第四話 後編

 四時限目の終了チャイムとともに、一気に空気が弛緩した。

 弁当を広げる者、購買にダッシュする者がいる中、奈津海は依然として机に座ったまま頬杖をしている。

 

(はあ~、ぼっちは寂しいな)


 普段は祥子たち三人と昼食を取る奈津海だが、昨日のことがあって、顔を合わせ辛い。

 そして、傷つけた罪悪感があって、悠の側にいるのも落ち着かない。

 もう入学して一か月と半分が過ぎた。友達のグループは大部分が形成されており、結束も堅そうだ。


(あたしこんななりしてるから、自分から話しかけないと寄ってこないんだよね)


 無気力状態の奈津海は重い腰を上げると、おぼつかない足取りで購買に向かった。


 少し出遅れた奈津海は、すでに長蛇の列をなしている光景に頭痛を覚える。

 仕方なく最後尾に並ぶ。

 周囲を支配する雑音。苛立ちを通り越して逆に居心地がよかった。何も考えたくない今の自分にピッタリのBGM。

 自分の番になって適当な余り物の弁当を頼むと、その場から離脱した。

 と、そのとき、横目に悠の姿を捉える。

 しかもさっき並んでいたとき、奈津海の一つ後ろにいたようだ。


(買い終わるのを待って、昼食に誘おうかな……でも)


 思い悩んだ奈津海だったが、


「ぼっちはぼっちらしく、寂しく食べるわよ!」


 投げやりにそう決断して、ひっそりとした場所を探し始めた。

 

 この学校には屋上なんて親切な設備はない。

 中庭を見下ろした感じ、ベンチはあらかた占拠されていそう。

 教室に戻る気分でもない奈津海は、


「やっぱり、何かと縁のある特別棟三階にするかな」


 脱力気味にそう答えると、渡り廊下に足を向けた。


 特別棟に入ると、教室棟とは違ってしんと静まり返っていた。

 よく言えばのどか、悪く言えば物寂しい、奈津海が抱いたのはそんな感想。

 

 初めて背後に気配を覚えたのは、特別棟に繋がる渡り廊下でだった。


(さっきからあたし、誰かにつけられてない?)


 現在、奈津海がいるのは三階。

 静寂に満ちる廊下を、一人分余計な足音が混じる。

 背後は振り返らないまま、一度立ち止まってみた。


(あれ、足音やまないんだけど)


 徐々に大きくなり、接近を知らせる。

 鳥肌が立ってきた。


(あたしこういうの免疫ないから、マジでやめてよ)


 物好きなストーカーか、はたまた物の怪か。

 どちらもお呼びではないのに、奈津海の本心など無視して迫り続ける。


(もういい。後ろから何かされるくらいなら一気にいくわ。三、二、一)


「さ、さっきから一体何なのよ!」

「…………?」


(って、悠だったんかい~~~)


「あのね~~、何で声かけようとせずにあたしの後をくっついてきてるのよ?」

「ええと、どうも昨日の癖がまだ残ってるみたいで」


 確かに昨日は悠を誘導することが多かったと、奈津海は思い返す。


「ホント、びっくりさせないでよバカ」

「すみません」

「もういいわ。お腹空いたし、ここら辺で一緒に食べましょ」


 非常口の手前にあった大きめの段差に奈津海が座ると、悠もその隣に腰を下ろした。

 

(そういえば、何気に昼食を一緒に食べるのって初めてね)


 からあげ弁当の容器から蓋を取り外しながらふと思う。

 隣に目を向けると、悠は包みを解き、中から二段式の弁当を取り出していた。


「あら、悠って弁当派なのね。意外~。誰が作ったの?」

「妹の花梨がいつも作ってくれます」

「妹いるんだ。あたし一人っ子だから羨ましいな」


 彼が弁当の蓋を開けると、色鮮やかな食材たちが目に飛び込んできた。定番である唐揚げの他に、人参ときのこのサラダなど、バランスにもしっかり気を使っている。

 奈津海が特に目を引いたのは、下の段にあった弁当箱。ただのご飯ではなく、


「キャラ弁? ずいぶん手が込んでるのね」


 ご飯の上から、海苔や細かくした野菜で綺麗に盛り付けしてある、美少女模したキャラ弁だった。

 この作り込み具合からして妹に愛されているのだな、と奈津海はなんだか感慨深かった。

 

 その後も普段通りに接してくれる悠に気分がよくなった奈津海。自然と、昨日の一件で亀裂が入った祥子たちのことを口にしていた。


「ねえ悠、悠がもし友達に嫌われたらどうする?」

「……どうもしません」


(うーん、悠にこの手の話はキツイかな)


「じゃあさ、悠が妹と喧嘩したらどうやって解決する?」

「喧嘩に発展したことはないですが、怒られたことは何度かあります。原因の大半が指示と行動の食い違いによるものです」

「指示と行動? どういうことよ?」

「僕は、一日に取った行動を全て報告するようにと、花梨に義務付けられています。そのときに、指摘された部分の改善策も提示されるのですが、遵守しない行動を取ると怒られます」

「ふ~ん、随分と過保護な妹なのね」


(まあ、妄想にばかりふけってる兄がいたら、心配にもなるわよね)


 悠の答えはあまり参考にはならなかったが、一度状況や気持ちを整理してみることにした。


 祥子たちとの遊びより悠との遊びを優先したことによって起きた事件。

 これを解決するのは至極簡単。


【悠をかまうのをやめればいい】


 それで済む。

 今すぐ食事をやめて、教室に戻って、金輪際会わなければいい。

 それで満足――

 

(――するわけない!)


 悠との付き合いをやめて、祥子たちと笑っている自分。そんな風に笑ってる自分はきっと無理してる。そんな簡単に吹っ切れない。


【だったらどうする?】


 自分にとって祥子たちと過ごす時間も、悠と過ごす時間にも優劣なんてない。同じくらい大切。

 だからこそ、この気持ちをわかってもらうしかない。 

 でも……

 ここにきて奈津海の頭上に疑問符が浮かんだ。


(あたしにとって悠とは何なんだろう)


 気が置けない友人? 昨日言った通り危なっかしい悠を見守る保護者?

 それとも……


(バカ、あたしのバカ、そんなはずないって)


 いきなり脳内にフェードインしてきた漢字一文字を、頭を振って片隅に追いやる。

 

 改めて悠の横顔を奈津海はじっと見つめてみる。

 胸の中がモヤモヤする。心臓が早鐘を打つように耳まで響く。顔が熱を帯びて火照ってる。

 すると今度は、頭部が恋という漢字で構成された無数の人型生物によって、脳内を掻き乱される。

 

「だー、もう! あたしの頭を乗っ取るな!」


 突然の奇声に、悠が表情の読めない無表情の顔を向けてきた。


「あ、ゴメンね、急に大声で張り上げて」

「いえ……大丈夫です」


(と・に・か・く、ショーコたちに本音をぶつけないと)


 ペチン、ペチンと頰を二回両の手で叩くと、空になった購買弁当を携えて、立ち上がった。


「よっし、行ってくる!」

「……?」


 首を傾げた悠は放って置いて、奈津海は力強い一歩を踏み出すと、階段の方へと向かっていった。


 教室棟に戻って四階まで階段を上った。

 AクラスからGクラスまでの教室が並ぶ中、端っこにあるAクラスの教室の戸にやって来る。戸から離れた位置で彼女は立ち尽くし、息を整えるため深呼吸を一回。


「よし」


 気合充分で、教室内に足を踏み入れた。


 祥子たち三人組はすぐに見つかった。

 窓側後方の席三つを陣取るように、和気藹々としていた。

 奈津海が近寄ると、先に気付いた祥子が声を掛けてきた。


「あら、海野さん、どうかしたの~?」


 この間と同様の他人行儀な呼び方に心が折れかけるも、何とか持ちこたえる。


「昨日はその、ゴメン」

「どうして謝るの~? あーしたちより仲の良いダチがいるんでしょ~?」

「違う! あたしはショーコたちもおんなじくらい大事に想ってるから!」


 空気が震えるほどの声量に、三人だけでなく教室全体の雑音が沈む。


「あたしその、B組の湖月悠っていう奴が放っておけなくて。あいつ、目を離すととんでもないことしでかすのよ。この前なんて、あたしが着替えてるのに更衣室に入ってきたんだから」


 奈津海の表情は真剣そのものだが、どこか楽しそうでもある。


「わがまま言ってるのはわかってる。今まで通りに接してほしいなんて言わない。だから、せめて三人の輪に入れさせてほしいの」


 言い切った後、奈津海は頭を下げた。

 

「祥子、もういいんじゃないかしら」


 柔和な目つきの珊瑚が、窘めるように言う。


「そうね~ようやく本心も探り出せたし~。ねえナッツー、あーしらはさ、ぶっちゃけると最初から怒ってなんてなかったんよ」

「え……?」


 はっと顔を上げて、祥子の方を見る。


「ただ、ナッツーが気になってる男をあーしらに黙ってたのがチョット寂しくて、いじわるしてただけなの」


 予想だにしない発言に、開いた口が塞がらない奈津海。


「それにさ、ナッツーの恋路を邪魔したくなかったし~。あーしらが突き放せば、少しは仲も縮まるかなっと思ってたんよ」


 そこに珊瑚が割り込む。


「祥子ったら、『あーし、もう無理、仲直りしてくる』って十回は聞いたわ」


 亜莉沙も同意見とばかりに何度も頷く。


「珊瑚、余計なこと言わなくていいっつーの」


 祥子は顔を赤らめて、恥ずかしそうにうつむいてしまう。

 奈津海の何かは、もう決壊寸前で、もう一押しで崩れ去る。


「だからさ、ナッツー。あーしらは応援するから。何か力になれることがあったら遠慮なく言ってよ~」

「ショーコ~~~!!!」


 奈津海は勢いよく祥子に抱きつくと同時に、涙が堰を切ったように溢れ出した。



――…



 仲直りした記念として放課後は祥子たちと遊ぶ気満々だったのだが、


「あーしらなんていつでも遊べるっしょ。恋愛は最初の積み重ねが肝心なんだから、今は積極的に攻めなきゃ~」


 と変な気を使わせてしまった。


 帰り道。

 奈津海と悠は肩を並べて住宅街の街路樹を歩いている。

 祥子たちからいろいろアドバイスをもらった奈津海は、思い切って話を切り出した。


「あのさ悠、明日の土曜日、予定空いてる?」

「……はい、特に予定はないです」

「じゃあ、さ、明日買い物に付き合ってよ」

「わかりました」


 緊張が解けた奈津海は、張っていた肩が自然と下りた。

 無事了承を得た奈津海は別れを告げると、安心して家路についた。


 

――…



 奈津海と別れた悠は、最寄りの駅に向かった。

 電車に乗って一つ先の駅で降りる。

 帰路に沿って歩いていると、自宅のあるマンションのエントランスが見えてきた。

 オートロックを解錠し、エレベーターに乗って七階まで昇る。

 自室に到着すると、持っていたカギで扉を開けた。

 その瞬間、どたどたと走り迫る振動を感知する。

 玄関に入った悠は、前方から跳躍してきた妹の花梨をしっかり抱きとめた。


「お兄ちゃんおかえり~~~!」

「ただいま、花梨かりん


 悠とは一個しか違わないにしては幼い見た目。そして見た目通りの無邪気さと、活発さだった。


 夕食を終えた後、毎日の習慣である報告を悠は行った。

 報告を受けている花梨は、目を瞑ったまま腕を組んでふむふむ、と頷いている。報告が一日の最後まで到達した途端、花梨の愛らしい顔が豹変した。


「ビッチ女、今に見てるがいいわ。すぐに吠え面をかかせてやる」


 邪悪な目つきでそう呟いたのは数秒の出来事で、すぐに元の無邪気さを取り戻していた。

 目を離した隙に悠が浴室に入っていったのを見かけたので、


「お兄ちゃん待ってよ~、花梨も一緒にお風呂入るから!」


 と呼び止めながら花梨も浴室に向かった。

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