第17話 分裂




 袮人は穂羽家の譜代家臣たちのほとんどと顔見知りであったが、賢義側近の宮上昌盛とはこれまでまったく縁がなかった。その宮上から屋敷に招待されたとき、袮人は好奇心よりも警戒心の方をより強く刺激された。

 招待の手紙は宮上の近習が運んできた。手紙は彼の性格を反映してか、丁寧でかしこまってはいたが、巧みに要点をそらし感情を掴ませない文体で綴られていた。

 曰く、大室の件があり、家中がにわかに騒がしくなっているため、穂羽をより強固にまとめ上げる必要がある。ひいては賢義様を支える者同士、より仲を深めるために酒でも酌み交わしましょう――という内容だった。

 しかしその大室の件も、大室と仲を深めようとした矢先の事故だった。必然、不吉な想像をしてしまう。

「……膳の席で宮上殿が亡くなられでもしたら、それこそ大室殿の寄子たちに斬り殺されそうだ」

「なんじゃ、次は毒でも盛るんかの?」

「『次』とは何だ。未だかつて誰かを謀殺したことなどない!」

 否定してから、これでは図星を突かれて焦っているようではないかと後悔した。意識すればするほど、何をやっても怪しまれるような気がしてしまう。

 ここのところ虎姫はずっと袮人の部屋に入り浸っていた。さすがに相手が相手とはいえ同じ部屋に女がいるというのは気が休まらない。言動はアレだが黙っている分には彼女の横顔は宝石のように美しい。

 袮人の部屋に寝そべる虎姫は勝手気ままな猫のようにときどきあくびを漏らすだけだ。兎流の長というのはこれほどまでに暇なのだろうか。

 と思っていると、虎姫がすっと立ち上がって袮人のそばへ身を寄せてきた。袮人が見ていた書状を覗き込む。

「ふむ……」

「何か?」

「面白そうじゃの」

 袮人は虎姫の感性を疑った。

「そういう意味で言うておるのではない。……よし、わしも行こう」

「はあ?」

「わしも穂羽を支える者としてお主との仲を深めたいのじゃ」

「別に私と仲を深める必要はないと思うが……」

「まあわしとお主は深い絆で結ばれておるからな」

「戯れ言を。それにお前は呼ばれてないだろう」

「わしがいた方が、何か起きたときにお主も身の潔白を証明できるのではないか?」

「馬鹿な。何かあってたまるか」

 そう答えたものの、一度浮かんだ不吉な想像は簡単には消えてくれなかった。虎姫の方も折れなかったため、結局袮人は彼女を連れて宴に行くことにした。

 夕方、虎姫を伴って宮上の屋敷を訪ねると、すぐに主が出てきて袮人たちを迎え入れた。宮上は虎姫の姿を認めて珍しく驚いた表情を見せた。

「兎流殿もご一緒でしたか……」

「迷惑かの? わしに来られては困る事情があるのなら、本日は遠慮しようと思うが」

「……いえ、滅相もございません。さあ、中へどうぞ。お腰のものはこちらでお預かりいたします」

 すぐにいつもの表情に戻ると、虎姫もろとも屋敷の中へ手ずから案内した。

 板間の広い部屋に通された。部屋には膳が二つ置かれていたが、宮上が侍女に指示して虎姫の分の膳も用意させた。袮人たち以外の客はいないようだ。見上げると天井は遙か高く、三人で宴をする場所としては広すぎて薄ら寒い。

「本日はお招きいただきありがとうございます」

「こちらこそ、急な招待に応じていただき恐縮です。心ばかりの膳ですが、どうかお楽しみください」

 宮上が銚子を持って立ち上がり、袮人のそばに来て杯に酒を注ぐ。

「さあ、どうぞ」

「これはどうも」

 袮人は注がれた酒に口をつけた。上等な酒であることは一口で分かった。

「さあ、兎流殿も」

「ありがたく」

 虎姫は、なみなみと注がれた酒を一息で飲み干した。

 宴が始まると、侍女が次々と料理を運んできた。宴の最中、宮上は寡黙であったが、袮人と虎姫の杯に常に目を配っていて、酒がなくなるとすぐに次の一杯を注ぎに来た。宮上が何度も次を注ぎに来るため袮人は早々に酔いが回り始めた。

 酔ってうっかり妙なことを言ってはかなわぬ。いつも以上に言動には気をつけなければ。そう自分を戒めたが、宮上との会話は「うっかり」何かを口走るほどの盛り上がりもなく、どう贔屓目に見ても「退屈な宴」であった。

 そもそも主催の宮上があまり楽しい人柄ではない。形の上ではかいがいしく振る舞っているが、形式以上のものが何もなかった。

 虎姫も退屈しているのか、珍しく酒が進んでいないように見えた。

 宴も半ばを過ぎたころ、宮上の近習がやってきて主の耳元で何事かを話した。宮上は表情を変えずに頷いた。

「袮人様、申し訳ございませぬが、少しだけ席を外します。すぐに戻りますので、ごゆるりとおくつろぎください。家の者も好きに使っていただいて構いませんので。……では、失礼します」

 一方的に宣言すると、宮上と近習は部屋を出て行った。

 足音が遠ざかるのを聞いてから、袮人は虎姫の方を向いた。

「どうも解せないな。私は一体何の用で呼ばれたのだろう。とりあえず形だけでも和解したということにしたいのだろうか……」

「さて、どうじゃろうな、酒と料理は上等なものだが」

 言いながら、虎姫は箸で鱈の焼き物をつまんでいた。もぐもぐと咀嚼してすまし汁で流し込む。

「まあ仲良くしたいというのは嘘じゃろう」

「そう思うか」

「でなければ屋敷を包囲する必要もないじゃろうからな。――ん、この漬物、なかなか美味いな」

「何?」

「酢の加減がちょうど良い」

「包囲されてるのか?」

「正確には『包囲されていた』じゃな。足音がこの部屋に向かって近づいてきておるから」

 袮人は息を飲んで襖の方を見た。耳を澄ますと本当に乱暴な足音が遠くから聞こえてきた。その足音は迷うことなく袮人たちのいる部屋にやってきて、断りもなく乱暴に襖を開け放った。

 現れた四人の男たちはいずれも袮人の知らない顔だった。彼らは室内に入る時点ですでに抜刀していた。

 袮人は立ち上がって逃げようとした。膳がひっくり返って音を立てる。しかし逃げようにも廊下側は男たちが立ち塞がり、もう反対側は壁である。

「穂羽袮人だな。大室慶長の仇、討たせてもらう」

「誰の差し金か!」

「問答無用」

 三人が刀を構えたまま、油断なく袮人との距離を詰めてくる。一人は廊下に残って万が一に備えている。入念な準備を感じさせる動き。袮人は男たちと向き合ったまま後退した。これだけの騒ぎに家の者が誰も出てこないのはおかしい。宮上も関わっているのか、あるいは首謀者なのか。

 彼らが一斉に襲いかかってくるのであれば、三人の同士討ちや衝突も期待できる。その隙をついて廊下に出て――あとひとりは全力で走って振り切る。それしかない。

 袮人は虎姫に目線で合図を送ろうとした――が。

「おい、虎姫はどこに行った?」

 袮人に遅れて襲撃者たちも気づいた。

 虎姫の姿がなかった。襲撃者たちが部屋に飛び込んできたとき、虎姫が隣にいたのは確かだった。そのあと、男たちの方へ視線を移して……次に見たときには姿が消えていた。

 襲撃者たちは互いに顔を合わせて困惑していた。真正面にいたはずの人間が一瞬のうちに姿を消したのである。まるで狐につままれたかのような、間の抜けた顔できょろきょろとあたりを見回していた。

 みしり。

 と、何かが軋む音が聞こえた。

 天井を見上げる。

 虎姫が、天井を走る木材に片手一本でぶら下がっていた。天井が、虎姫の質量に悲鳴を上げていた。

 真下にいた男は、言葉を失ったまま固まっていた。

 虎姫が手を離した。男の目の前に着地する。ハッと我に返って、刀を振るおうとしたときに、虎姫が何かを男の顎の下に突き刺した。

 それは、先ほどまで虎姫が鱈の焼き物をつついていた箸だった。

「がっ、あっ……」

 うめき声を漏らして男は動かなくなった。口からは血泡がごぼごぼとこぼれた。

 その光景を見て、やっと金縛りが解けた左右の男が虎姫に襲いかかる。

 虎姫は絶命した男の小刀を抜き取ると、男の体を一方の襲撃者へと放り投げた。

 成人男性の体を片手で一息に放り投げる、虎姫の恐るべき腕力である。人間ひとりの質量をぶつけられて、男はこらえることも叶わずに倒れた。

 虎姫は他方の襲撃者と刀を打ち合わせた。振り下ろされた刀を小刀で横に払い、懐に飛び込むと腹を横に一閃した。さらに男の襟を掴むと足を払って床に叩きつけた。

 人間をぶつけられて倒れていた襲撃者が、体を押しのけて何とか立ち上がろうとしていた。虎姫は一足で男に近づくと顔面を蹴り上げた。男は昏倒して動かなくなった。

 廊下から足音。部屋の外を見張っていた者が逃げ出した。仲間を呼びに行ったのか、と袮人が思ったときには、虎姫の体は獣のような俊敏さで廊下に飛び出していた。

 手元が見えないほどの速度で小刀を廊下の先に投げる。その直後に、何かが倒れる音と、男のうめき声が聞こえた。

 虎姫が、廊下を歩いてうめき声の方へ行く。その姿が襖の裏に隠れて見えなくなる。男の声がひときわ大きくなったかと思えば、それきり何の音も聞こえなくなった。部屋に戻ってくる虎姫の足音だけが聞こえた。

「怪我はないな? よし」

「殺したのか……?」

 混乱して間の抜けたことを聞いてしまった。虎姫は何を今さら、という顔をして袮人の問いには答えなかった。

 虎姫は、部屋に倒れた男の服を脱がし始めた。

「お主も手伝え」

「どうするつもりだ?」

「屋敷の周りも包囲されておる。こやつらの服を着て化けて外に出る」

「わ、分かった」

 袮人は虎姫に急かされて、死んだ男たちの服を剥ぎ取った。今にも廊下から別の刺客が現れるのではないかと気が気でなかった。

 袮人は何とか服を着替えた。虎姫は袮人の目の前で肌を晒して着替えていたが、今の袮人にはその着替えを盗み見る余裕もなかった。さらに虎姫は、自分の金髪を隠すために手ぬぐいを頭に巻き付けた。

「少し目立つかの?」

 腰に刀を差しながら、おどけた調子で言った。

「こんなことで無事に抜けられるのか……」

「一瞬でも隙を作れれば儲け物。何事もなく抜けられればこの上なき幸運じゃ。……とにかく、お主は黙ってわしの後ろについてこい。遅れてもわしは立ち止まらんぞ。死ぬ気で追いかけよ」

「わ、分かった……」

 虎姫の後ろについて部屋を出る。さっき男が逃げた方向を見ると、そこは首を切られた死体と血で悲惨な状態になっていた。袮人たちは屋敷の出口へと向かった。

 屋敷の外に出るまで、刺客はおろか、宮上の屋敷の者にすら出会わない。このまま無事に帰れるのでは――と思っていたが、門の向こうに鎧を着た男たちが待っているのが見えて、袮人は心臓がぎゅうっと押しつぶされるように緊張した。

 男たちの人数は五人以上、全員が鎧を着て刀を提げていた。そばに馬がつながれており、槍を持っている男もいた。まるで合戦場だ。

「おい、どうなった? お前たちだけか?」

 男のひとりが先頭を歩く虎姫に話しかけた。虎姫はうつむいたまま男の問いに頷いた。

「殺したのか?」

 もう一度頷く。

「そうか、ご苦労」

 言うな否や、男は刀を抜いた。即座に虎姫に斬りかかるが、それよりも早く、虎姫の方も刀を抜いて男の胴を一閃した。刀は鎧に阻まれたが、男は虎姫の一撃をもろに受けて横に吹っ飛んだ。

 虎姫の頭を覆っていた手ぬぐいに男の刀の先が引っかかってほどけ、虎姫の顔がさらされた。

「ぐ……き、貴様……虎姫……」

「走れ!」

 虎姫が叫ぶのと、走り出すのが同時だった。一瞬だけ遅れて袮人も慌ててその背中を追いかける。虎姫は繋がれていた馬の一頭に飛び乗ると、縄を斬って走らせた。袮人に腕を伸ばして馬上に引っ張り上げる。

 馬に振り落とされそうになり、袮人は必死に虎姫の腰にしがみついた。

 走り出す馬を、男たちは棒立ちのまま見送っていた。





「一体何事が起きたのか誰か説明せよ!」

 賢義の怒声に答えられる家臣はいなかった。家臣の中には砂坂もいたが、石のように固まったまま何の反応も見せない。

 城下では検問が敷かれ、人の出入りが穂羽の兵士によって制限されていた。しかも九弦城の常備軍には待機が命じられて、いつでも出撃ができる状態に置かれていた。

 賢義がそのことを聞かされたのは湯浴みをしている最中だった。賢義はそのような命令を出した覚えはない。すわ謀反かと急ぎ家臣たちを招集したが、家臣たちも寝耳に水だったらしく、誰がそのような命令を出したのか現時点までまったく分からずにいた。

「賢義様、失礼します」

 宮上昌盛ひとりだけが遅れてやって来た。

「宮上、遅いぞ」

「申し訳ございませぬ。城下で指揮を執っておりましたので」

「何? どういうことだ」

「袮人様を取り逃がさぬように兵を配置しておりました」

「どういう意味だ。袮人はどこにいる? お前は――」

 宮上はいつもの通り、平然とした態度で答えた。

「袮人様と兎流殿が私の与力を斬り殺して逃走しております。直ちに捕らえて処罰せねばなりませぬ。兎流殿の謀反の可能性も考えて九弦城の軍には待機を命じております」

 評定の間がざわついた。

「なぜ袮人がお前の与力を殺さねばならぬ」

「……袮人様に謀反の疑いがあり、私の屋敷に誘い出して誅殺しようとしたところ、取り逃がしました」

「誰がそんな命令を出したッ!」

 声が裏返るほどの大声で賢義が叫んだ。

「天作は袮人様の謀反を疑っておりました。穂羽の手で袮人様を処断せねば天作に示しがつきませぬ」

「そのために、き、貴様は、袮人に濡れ衣を着せて殺そうとしたのか!」

「袮人様は私の家臣を殺しました。これは謀反と言っても良いのではないかと思います」

「お前が殺そうとしたからではないか! 袮人は自分の身を守っただけだ」

「殿が守るべきは、穂羽ですか。袮人様ですか。……ご自身のお立場を、もう一度お考えください」

「……貴様がそれを申すか!」

「私たちはあなたの兄弟愛のために命を賭けるつもりはないと申し上げております!」

 宮上が感情を見せたのを、賢義は数えるほどしか見たことがない。家臣たちも驚いていた。水を打ったように静まる。ややあって、宮上は「過ぎたことを申しました」と感情の篭もらない声で謝罪して頭を下げた。

「とにかく、袮人様はあの兎流殿と逃げております。このままでは袮人様と兎流殿が挙兵する恐れもあります。直ちに二人を捕らえるようお命じください」

 宮上の言い分は賢義の神経をとにかく逆なでしていたが、今さら宮上をどうこうしたところですべてを元に戻せるわけではなかった。

 袮人には穂羽の血筋という大義名分があり、虎姫という実行力もある。追い詰められた袮人と虎姫が挙兵する可能性は、もはや笑い話ではなかった。

「……しかし、下手に刺激すれば、それこそ袮人たちを暴発させることになるのではないか」

「もはやそのような段階はとうに過ぎております。もし袮人様にその気があるのであれば、真っ先に九弦城に来て賢義様に申し開きをしているでしょう。未だに姿を消しているのは謀反の意図があるということでございましょう」

「……分かった。水村殿、袮人と虎姫を探す指揮を執れ。ただし、傷つけることも、罪人として扱うことも許さぬ。丁重にわたしの元へ連れてこい。……宮上は、しばらく屋敷で謹慎しておれ。袮人から事情を聞いたら、お主に沙汰を下す」

「仰せの通りに」

 宮上が平伏する。賢義から袮人の捜索を振られた水村は急ぎ退出した。



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