第2話
「起きなさい!」
母親に叩き起こされた。いつものことである。そして朝食にパンを1個食べ、歯を磨き、天気予報を見てから学校へ向かう。今日がいつもと違うとすれば、虫かごを持って行く点だけだ。
達也に自慢してやろう。彼奴は、カマキリは飼ったことがないと言っていた。十分勝ち誇れるはずだ。
いつも学校には早く着く。家と学校とは1キロ程度離れている。出発する時間が早いからだが、早く着くことにこだわりを感じる。他の人に対して優位に立てない分、そういうところを自分の長所にしている。
クラスに貼ってある時間割を確認する。もう覚えているようなものだが、一応は確かめる。そしてランドセルから教科書とノートとクリアファイルを取り出す。柳地のランドセルの中には全教科の教科書が入っている。忘れてくるのが面倒なのと、いきなり授業が変わったら困るからだ。必要な分、机に入れる。
クラスの後ろのロッカーの上に虫かごを置く。これで準備完了。後は達也を待つだけだが、彼奴は自分よりも少し家が近いのにいつも時間ギリギリに来る。
柳地の次に教室に入って来たのは
「また何か見つけたの?」
洋子は柳地の虫かごに興味津々だ。
「オオカマキリだよ」
だが肝心のオオカマキリは一見すると中にいない。トノサマバッタだけがそこにいる。
「どこにいるの?」
洋子が探している。自力で見つけ出すまで待っても良かったが、柳地は、
「蓋の裏側にいるよ」
と言った。
「本当だ!」
洋子は虫かごを突いた。それをして欲しくなくて、オオカマキリの居場所を教えたのだが…。
「動いてよ、ちょっと」
今度は虫かごを揺らし始めた。
「やめろよ!」
柳地は洋子の腕を掴み、言った。
「ストレスを与えると、早死にしちゃうんだよ? 君はもう触らないで」
「でも、放っておいても秋が来れば死ぬでしょ?」
「それはそうさ。虫だもの」
「ならいいじゃん!」
どうしてそういう考えになるのか。理解に苦しむ。
「駄目だよ。まだ成虫になってないんだから」
「どうやって見分けるの?」
「翅だよ。まだ伸びきってないでしょ?」
「どれどれ、良く見えない」
そう言って洋子はまた、虫かごに触り、見やすいように持ち上げた。
「ああもう!」
達也は今日は休みかと思ったが、2時間目に遅刻してきた。そして3時間目の授業が始まる前の5分間に、虫かごを持って彼の席に行った。
「おお、スゲー! カマキリか!」
「でしょ? これは大きくなるよ」
「ハラビロかな?」
「ボクはオオカマキリだと思うよ」
幼虫の段階で、種同定は難しい。それにオオカマキリとハラビロカマキリの違いがいまいちよくわからない。
「達也も捕まえてみろよ」
「俺は、そうだな…。どちらかと言うと甲虫の方が好きだな」
「それは子供だよ」
「そりゃそうだよ。俺たちまだ小3だぜ?」
「だね」
2人で笑う。達也とは本当に気が合う。知り合った当時は3日も連続で遊んだくらいだ。去年も遊んだし、今年も先週家に呼んだばかり。
「ボクは絶対、昆虫の科学者になるよ! でもって新種を発見するんだ!」
柳地の将来の夢である。今までは何故かパン屋になりたいと思っていたが、虫に興味を引かれてからは科学者を目指している。
「お前ならなれるんじゃね?」
「君はどうするの?」
「俺か? 俺はなあ、お前がなるなら俺もなる。で、お前よりいっぱい新種を発見してやるぜ!」
「君にできるかよ」
「見とけよ」
そんな会話をしていると、3時間目、4時間目が終わり、給食も食べ終え、昼休みになった。
昼休みには、ボールで遊んだり、図書室に行ったり、自由帳に絵を描いたりと一人一人がそれぞれの好みをする。柳地と達也も例外ではない。2人にとってこの時間にしたいこと、それは昆虫採集だ。
「餌は補充しておきたいじゃん」
そう言って、達也を誘った。いや誘わなくても来ただろう。校庭の花壇はセセリチョウが飛んでおり、昆虫採集にはもってこいだ。
「教室のさ、モンシロチョウじゃ駄目かね?」
「何言ってんの達也! あれは教材なんだよ? 餌にしたら杉浦先生に怒られる!」
「だよなー」
柳地にとって、この花壇は思い出の場所だ。達也はもう忘れてしまっているかもしれないが、2人はここで出会ったのだ。
最初のきっかけは、柳地から話しかけたことだった。
「何をしているの?」
クラスに同じ幼稚園の出身者はいたが、その人とはあまり遊ばなかった。だからいつも一人で遊具で遊んでいた。しかしその日は遊具にはいかず、花壇に行った。同じクラスの達也がそこにいたからだ。
「昆虫採集さ」
達也はそう答えた。花にとまっている、セセリチョウを狙っていた。そして一瞬の隙をついて、その翅を掴んだ。
「こんな感じで、ね」
これは面白そうだと思った。幼稚園の時はあまり虫に興味がなかった分、柳地は昆虫採集にのめり込んだ。やればやるほど好きになる。時にはアカトンボを捕まえたりもした。近くの小川でアメンボを追いかけたりもした。もう自分の生活に、昆虫採集はなくてはならないものとなっていた。
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