Ⅱ 天才との遭遇

 エリティンピヨーテを泣かしてから10日余りが過ぎた。


 理事長じきじきの御達しがあっても良い頃合いなのだが、一向にない。


 メティスは給金が倍になるでもないのに、本職の魔術研究が夕方からに制約されるこの状況に段々と嫌気がさしてきた。

 性格的には不必要と一度思ってしまえば躊躇なく切り捨てるところがある。明日から突然教壇に立つことを放棄することだってやりかけない。

 それを実行していないのは一握りの後ろめたさがあるからである。


 メティスは胸中をモヤモヤさせながら、指導者控室から研究棟へ続く渡り廊下を歩いていた。


「またあの子・・・」


 燃えるような夕日を背に、燃え盛る四阿とそれに対峙している学生の姿を認め、メティスは足を止めた。


 教鞭をとってひと月と少し、毎日見かける風景となりつつある。何度か近くを通りかかった折、見かけたその横顔はメティスの見知った顔であった。

 多分、自分が教鞭をとるクラスの学生だ、それには間違いなかったが名前が出てこない。


 メティスは絶望的に興味がないことへは無関心だった。


 そんなメティスが、あの中庭に佇んでいた学生がリスティ・G・ハインドであることが分かったのは、研究室に持ち込んだ資料の中に、偶然出欠簿が紛れ込んでいたからだった。

 少し興味のわいたメティスは、リスティの成績に目を通した。


「これは・・・」


 魔術適正:なし

 魔術属性:認められず


 教員であれば誰しもこの絶望的な評価に眉を顰めるところだが、メティスは眉を少し動かしてから久しぶりに嬉々とした表情になるのであった。 


  そんな経緯も含め、翌日の講義の終盤。


 『魔術形態の変遷』の項目でリスティが勢いよく挙手をした時、思わずメティスが「なんですか。リスティ・ハインドさん」とつい彼女の名前を口にしてしまった時は、講堂内がざわついた。


 何せ今までメティスは学生の名前など憶えていた試しがなかったからである。


 興味の無いことに関してはどこまでも無関心なのである。


 そんなメティスに名前を呼ばれたリスティが驚きのあまり口をぽかんと開けたまま固まっていた。


メティスは取り乱すでもなく「何もないなら講義の邪魔をしないで」と続けたのだが・・・

「いえ・・・あのっ、メティス先生お魔術形態はどの分類なのでしょうか」一瞬諦めかけたリスティだったが、意を決したように講堂内の視線が集まる中やっとそう言い切った。


 静寂を裂いたリスティの声は講堂内に良く響いたが、その内容は学生の達の誰に一人として響かなかった。


「個人的なことに関してはここでは答える必要がないわ」


 もちろんメティスはこれをさらりと冷たくあしらった。


 が、内心では1人だけ目の付け所が違ったリスティの質問に。メティスの心は少し躍動してたのだった。

きっと魔道決闘を見ていたのだろう。これだけの学生がいる中でそれに気が付いたのはきっと彼女だけだ。


 昨日の今日だけに、メティスの中ではリスティに対する好奇心が高まった。

 その日の放課後。


 夕方と言うには少し早い時刻。


 メティスはいつも通り魔導研究の資料を併設されてある国立魔道図書館から研究室へ持ち込んで、椅子に腰を深く沈めた。

 

 この研究室の良いところは、窓から西日が入るところだ。朝日は睡眠の妨げになる。


 研究室に泊まり込むことが珍しくないメティスだったが、教壇に立つようになってからはすっかりご無沙汰である。心なしか体が軽いのは生活リズムの変化のためだろうか。


 舞い上がる埃を西日が照らし出す様を眺めていると珍しくドアをノックする音が響いた。


「どうぞ」


 メティスが短く答えると、静かにゆっくりとドアが開き「し、失礼します・・・」と恐る恐る見覚えのある少女が入ってきた。


 リスティ・ハインドだった。


「何かしら、わざわざ研究室にまで訪ねてきて」


「えっと、その、先生は『ここでは答える必要がない』とおっしゃったので、研究室でなら答えていただけるかと思いまして・・・」


 メティスの黒過ぎる瞳を前に、リスティはなんで今ここに自分はいるんだろう。そんな気がして仕方がなかった。


 確かにメティス女史はそう言った。その返答は空気を読まずに前向きにだけ受け取ると【講堂では答えられない】と言う意味に受け取ることができる。 


 とは言え、流石にリスティも悩んだ。果たしてあの冷徹なメティス女史にこんな屁理屈のような理屈が通用するのだろうかと・・・


 そう悶々と考えながら今日も今日とて燃え狂いの四阿へ向かった。

 

 悶々と考えていて心ここにあらずが悪かったのか今日は距離感を間違えて2歩ほど炎の間合いに入ってしまった。


 すかさず炎は生き物のごとく炎を伸ばし横薙ぎにリスティの顔面へと迫った。

 

 リスティは慌てて後ろに倒れるようにこれを回避しようとしたが悶々と考えていたせいで一瞬反応が遅れ、


 視界が一瞬オレンジ色に染まった。確かにオレンジ色を見た。


 派手に尻もちをついたまましばらく放心状態であった。


 どれくらい呆然と四阿を見つめていただろう、カラスの鳴き声で我に返ったリスティは、無我夢中で研究棟へ駆け出したのであった。


 走馬灯のように記憶を駆け巡ったあげく、再び自分を見つめる深く深い瞳を見つめられている現状を理解したリスティは、次の瞬間に魔術でどうにかされてしまうのではないだろうか。そんな恐怖に似た緊張感に生唾を飲んだ。だから、


「そうね。椅子がないから立ったままでよければ質問に答えるわ」軽い調子でそうメティスが言った時には

気が遠くなってしまった。


「あ、ありがとうございます」


 胸をなでおろしたリスティは、手が汗でぐっしょりしていることに気がつた。


「それで・・・私の魔術形態についてだったわね」


「はい。エスペランサ先生との魔道決闘の時、魔封石や詠唱、術式の展開もしないで魔術を発動させました。あの魔術発動形式は教本のどこにも見当たらないばかりか、図書館にあるどの関連書物にも書いてありませんでした」


メティスは何度も頷きながら「あの瞬間をよく観察していたわね」と短く言い、右の人差し指を立てて見せ。


 リスティの視線が人差し指に向き、メティスが口元を綻ばせると、指差しから蝋六の火程度の火が出現した。


「それ!それです!どうやったんですか!?」


 リスティは信じられないと言った表情のまま身を乗り出してそう言う。


「難しいことではないわ。マナの扱いが出来て魔力を有していれさえすれば、誰にだってできることよ。しいて言えば、固定概念がそれを不可能にしているの」


「固定概念・・・?」


「サンドラ・フェルラーリは魔導創世記の最後にこう記しているわ。【魔法は誰にでも自由に奇跡を起こす力を与えるもの】と」


 メティスはその意味をリスティに考えさせるように、そう言った後しばらくの沈黙の間をおいた。

 

 リスティは、魔道歴史学の教本にそんあ記述があっただろうか?と首を捻るしかなかった。


「サンドラの魔法は現代魔術の理念や考え方の根底にあるものであり、欠落したものでもあるのよ。サンドラは魔法とは望む者すべてに与えられる等しく自由に奇跡を起こせるものであるべきだと考えた。けれど、現魔導士会は才覚のある限られた人間にのみ扱える特別な力である。そう位置付けている。私だって、色々な書籍を読んできたけれど、こんな学園で魔術をまなんだことなんてないもの」


「すみません。私は先生がおっしゃりたいことが今一つ理解できずにいます」


 メティスの言葉だと、魔法の始祖であるサンドラ・フェルラーリと話してきたような語り口であるし、加えて、必死に学園で学んでいるリスティにとって学園の存在を否定されたように感じた。 


「つまり、魔術・・・魔法は学園で専門的知識を学ばなくても使えると言うことよ。魔法に一番必要なのは起こしたい奇跡をより強く具体的に思い描くことのできるイメージ力。これに尽きるわ」


「イメージ力・・・」


「理屈はあまり好きではないの」まだ今一つ腑に落ちていないリスティに、メティスは短くそういうと、

手じかにあった、魔導召喚魔術大辞典を手に取ると適当に開いて机に置くと「この本は知っているわよね。この魔導召喚術式はわかるかしら?」とリスティに促した。


「はい。わかります私も使っている教本です。これはサラマンドラの術式だと思います」


 二重円の外側と内側に、古代文字の羅列。確かこれは詠唱の文言を刻んだものでこの術式に直接魔力を伝えるだけで詠唱を飛ばして魔術を発動できる、詠唱魔術形態の簡略式。詠唱魔術に比べ早く発動できるが、その反面文字に制約があるため、長い詠唱を必要とする強力な魔術には使えない。

 円の中央に炎を象ったレリーフがあることから、火を召喚する術式でだろうと推測できた。


「そうね。これは火を生み出す術式と言うことになっているけれど・・・」メティスはそう言いながら、そっと術式に親指を触れさせた。


 すると、


 その瞬間に術式から水が湧き出したからリスティは声を失った。


「・・・そんな・・・サラマンドラの術式から水が・・・」


「もちろん種も仕掛けもないわ。さっきあなたも言ったものね、『私も使っている教本です』って」


「はい。確かに教本でした。なんなら私昨日これと同じページを復習したので・・・」


 まだ目の前の出来事が信じられないらしく、リスティは視線を上下させながら口をパクパクさせている。


「この学園の理念にある世の理とは所詮この程度のものなのよ」

 

 メティスは術式から指を放しながらそういうと。どうして水にしたのだろうかと水浸しの床を見て深く後悔した。


 その後、2人はしばらく拭き掃除をすることになった。


「さっきはわけがわからなかったですけど、今は少しわかった気がします。つまり、さっきのがイメージ力なんですね。たとえ火を召喚する術式であっても、それを上回る【水】が出ると言うイメージを働かせれば術式を無視することができるっと・・・」


「術式をイメージ力で上回ることはできないわ。術式や魔法陣はすでに具現化する魔術の形を描いた設計図だもの、そこの魔力を注ぐだけで誰でも設計図通りに魔術の発動ができる。魔力量によって形は多少かわるけれどね」


 メティスは差し込む西日を背にして意地悪く口元をほころばした。少し意地悪なことを言ってみた。リスティを少し試したくなったからだった。


「そんな・・だったら・・教本の術式が偽物だってことしか、思いつかないんですけど・・・?」


「そう。その通りよ。その教本に描かれている術式のほとんどはルーン文字を用いていない、ただの図形でしかないわ。なのに、それを使って魔術が発動できるのは、教本に描かれている術式に表記通り魔術を具現化する効果があると信じているから、具現化できているだけにすぎないの。

 逆に私はさっきのサラマンドラの術式を見てこれはただの落書きだとしか思っていなかったから、あたかも他の魔術を発動させたかのように水を具現化して見せることができただけ」


「だから、信じることとイメージ力が大切なんですか・・・」


「そうね。私の場合は出来ることは大前提でイメージしたものを魔術として具現化しているから、あなたの場合だとまずは、信じることから始めた方が良いわね」




 抽象的で感覚的な助言は助言にならない。


 自室に戻ってから食事の間もお風呂時間も考え続け、予習復習の時間を経てリスティはようやくその結論に至った。


 天才との遭遇だとリスティは溜息をついた。きっと天才肌の人たちは気が付いたらなんとなく魔術が扱えていたのだろう。


 メティスの自信を超越した確固たるものとその口ぶりにそう感じるしか思考のもっていきようがなかった。生まれてから今まで魔術に触れる事さえできていない自分とは何もかもが別次元なのだと天井の模様を眺めていた。


 そして、不意に思い出した光景にリスティは思わず羽ペンを床に落としてしまうのである。


 そのきっかけは、やはり魔術を諦めて燃え盛りの四阿をなんとかしよう。そんな思考の変化に伴って強烈に脳裏に蘇った。


 羽ペンを拾い上げ床に飛んだインクを拭きながら何度も頷く。


 確かにあの瞬間、四阿の炎は自分の顔に届いていた。と・・・


 視界諸共淡いオレンジ色に染めあがったアレは四阿の炎手・・・


 リスティはすくっと立ち上がると、何度も自分の顔をペタペタと触ってみてから手鏡で火傷の有無を確認もしてみた。だが、不思議なことに炎に薙ぎられたはずであるにも関わらず、前髪一本焦げていないのである。


「どうしかしたの?」 

  

 先にベットで休んでいたクロワッツが2段ベットから顔を出して声を掛けた。


「・・・なんでもないの、ペン落としちゃって」


 咄嗟にクロワッツに今日の出来事を相談しようかと思ったリスティだったが、眠そうな目元を見やって少なくとも相談は明日の夕方以降にしようと思ったのだった。


 一方、研究室に籠っていたメティスは、妙に込み上げてくる高揚感にすっかり研究に集中できずにいた。


 今日ようやく第一歩を踏み出せたのだ。その高揚感と達成感は新しい魔術開発が成功した時よりもずっとずっと大きい。

 

「ここから魔術の歴史がかわるの。リスティあなたが歴史を変えるのよ」


 煌々と燃えるランプの灯をその瞳に宿しながら、メティスは口元を緩めてリスティに対し魔術真髄を教授できたことを快哉と喜んでいたのであった。


 リスティ本人には何も伝わっていないとも知らずに・・・

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