第二話
波乱に満ちた事件の翌日。
住宅街に立ち並ぶ戸建ての一つに、ベージュ色の外壁をした家があった。その門には海野と刻まれている表札。
二階にある自室にいた奈津海は、鏡に映った自身の姿を見て、満足そうに頷いた。
「これでバッチリね」
明るく脱色された茶髪。
大胆に開かれたブラウスから覗く谷間や、これでもかと短くしたスカートからはみ出る太もも。どちらも小麦色の柔らかそうな肌である。
入念に仕上げたギャルメイク、身に着けている装飾品からは、垢抜けた大人の魅力が最大限に引き出されていた。
階下に降りた奈津海は、母のいるリビングの扉に、
「行ってきます」
と声をかけて玄関を出た。
――…
退屈な授業を乗り切り、ようやく放課後になる。
「よし、昨日の変態男にさっそくちょっかいだそうっと」
そう教室を出ようとして、後ろから呼び止められる。
「ナッツー、放課後ヒマ~? あーしたち、これからカラオケ行くんだけど~」
振り向くと、ギャル友達の祥子がいた。
奈津海以上に肌を黒く焼いており、一昔前のヤマンバを意識した外見だ。
「ゴメン~ショーコ、ちょっと用事があるんよ~」
「そっか、じゃーしゃーないね~」
断りを入れた奈津海は若干の罪悪感を抱きながら、一年E組の教室を後にした。
一年B組の教室に奈津海が向かうと、ちょうど黒板側の戸から悠が出てくるところだった。
「お~い」
声を張り上げ手を振るも、呼び止めむなしく立ち去る。垣間見えた横顔には湿布が貼ってあった。
「まーたあいつ、妄想してるな」
後ろからドロップキックしてやろうか、と最初は企んでいた奈津海だったが、気が変わったようだ。
「どこに向かう気なんだろう? 後をつけてみよっかな」
どうせ気づかれないだろうと思い、十メートルくらいの短い間隔で尾行を始めた。
悠は教室棟を出て渡り廊下を通ると、特別棟に入っていった。
階段を二階分上って三階に着くと、一直線の長い廊下を歩き始めた。
この階には昨日、事件の起こった更衣室がある。
その更衣室の側はスルーし、ひたすら奥へと進む。
この階にある教室はほとんど使われていない。たまにカップルがイチャつく程度だ。
長い尾行も、ようやく終わりを迎えた。
(あんなところになんの用が?)
一角にある教室に入った悠を不審に思った奈津海は、忍び足で戸に近づく。音を立てないように気をつけながら隙間をつくり、覗き込んだ。
――…
教室内に入った悠を待ち構えていたのは、二人の女子生徒だった。更衣室で着換えを見られたあの二人である。片方は、度のきつそうなメガネをしており、もう片方は小太りの女子だった。
入ってきた悠に送る視線は、まさにゴミを見るようだった。
「おい変質者。わたしらの着換えを覗いたってばらされたくないなら、言うこと聞けよ」
小太りは、腕を組んで悠を威圧する。
「……」
「アハハ、うじうじしててまじキモイんだけどこいつ」
メガネは、高笑いしながら罵倒した。
「……」
「おい! さっきから無視してんじゃねえぞ!」
小太りの放った勢いのあるフックが、悠の頬に直撃した。
バシンッ、という痛々しい反響音とともに、悠は真横に吹っ飛ばされた。
「アハハ、痛そう~」
床に転倒した悠は、顔を上げて立ち上がる。その表情には悔しさはおろか怖気さえない。
悠は不思議そうに首を傾げ、
「あの、それでどんな要件で呼び出されたんでしょうか?」
という場違いなセリフを述べた。
それを受けた小太りは一層目くじらを立てる。
「自分の立場わかってんのかてめえ!」
ドスの効いた声を出すと、悠をもう一度殴ろうと拳を振り上げた。その刹那――
「はーい、ストップ。あんたたち、そこまでにしておきなよ」
ガラガラと開いた引き戸から、誰かが入ってきた。
「誰だてめえ。部外者はすっこんでろ……ってあのときぶっ倒れてた奴じゃん」
「アハハ、彼女のご登場かしら?」
堂々とした足取りで、奈津海は悠の前までやってくる。
「もうそれだけ殴れば気が済んだっしょ? かく言うあたしも裸を見られたから恨みはあるんだけど、あんたたち見てたら怒りの矛先が変わったわ」
「こっちはお前みたいなビッチとは違って、安売りしてねえんだよ」
小太りの返答を聞いた奈津海は、我慢しきれず失笑した。
「うはっ、そりゃあそうだろうね~。貧相で地味なあんたたちなんて、ヤリ放題のバーゲンセールに出されてても売れ残るわよ」
「このっ言わせておけば!」
標的を切り替えたのか、小太りは奈津海に接近する。
だが、奈津海が何かを見せつけてきたことで、踏みとどまった。
「――と、いいのかな? そんなことして。あんたたちと一緒で、あたしも弱味握ってんだよね~」
「おまえ、いつの間に!?」
奈津海が彼女らに突き付けたのは、スマホの画面だった。そこには、いじめの現場がまざまざと撮影されていた。
「論より証拠。たとえあんたたちが悠のことを告げ口しても、この動画を見せれば説得力なんてなくなるわよね~」
悔しそうに歯噛みする小太り。
あれだけ笑ってたメガネも今は笑みが消えている。
「クソビッチが! 興が醒めた。帰る」
「アーン、待ってよ~」
教室出た二人は、そのまま遠くの彼方に立ち去った。
(はぁ~緊張した~)
奈津海はホッと胸を撫で下した。
今頃になって思い出したかのように膝が震え出す。
震えを誤魔化そうと、壁に寄りかかって悠に話しかける。
「思いっきり殴られてたけど大丈夫?」
「……」
「って、妄想してるし。あれ、思ったより結構腫れてるじゃない?」
殴られた悠の左頬は、昨日のと合わせて二箇所目の痣になっていた。
「人がせっかく助けてあげたってーのに、えい!」
湿布の上から患部を指の腹で押し込むと、ビクッと反応した。
「イタッ、あ……奈津海さん。もしかして、また僕迷惑かけてしまいました?」
「そうよ。あんたもあんな奴らの口車に乗せられるんじゃないって。ホント、見張ってて正解だったわ」
「そうだったのですね。すみません、ありがとうございます」
お礼を言われるという不意打ちを食らった奈津海は、思わず顔を背ける。
内心を悟られまいと、彼女は不機嫌さをアピールした。
「つ、次からは気をつけなさいよね!」
奈津海はスタスタと歩いて、逃げるように空き教室を後にした。
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