第五話 

 待ち合わせ場所である繁華街は、普段行く市街よりも数駅分離れていた。

 駅のホームを出た途端、陽光によって目の前が眩む。

 視界が戻ってよーく目を凝らすと、遠くに悠の横顔が見えた。ただ学校にいるときとは違う服装なので、確信は持てない。


「おーい、悠~!」


 雑踏の隙間を縫うように近づきながら、手を振ってアピールすると、こちらに顔を向けた。

 どうやら悠で間違いようだ。


「おはようございます奈津海さん」

「おはよー悠。約束通り来てくれてアリガトね」


 悠が着ているのは、スウェットにジーンズとラフな恰好だった。

 対する奈津海は肩がぱっくり開いたトップスに、デニムのホットパンツと、露出度の高いファッションである。

 

「それじゃあ、行こっか」


 奈津海はさりげなく悠の手を引っ張った。

 そしてそのまま歩き出そうとしたそのとき、繋がれた手を、何者かの介入で引き離された。


「初めまして、海野さん」


 そう声を掛けた女性に顔を向ける。

 そこにいたのは笑顔をたたえて佇む少女だった。少女のようなあどけなさに、彼女の着る白いワンピースがよく似合っている。


「あなた誰?」

「私の名前は湖月花梨と申します。お兄ちゃ――悠の妹です」

「へ、へ~」


(どうしてデートに妹連れてくるのよーーー!)


 軽く意識が飛びそうになりながらも、努めて平静を保つ。


「で、その妹さんが一体どうしたのかしら?」

「海野さんのことは、兄から聞き及んでおります。何でも、危ないところを助けていただいたとか」

「別に大したことじゃないわよ」

「そんな、謙遜なさらずに。今日はぜひともお礼をと思いまして。手始めに、不器用ながらクッキーを焼いたので、よかったらどうぞ」

「あ、アリガト」


 さっそく奈津海はクッキーの入った小包を紐解いた。

 その中の一枚を指で摘まみ上げると、口内に放り込んだ。


「かっ!」


(からーーーーい! 口の中があっつい~舌がピリピリ痺れる~)


「何か顔色悪そうですけど、もしかしてお口に合いませんでしたか?」


 奈津海の顔を心配そうに覗き込む花梨。しかし言動とは裏腹の顔つきに、目を見張る。

 花梨の表情には、企みが成功した悪女のような嘲りが込められていた。


「なるほどそういうことね……いや、とても美味しかったわよ花梨」

「よかったです~」 


(宣戦布告と受け取っていいのよね。どんな思惑なのか知らないけど、あたしをよく思ってないことは明白ね。いいじゃない、受けて立つわ)

 

 そう決心した奈津海は、大胆な行動に出た。

 袋に入ったクッキーを、一気に口内へ流し込んだのである。


「なっ!?」


 常軌を逸した行動に、花梨は思わず呆気に取られる。

 奈津海は、勝ち誇ったかのような表情と、大量の汗を滲ませながら、空の小包をぐしゃっと握りつぶした。


 誰もこれといったプランを立ててないようなので、ほしいものなら大概が揃う大型百貨店に向かうこととなった。

 人混みを掻き分けながら、他とは一線を画す大きさの建物に到着。

 奈津海を先頭に、三人は正面自動ドアから店内に入る。すると、近くにあったエレベーターがちょうど一階に止まったところだったので、さっそく乗り込んだ。

 奈津海がボタンを押したのは、四階の若者向け中心の婦人服売り場。

 密度の高いエレベーター内を一階ずつ昇っては、止まり、を繰り返し、やっと四階に着いた。

 数人とともに奈津海も降りる。だが、降りてから自分がはめられたということを理解した。


「すみません海野さん。花梨たちは服に興味ないので、八階のゲームセンターに行ってます」

「えっちょっと、まっ」


 ガチャン、ウイーーン。

 言い切るより前に、無残にも扉は閉まり、上の階へ移動してしまった。

 ポツンと一人佇む奈津海からは悲愴感が漂う。

 花梨の思わぬ仕掛けに、呆然と立ち尽くす彼女だったが、込みあがってきた怒りで我に返った。


「あのガキーーーもう怒った! そっちがその気ならあたしだって容赦しないんだから!」


 瞳に闘志を燃え滾らせそう宣言すると、エレベーター脇の階段を駆け上がっていった。


 肩で息をしながらゲームセンターの中を探し回る奈津海。

 悠が格闘ゲームをやっているのを発見したので、隣の筐体の椅子に座った。


「悠、今日はあたしの買い物に付き合ってもらう予定なんだから、こんなのやめて行きましょ」

「はい、でもちょうど花梨と対戦しているので、少し待っててもらえませんか?」

「え~、どうしよっかな……あ、いいこと思いついた!」


 奈津海はふと周囲を見渡すと、ちょうど後ろを通りかかった純朴そうな青年に近づいた。


「あのさ、このゲームの続きやらない?」

「えっでも」

「まあまあ、タダなんだから、ほら、座った座った」


 青年の背中をグイグイ押して、悠のどいた席に強引に座らせた。


「じゃ、行こっか悠」


 悠の腕を引っ張ってゲームセンターを出ると、エスカレーターに乗って下の階へ向かった。



――…



「ちょっとお兄ちゃん、手加減してない? ってあれ?」


 さっきまで戦っていたはずの悠が、見知らぬ青年に代わっている。

 なんとなく予想はついたが、念のため青年に尋ねてみたところ、確信に変わった。


「やるわねビッチ女。でもお兄ちゃんと呑気にデートできると思わないことね」


 花梨の殺意に歪められた微笑みを側で見ていた青年は、震え上がって逃げ出した。



――…



 奈津海は悠を伴って、セレクトショップの店内でアクセサリーを眺めていた。

 すると視界の隅に、左右の肩に垂れ下がる黒髪をひょこひょこと揺らす少女を捉える。

 

「ちっ、意外に早いわね」


 出入口からこちらに歩いてくる花梨を見つけた奈津海は、不満顔を隠そうとしない。

 

「花梨を置いて二人で先に行っちゃうなんてひどいじゃないですか~。一言声を掛けて下さってもいいのに」


 邪心のない態度で頬を膨らませる花梨。それが猫を被った演出なことくらいわかりきっている。


「ごめんね~花梨ちゃん。まさか、対戦してたのが花梨ちゃんだったなんてこれっぽっちも知らなくて~」

「むかっ」


 故意であることをありありと自供する奈津海の図々しさに、腸が煮え繰り返る花梨だった。


 その後も、女同士の熾烈な争いは終わらなかった。

 悠の側を離れたらその隙を突かれて奪われる。そのことを学んだ二人は、左右から挟むように悠に腕を絡ませ、頑なに動こうとしなかった。

 

 やがて、奈津海か花梨のどちらかが行き先を提案するともう片方はダメ出しをする、というループに入る。 

 埒が明かないため、最終的な判断は悠に委ねられた。


「悠、どこに行きたいの!? もちろん買い物に付き合ってくれるわよね!!」

「花梨と趣味嗜好は同じはず。さあお兄ちゃん! 気持ちを偽らないで本心を言って!!」


 獰猛な肉食獣同士のせめぎ合い。二頭のちょうど真ん中にいる悠は、どちらを選んだとしても待っているのは死だった。

 悠の取った選択は……


「…………」

「ちょっと〜妄想に逃げるのは卑怯よ」


 結局どこに行くか決まらず、各階をあてどなく歩き回ることに。

 

 途中で空腹の限界にきた奈津海は、ファミレスに行くことを勧めた。

 妥協するのは癪だったが、花梨もお腹の虫が鳴る寸前だったので、神妙に従った。

 

 ファミレスで一息ついて満足した奈津海と花梨。

 食事をともにして仲が深まるなんてことはなく、ファミレスを出てからも睨み合いは継続していた。

 次に彼女らの競技種目となったのは……


(やばい、半端なくおしっこしたい。でも)


 どれくらい余裕がないかは、奈津海の歩行姿勢が物語っていた。

 内股をこすり合わせ、足裏は水平移動させている。

 

 対する花梨も、尿意の限界は刻一刻と近づいていた。

 歩き方はぎこちなく、まるでロボット歩きである。


 悠のことは譲れない。だけどこのままだと女としてもっとも大事なものを失う。

 彼女らの葛藤は、今まさにクライマックスを迎えていた。

 そして――命運を決定づけたのは何気ない悠の一言だった。


「トイレ行ってきます」


 ボソッと悠がそう言うや否や、彼を勢いよく追い越した奈津海と花梨は、そのまま女子トイレへ直行した。


 全てのしがらみから解放された奈津海と花梨の両名は、ほぼ同じタイミングで個室を出た。

 今まで切羽詰まっていたのが嘘に見える爽やかさである。

 洗面台にて顔を突き合わせた二人は、最初に出会った頃とは違う親近の情が湧いていた。


「ねえビチ子、あなたはどこまでお兄ちゃんのことを知ってるの?」


(ついに本性をあらわしたわね。あとビチ子ってなによ)


「どこまでって?」

「妄想癖があることくらいわかってるでしょ?」

「そうね」


 最近の悠との会話は前に比べてスムーズなため、ほとんど気にならない。


「お兄ちゃんはある時期を境に妄想空間に入り浸るようになった。それは過去のトラウマが関係しているのよ」

「トラウマ?」

「カラオケ屋の個室で二人きりのとき、小賢しい理由をつけた後、ビチ子はお兄ちゃんの前髪を押し上げた。そしてすぐに拒絶されたわね」

「ちょっ、なんでそのこと!」


 質問には答えず、花梨は話を続ける。


「原因は現実をぼやけさせるフィルターを取り払ったからよ。前髪は眩しすぎる現実の光量を最小限にする役割を担っているのよ」


 そこで溜めを作りつつ、二の句を継いだ。


「花梨はね、お兄ちゃんに傷ついてほしくないの。妄想空間に居させてあげたいの。あなたといたら辛い現実を味わわせてしまう。トラウマを呼び起こしてしまう。だから、お兄ちゃんから離れて」


 全てを言い終えたのか、花梨は奈津海の横を通り抜けて、トイレを後にした。


「一方的に言うだけ言ってズルいわよ……だってまだ肝心なことが聞けてないじゃない」


 物音一つしないトイレに、受け取り人のいない愚痴だけが残された。



――…



 結局、本来の目的であった買い物はしないまま、お開きとなった。

 悠と花梨の二人とは駅のホームで別れ、自宅のある駅で電車を降りた奈津海。

 帰路を歩く道中、奈津海はトイレでの花梨との会話を反芻していた。


(どんなトラウマであっても現実逃避してたら何の解決にもならないじゃない。ていうか、あたしといたら辛いって、詭弁も甚だしいわよ)


 兎にも角にも悠に一度聞いてみることに決めた。


(話はそれからだわ)


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