トロント村のロー

 魔術の真髄をリスティに教授してから1週間程が経った。


 建国祭の祝日を前に学園の中の空気も心なしか弾んでいるように感じられる。


 いつも通り研究室への道すがらの渡り廊下を通っていると、夕日を背に燃え盛りの四阿の前に立つリスティの姿が見えた。


 ふと立ち止まってその姿を見ていると、涼しい風が頬を撫でた。残暑の終わり。季節もようやく移ろい始めたようだった。


 資料を机の上に置いた時。ふとリスティが訪ねてくるような気がした。


 気がしただけだが、この手の直感はどうしてかよく当たる。メティスは研究に手を付ける前にお茶を入れてしばらく来客を待つことにした。


 すると、


「あの、メティス先生いらっしゃいますでしょうか」と聞き覚えのある声がだの向こうからしたので、メティスはつい口の端を緩めてしまった。


「どうぞ」短く答えながらメティスはリスティのお茶を入れようとしたが・・・・


 普段来客者のない研究室にはカップを一つしか置いていなかったことを今更ながら思い出して頭をかかえてしまった。


 この時ほど、普段の人付き合いのなさを後悔したことはない。


「失礼します・・・・って先生どうかされたんですか?」


 入るなり、頭を抱えているメティスの姿にリスティは慌てて机に駆け寄った。


「何でもないわ。それよりもどうしたのかしら?」


 メティスはカップを自身から遠ざけながら顔を上げて言う。


「それがその・・・」


 何とも申し訳なさそうなリスティの表情にメティスは首を傾げた。


 てっきり魔術が使えるようになった旨の報告をしに来たものだとばかり思っていたからである。


「折角来たのだから、早くおっしゃいな。時間は有限なのよ」


「はい。すいません・・・この前先生に頂いた助言なんですけど・・私にはよく理解できなくて・・・」


 と語尾に行くにやっと聞き取れる声量になりながら、リスティはそう告白した。目元はすでに泣きそうなくらい潤んでいる。


「・・・」


 眉の端が微妙に痙攣しているのを感じながら、メティスは震えながらもう一度頭を抱えた。


「本当にすみません!その、私は魔術の扱いが全然駄目で抽象的と言うかそのもっと具体的でないと想像や理解が追いつかないと言うか、何と言うか・・・私が全部悪いんです!」


 メティスが怒りに震えていると思ったリスティは目を見開いて、必死にそう続けて言う。他にも何か続けようとした様子だったが、口を開け閉めするだけで声が付いてこなかった。


 やがて諦めるようにリスティも口をつぐんで俯いてしまう。


 どちらとも何を言うでも、しばらくの沈黙があってから、


「明日・・・明日の同じ時刻にもう一度来てくれないかしら」メティスが顔を上げて言葉を発した。


「はっはいっ!わかりました!」


 リスティは極度に緊張していたようで、メティスの言葉を聞くやバネ式の人形のように背筋を伸ばすと大きな声をそう返事をしたのであった。




 リスティが退室してからどれくらい時間が経っただろう。夕日も沈み辺りはすっかり暗くなってしまっていた。メティスはカップの中に視線を落としながら、深くため息を吐いた。茶褐色の上に浮いた細い糸くずが波紋の沿って踊っている。


 あの時、きっとあの子は私が怒りに震えていたと思っていただろう。


「悪いことをしたわね・・・」


 三つ子の魂百までと言うが、子供の頃から他人と関わることを避けてきたメティスはつい自分本位な振る舞いをしてしまう癖があった。良い仲間に恵まれ旅をするうちにかなりはましになったと思っていたのだが・・・



 なかなか矯正できるものではない。


 先ほども怒りに震えたわけではなかった。


 勝手に魔術の真髄を教授できたと思い込んでいた独りよがりがあまりにも喜劇すぎて羞恥心からそれを誤魔化していたにすぎないのだから。



「私に足りないもの・・・ね・・・」


 メティスは力なくそう呟くと、天窓を仰ぎ見てどうしようかと考え始めたのだった。


 その日の夜、人に教えたことがないメティスは魔法を扱えたことのないリスティをどうすれば導くことができるのだろうか。寝床に入ってからもそれをずっと考えていた。


 魔術に関しては一貫して独学で学んできた。人付き合いが苦手と言うのもあったが、ラフィティスに触れ魔術の深意に触れたメティスにとって、自分と同等の知識を有する人間が他にはいなかったと言うのが本当のところである。

 独学する方法は数多と知っていても、誰かを導く術をこれほど知らないとは・・・・ 

 

 シスターならなんとおっしゃるだろうか・・・・・


 そんなことを考えながら眠りについたからだろうか、懐かしい夢を見た。

 それはまだメティスが魔術を学べども魔法を扱えず、卑屈になっていた子供時代。孤児院のシスターでメティスの魔術の師でもあるシスターマーブルに導かれ魔法をはじめて使えた日の夢だった。


 懐かしくもありとてもぬくもりのある夢だった。


 窓から差し込む朝日を見上げ、こんなに目覚めの良い朝は久しぶりだと感じた。


「マーブル先生、私を導いてくださったのですね」


 リスティを導くいい方法を思い出したメティスは、早朝から準備に取り掛かった。タイミングは最高だった。何せ、明日からは建国祭の連休なのだ。この機を逃すわけにはいかない。

 もちろん、リスティがすでに何か予定を入れているかもしれないと脳裏をよぎったが、それはあえて無視することにした。

 

 根拠はなかったが、うまくいく気がした。確証もなかったが、なぜかうまく行くきがしたのである。

 

 翌朝、メティスは講堂へ向かうやいなや学生たちに無課題の自習を告げその足で街へ買い出しへ出かけた。間髪入れずの自習宣言に学生たちはいくばくか動揺していたようであったが、どうせ、教本の暗唱をするだけの講義なのだから、やってもやらなくてもやらなくても大差はない。


 大口の麻袋を手にメティスは、市場へ向かい新鮮な野菜と果物。柔らかめの干し肉を買い、最後にお茶の葉を買った。市場を後にしてパンを買うために小麦通りに入ったところで、メティスは足早になった。


 それと言うのも、今一番出くわしたくない縦巻きカールがこちらに向かて来たからである。

 

 一瞬は踵を返すことも路地に入ることも考えたが、相手が相手だけにどうしてもそれをしたくなくなった。

 相手の名前も知らなければ目立つブロンドの縦巻きカール以外顔もろくに覚えてもない相手、ではあったがどうやら貴族らしいともなれば話は別。貴族と言う人種がいかにネチネチとしつこいかは、世界浄化の旅で嫌と言うほど思い知らされている。大事の前に下手に難癖をつけられでもしたら、明日からの予定がご破算になりかねない。


 魔術師はパーティの中にあっていかに白熱した場面であっても常に冷静沈着であり、最良の思考を保ち、時として毅然としてブラフをかますくらいでなければならない。これはメティスの持論である。


つまり、持論よりも、メティスのプライドが優先されたと言うことである。


とは言え、当然、


「あなた!お待ちなさい!!」スカーレットの生える艶やかなプリーツドレスに身を包んだ、見るからに高貴な装いの女性が通り中に響くような大声でメティスに叫びかけた。


もちろん、無関係者を装いさらに足を速めるメティス。もう走り出す寸前である。


「メティス・フィステル!ここで会ったのもサラ・ソーサレス様のお導き。今一度私と、ってお待ちなさいと言ってるでしょうに!」


 エスペランサはブロンドの縦巻きカールを振り乱し、脇を素通りしていたメティスの後を追うと、丁寧に真正面に回り込んだ。

 思ったよりも足が速い。メティスはそう思った。


「何かしら、露出狂のお嬢様」


 メティスは大声で牽制の一撃を見舞う。こんなところで魔術を使うわけにはいかない。ならばここは高度な頭脳戦である。


「なななななっー!、ちょーっとっ、大衆の面前でなんてことを口走ってくれるのかしら!誰が露出狂ですかっ」


 エスペランサはメティスの言葉をかき消すようにさらに声量を上げて言うが、この場合は狼狽して否定した方が鳴く実に怪しく映る。しかも、エスペランサの場合自分でも露出狂と口に出して顔を赤面させている時点でなお分が悪い。


「注目の的ですが、どうします?お嬢様」


 メティスは静かにそういった、実際にはそこまで観衆がいたわけではなかったが赤面しているエスペランサには効果てきめんな一言だった。

 家柄だのと面目にこだわる貴族階級はとにかく、人の目を気にする。 

 これも旅路で学んだ実学知識。


「もーこんなはずではなかったのにっ」


 歯を食いしばるように苦々しく言いながら、エスペランサはメティスの腕を掴むと女性とは思えない力で近くのパン店【マロン&マロン】の中に連れ込んだ。

 動きにくい講師の制服でなければ、メティスとて多少なりと抵抗もできたかもしれなかったが、体にまとわりつくこの制服のせいで足運びがおぼつかない。


「あなた本当に魔術士・・・この握力、戦士の間違いじゃないの」


 メティスはそう言いながら腕に回復魔法を施こす。


「回復魔法だなんてそんな大げさな。そもそも挑発をしてきたのはメティス、フィステル。貴方でしょうに!」


「いちいち、フルネームで呼ばないでもらえるかしら」


 うっとおしい。と続けてメティスが言う。


「あなたこそ、お嬢様お嬢様うるさいです。私にはエスペランサ・ランカスターと言う誉れ高き名前がありましてよ」


「貴方、エスペランサ・ランカスターって言う名前だったのね。知らなかったわ」


 そういえば、学生にも似たような名前があったような・・・と思ったものの、よく覚えていなかったので思い出すのをやめた。


「なんて無礼な!メティスさん、貴方は私がランカスター家の人間と知らずに、あんな仕打ちをしたのですか!!本当なら不敬罪で牢獄ものだと言うのに」


 今度は違った意味で顔を中を赤面させるエスペランサ。握る拳にも力が入っている様子である。


「貴方は1人の魔術士として私に魔導決闘を挑み完膚なきまでに負けた。ただそれだけでしょう。本来魔道決闘においては生殺与奪の権利はすべからく勝者に委ねられるもの。それを魔導歴史学の講師である貴方がしらないはずがないと思うけれど」


 ここは正論で突破することにした。幸いにも店内には客の姿はなく、制服と思しき翠色のワンピースに白いエプロンをした店員が目をまん丸にして、闖入者のやり取りを見守っているだけ。ここでなら、論破したところで遺恨も少なくて済むはずである。

 それにしてもいい匂いだ。とメティスは呼吸を荒くするふりをして豊潤で香ばしい薫りを肺いっぱいに吸い込んだ。


「そっ、それはもう130年前の魔道決闘のことでしょう。今では名誉は掛けても命を掛けた決闘はフォンティーナ魔導士法で固く禁止されています」


「ただの言い訳ね」法律には疎いメティスはそうだったの。と思いつつ、ここで引き下がるわけにはいかないと挑発を試みた。


が、


「私は負けは認めています。それにあの決闘でのことを根に持ってはいませ。その、私の言い方が悪かったところも認めます。つまり私は、今貴方と言い争いがしたいわけではありませんの」


 エスペランサにそう言われてしまい、メティスは拍子抜けしてしまった。このまま論破して涙を残して走り去るエスペランサを想定したのだが、意図しないエスペランサの言葉に想定が一気に崩れてしまった。

 面倒くさいことに先の展開が読みずらい。


「なら、学長先生から火急の要件を頼まれているから、早く済ませて欲しいのだけれど。お店にも迷惑でしょう」


 深く考えることもない。ここはさっさと切り上げて、通りの奥にある行きつけの安いパン店へ行ってパンを買って帰ろう。

 メティスの新たな方針が決まった。 


「話をややこしくしたのは貴方でしょうが、露出狂とか言うから・・・・・こほんっ、要件は他でもありません。今一度私と魔道決闘をしてほしいのです」


「いやよ」やけに熱意の籠った瞳で訴えかけてくるなと思ったが、メティスは秒速でこれを拒否した。


「貴方と言う人は、断るにしても少しくらい考えてから返事をしなさいな!」


「断ったのではないわ。拒否したのよ」


「ううう・・・まぁ、素直に受けてもらえるとは思ってませんでしたけど・・・いいです。また今度、いいえ何度でも受けてもらえるまで何度でも申し込ませていただくつもりです」


 そう言うと、エスペランサは柔らかそうな白いブールを一つ持手の取り「お騒がせ代も含めてありますからおつりは結構です」と500ザリーを店員に手渡した。

 思わずメティスがブールの値段を確認すると200ザリー・・・・メティスがいつも買うパン店の4倍の値段が値札に書いてあった。

 あまりの値段に目元を引きつらせるメティス。


「貴方もパンを求めに来たのでしょう。手間をとらせてしまった分はこのパンで勘弁なさい」


 エスペランサは強引にブールをメティスの麻袋にねじ込むと、


「ここのパンはランカスター家御用達なのですわよ」とすれ違いざまに小さく言ってから店を出て行った。


「(このブルジョワめ)」

 

 メティスはなるほど美味しそうなパンが並ぶ店内一望してから、その場に崩れ落ちた。



 パンも食器も床さえも輝いている。この食欲をそそる濃い小麦の薫りは良質な小麦に混ぜ物をしないで小麦だけを使って製パンしているからだろう。


 歩くたびに靴が白くなる粉っぽい床、謎の黒い粉で嵩増しされた日持ちはするけど、とにかく固いパン。それが日々のメティスには謎の敗北感があった。


「1個200ザリーのパンを毎日食べているなんて・・・」思わず心の声が出てしまっていることにもお構いなくメティスは嘆きそして思い出した。


 自分には無限の魔力があったが、金が絶望的に無かったことを・・・・


 財力の暴力の前にメティスはなす術をもっていなかったのである。

 

 麻袋に収まっているパンをつついてみた。弾力があった・・・・

 

「なんて柔らかいの・・・・」


 メティスは静かに立ち上がると、

 

「帰ろう」そっと、店を後にしたのだった。

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メティス・フィステルと燃え狂いの四阿 畑々 端子 @hasiko

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