黄昏時よりも少し早い刻限、リスティ・G・ハインドはその日も同じ場所で同じ光景をただ一点に観察していた。

 燃えるように赤を称える西の空よりも煌々と紅く狂ったように燃え上がる四阿を。


 『 燃え狂いの四阿 』


 学生の間ではそのように呼ばれている、学院の中庭、薬草植物庭園を見下ろす小高い丘の上にある四阿である。

 誰が何の為に四阿を燃やしたのか正確な記録はないものの、凡そ100年前の卒業文集にはすでにその存在が記載されてあることから、少なくとも100年以上前に火がつけられ、すでに100年以上燃え続けていることになる。

 なんらかの魔術によって燃えているのだろうと言う理由らしかったが、決定的な原因は解明されておらず、未だに誰一人として消火に成功した魔導士はいない。


 いつしか卒業式の夜、主席卒業生がこの四阿の炎に挑戦することが慣習化しており、毎年注目のイベントなっている。

 ちなみに、誰一人としてこの炎を弱めることに成功した者すらいない。


 この炎は生き物のように、近づく者を威嚇する。

 近づこうするもの全てに、唸るような轟音と共に触手のような山吹色の炎を叩きつけるように伸ばしてくるのである。


 リスティは毎日の観察から威嚇の範囲を熟知しておりそのギリギリで歩みを止めると、止めどなく形を変化させる炎を観察し続けるのであった。

 とにかく気が付いたことはメモに書いた。どんなに些細なことも書き込んだ。

 

 雨の日も風の日も雪の日も嵐の日でさえ、観察を怠らなかった。むしろ、天候に変化がある日ほど新しい発見があるのではないかと期待に胸を膨らませた。


 これほどまでにリスティがこの、燃え狂いの四阿 、に執着するには理由がある。


 公式な公表があるわけではなかったが、この燃え狂いの四阿を鎮火した学院生にはもれなく宮廷魔導士への道が約束される。と言うまことしやかな噂があった。


 宮廷魔導士…


 元々ハインド家は皇国近衛騎士団団長を輩出したこともある、名門貴族だったが、ここ4代にわたって、女子しか生まれず、また生まれてきたどの子供もすべからくマナを使う術を学んで尚、魔術を発動することができない特異体質も持ち、『女産の呪い』と忌み嫌われ、国へ奉仕できないことを恥じた先々代当主が爵位と土地を返上し現在では郊外で農業を生業にしている。


 いわゆる没落貴族であった。


「なんとしても…」


 仮に宮廷魔導士への推薦が噂であったとしても、学院を首席で卒業する以上の偉業となることはまず間違いない。魔術を具現化できないリスティにとってはこの四阿の鎮火こそ、辛酸を舐め続けてきたハインド家の大いなる捲土重来であり、自分自身の希望でもあったのである。


 今日も今日とて特に目新しい変化を発見できるでもなかったが、リスティは頭上に輝く星々を仰ぎ見て覚悟を新たにメモ帳を閉じたのだった。


 学園女子寮の自室へ戻ると、相部屋のクロワッツ・サンガリアがいつものように、薬草学の教本を読んでいた。

 

 リスティに気が付いたクロワッツは「おかえり」と短く言うと、机にカバンをおろすリスティに「残りだけど」とポットに残ったハーブティをカップに入れてくれた。


「ただいま、ありがと」対してリスティは短くそう答えると、カップを受け取りながら2段ベットによりかかるように床に腰を落ち着けた。


「今日もお疲れ様」


 クロワッツは優しいまなざしをカップに口をつけるリスティに向けながら小さくそういった。


 リスティにとってはクロワッツは魔術学園に在籍していながら魔術を具現化できない自分の数少ない理解者であり、同時に同い年でありながら、その絶大な包容力からお母さんのような存在もあった。


「あーもー全然駄目。わかんないーはぁー」故に、クロワッツにはつい甘えてしまう。


「『 燃え狂いの四阿 』の攻略?」


 真面目な彼女は薬草学の本を閉じてリスティに向き直った。


「ふぅ。そう。全っ然攻略の糸口が見つからない。もう2年も観察してるって言うのに」


 卒業まで後2年を残し、リスティには徐々に焦りが見え始めた。このままでは、学園を卒業することさえままならない。


「ごめんねぇ、薬草学専攻の私には何にもできなくて」申し訳なさそうにクロワッツはそう言うと「薬学の知識が使えたらいいんだけど・・・」と小さく続けた。


 クロワッツは、治癒魔術学科の中にある薬学専術を専攻している。人命に関わる魔術学であるためリスティ達、総合魔術学科とは別館で学んでいる。

 才識の認められた極々一部の者だけが入学を許される、特別な魔術学科である。


「薬学の知識でなくて、魔術かなぁ。まぁ、あなたの魔術はあれだから」と一度だけ見せてもらったクロワッツの魔術を思い出してリスティはうんざりと首を左右に揺らしながら「秀才で魔術が使えるってだけで十分羨ましいんですけど」と皮肉を混ぜて声を大きくして続けた。


「そんなこと言われても・・・」


 クロワッツは秀才だが、冗談が絶望的に通じなかった。


「嘘。冗談よ」


 だから、リスティは冗談を行った時は、クロワッツの反応をひとしきり楽しんでから、こうして冗談だとちゃんと話すようにようにしているのでだった。


「もーまた意地悪するでしょ。もー」


 んー可愛い。


 少し頬を膨らませて前のめりになって言うクロワッツのパープルがかったシルバーの頭髪が魔道蝋燭の明かりに照らされていつもより濃く見えた。


「あっ、そう言えばこの前言ってたあの黒髪の新任の先生に話は聞けたの?」


 可愛いなぁとクロワッツの顔を見ていたリスティに、クロワッツは不意に言う。


「メティス先生?」


「そうそう、エスペランサ先生と魔道決闘した日、「詠唱なしで魔術を発動してた!!あんな人初めて見た」ってすごく興奮して話してたじゃない」


「あー・・・そうだったっけ?」本当はよく覚えている。恥ずかしいくらいにはしゃいでクロワッツに何度も何度も大きな声でいかにすごかったかを説明した。実際、今思い出して恥ずかしいから嘘をついたわけだけれど・・・ 


「えぇー、ちっさい子がお母さんに宝物見つけたの自慢するくらい何度も何度も大きな声であんなに熱心に話してたのに」


 信じられないと言った表情でクロワッツは視線を逸らすリスティを見つめている。


「あーうん・・・思い出したー、今思い出しましたー」


 クロワッツは真面目だから、空気を読むのが苦手だ。


 これ以上とぼけると、彼女は自分に思い出させるために更に当時の状況を事細かに話すだろう。もしかしたら状況を再現さえするかもしれない。そんなことをされたら、恥ずかしさのあまり、クロワッツを襲いかねない。


 リスティはさりげなく思い出したことにした。


「あの先生ね。すごく癖が強いって言うか、寄らば切るって感じがすごいのよ。今日だって、エリティンピヨーテさんが授業の文句言って泣かされてたし」


「主席のあのエリティンピヨーテさんが!?」


「そうよ。主席の学生であれなんだから、落第スレスレ私が何聞いたって泣かされるだけよ」


 リスティは皮肉を込めてそう言った。


 本当のところは正直な心中半分、恐怖半分。

 

 あの魔術の発動に関しては教本に書かれてあるどの魔術の形態とも異なることは明らかだ。魔道を志す人間にとっては興味がわかないわけがない。それに、未知の魔術形態を知っているのであれば、『燃え狂いの四阿』攻略のヒントになりうる「何か」を知っているかもしれない。


 決闘を見た夜はその期待に胸を膨らませてなかなか寝つけなかったことを今でも鮮明に覚えている。


 けれど、実際に目の当たりにしたその人物は横柄で乱暴で、まるで取り付く島もない。


 きっと、ローゼンフィニアやエリティンピヨーテは自身の魔術にそれなりの自信があったからこそ、意見できたのだろう。ローゼンフィニアの場合は私怨も多少はあるにせよ。クラスで5本の指に入る実力者であることには違いない。


 結局は学園内だろうと実力社会であることには違いはない。だから基礎魔術すら具現化できない自分が100年もの間、名だたる実力者たちが何度挑んでも消せなかった『燃え狂いの四阿』に挑もうとしていること自体が無謀だろうし、何より笑われてしまうのが怖かった。


 見捨てられてしまうようで心の芯から怖かったのだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る