃げてしまった。
「近づきすぎだよ、今のは。虫取り網は長いんだし、もっと遠くから振り下ろせばいいんだよ」
「わかった。なら次は逃がさない!」
逃げたバッタはもう放っておいて、他の虫を探した。
「何でもいいから、いないかな?」
パチン、という音が後ろからした。すぐに振り返る。栞が両手を合わせている。
「何した?」
「蚊がいたから、潰したの。捕まえた方が良かった?」
「さては、虫よけスプレーしてないね? 蚊はいいよ、小さいし、掴むの無理そうだから」
ちょっと奥へ進む。するとトノサマバッタがいた。
「こっちこっち。今度はあれを狙って、網を一気に振り下ろして!」
「わかった!」
栞は網を振り下ろした。横で見ていた柳地にも、トノサマバッタが網に入ったことがわかった。
「やった! 捕まえた!」
喜ぶのはまだ早い。
「栞、あのバッタ、掴める?」
女子が虫を掴むのはイメージできない。場合によっては自分で虫かごに入れよう。
「それも任せて」
栞は網を上げた。するとトノサマバッタはその一瞬の隙をついて飛んで行った。
「えー。何今の?」
「逃げられちゃったね…。網を上げずに、隙間から手を入れて掴まなきゃいけなかったんだけど…」
「もう。それなら早く教えてよね!」
任せてと言われたから任せたんだが…。
「ねえ。一旦草むらから出ない? 足が本当にくすぐったくて」
「いいよ」
2人は一度、草むらから出てきた。近くのベンチに腰かけた。
「昆虫採集って、難しいんだね」
「そんなことないよ。慣れれば誰だってできるよ。ボクだって最初は、酷かったんだから」
「そうなの?」
「そうさ」
「どんな風だったの?」
「まずアリだったら力の入れ過ぎで潰しちゃうし、チョウは手で囲うようにしないと捕まえられなかったんだよ」
「柳地にもそんな時期があったんだね」
「アリは幼稚園の年中の夏で、チョウは一年生の春だったかな?」
自分の記憶に間違いはない。絶対そのはずである。
「よく覚えてるね」
「忘れないものじゃない? 思い出って」
「私は幼稚園の頃の記憶なんてあんましないかな」
そんな会話をしていると、2人の前をチョウが1匹、横切った。
「あれ、捕まえられる?」
「今度こそ成功させる!」
栞は網を振った。2、3回空振りだったが、次でようやく捕えることができ、網を地面に振り下ろした。
「隙間を作ってね」
栞は自分の手が入るくらいの隙間を作り、手を入れた。
「どこを掴めばいいの?」
翅は鱗粉があるし、避けた方がいいが、素人の栞に胸を掴めと言うのは無理だ。
「翅でいいよ。あまり強く掴まないで」
チョウを網から取り出す。
「それ、ボクに」
柳地はチョウの胸を掴んだ。そして栞は翅から指を放す。
「これは、カラスアゲハだね」
「そうなんだ。でも、やっと成功したよ!」
「うん、成功だね」
栞が虫かごに目をやる。
「でもそれ、食べられちゃうの?」
それはそうだ。今日の昆虫採集の目的はオオカマキリの餌の調達なのだ。カラスアゲハを別個に飼うことは考えていない。
だが、もったいない気もする。折角栞が初めて捕まえた虫だ。餌にするのはかわいそうだ。
柳地は指を放した。するとカラスアゲハは飛んで行った。
「あ…。逃がしちゃうの?」
「うん。栞が捕まえた記念に、見逃すよ。餌は他の虫にしよう」
「ええ、でも、もったいないよ?」
栞が虫取り網を構え、カラスアゲハを追いかけようとした。
「いいよ。捕まえなくて」
柳地がやめさせた。
「本当にいいの?」
「いいんだよ、これで」
2人は遠くへ飛んで行くカラスアゲハを眺めていた。そしてそれは、すぐに視界から消えた。
「さて。これで終わりじゃないよ? 他の虫を捕まえないと今日は帰れない。もう一度、草むらに入るよ!」
「ええ、また?」
「だってそうしないと、虫が捕まらないじゃない?」
「でも、くすぐったいし…」
「なら栞は、虫かご見ててよ。ボクが一人で捕まえてくる」
柳地は草むらに入って行った。
「あ、待って」
結局栞も柳地を追いかけて、草むらに入った。
2人で草むらの中を動く。たまに飛んでくるヒシバッタは無視する。小さすぎるので、餌にならない。できればオオカマキリと同じサイズの虫がいい。先週はいたんだから、今日だって見つかるはず。
「ねえ、これ」
栞が柳地を呼んだ。そこにはクモの巣があった。
「クモは、食べるかなあ?」
「これはコガネグモだね」
クモもカマキリと同じ、他の虫を食べる虫だ。カマキリはクモを食べるだろうし、クモだって巣にかかればカマキリを食べるだろう。
「これ、捕まえる?」
「いや、駄目だね」
クモは駄目だ。母親が大嫌いだからだ。虫かごに入れて家に持ち込んだが最後、虫かごごと燃えるごみに出されてしまう気がする。
「クモ、苦手なの?」
「そういうわけじゃないよ」
でも母親が嫌いだから、とは言えなかった。
「虫かごの中に巣を作られたら困るよ。それに、オオカマキリが逆に食べられる可能性だってあるよ。これは見なかったことにしよう」
「じゃあ、他のを探さないとね」
なかなか虫が見つからない。捕りつくしたわけではないはずだが、まるで見かけなくなった。
「このままじゃ、帰れないよ…」
弱弱しい声を出した。
「そっち、行った!」
突然栞がそう言った。
「え?」
「だから、黒いのが、そっちに行ったって。地面の上!」
足元に目をやる。すると確かに、栞の方からコオロギが一匹こっちに向かってくる。
「そりゃ!」
コオロギなら父親の会社の保養所の草原で何匹も捕まえたことがある。コオロギがつま先に差し掛かったところで、柳地は一瞬でそれを手で捕まえた。
「エンマコオロギか。ちょうどいいや。これにしよう」
「もう捕まえたの?」
「慣れてるからね」
「1匹だけでいいの? もっと探す?」
「いや、いいよ。この土日さえ乗り切れれば。月曜日に学校の花壇でまた、セセリチョウでも捕まえるよ」
達也に協力してもらおう。そうすればすぐ餌を補充できる。
「月曜日かあ。そうだ!」
「な、何?」
「今度さ、幽霊の話、もっと聞かせてよ!」
「ああ、いいよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます