第12話 加倉の戦い(後編)



 天作軍は初め、馬衆の突撃によって突破口を開こうとした。しかしあらかじめ奇襲に備えていた穂羽軍は方陣を組んだ部隊を配置して突撃をなんとか凌ぎきり、その後は足軽と騎馬が入り乱れる乱戦へと突入した。

 このとき虎姫は総兵力で劣るにもかかわらずあえて精鋭の虎姫隊を予備兵力として温存していた。後方に残ることで味方が全滅する前に自分たちだけでも撤退できるようにという利己的な理由もあったが、何より敵がさらなる別働隊を用いて奇襲してくる可能性を考えての選択だった。

 穂羽の部隊は機動力を捨て、いくつもの方陣を作り亀のように固めて防戦に徹した。敵がこれを突き崩すには破壊力が足りず、一方で穂羽の部隊が敵を撃退するには戦力が足りず、戦闘は一進一退の状態が続いた。

 戦場を睨む虎姫のもとに、北側の味方が徐々に押され始めているという報告が届いた。

「姫様、どうも北の攻勢が予想よりも厳しいようです。このままではそう長くは持ちそうにありません。……どうしますか?」

 阿木楽が言外にほのめかしたことを虎姫は分かっていたが、あえてそれに気づかないふりをして命令を出した。

「これよりわしらは本隊の援護を行う。……お主はここに残れ。戦況が変われば伝令を出してわしに伝えよ」

「承知」

 虎姫の部隊が本隊と合流したとき、彼らは砦の建物を利用して敵の大軍を足止めしているところだった。すでに敵は堀を越え柵を壊して砦の中になだれ込んでいた。

 虎姫は袮人と砂坂に合流した。二人とも鎧を土で汚し、兜の下からは滝のように汗が流れていた。

「苦戦しておるようじゃの」

「かろうじて持ちこたえてるよ。砂坂の指揮のおかげだ」

「しかしこのままでは長くは持ちそうにない。敵の数が多すぎて、敵を追い返すよりもこちらが消耗しきる方が早い」

 そう話している最中も、砂坂の視線は前線の方を厳しく見つめている。

「状況は?」

 袮人はすぐに地図と机を用意させた。地図の上に石を置く。

「この白い石が敵、黒い石が味方だ。砦の――ここと、ここを瓦礫で塞いで、敵の侵攻はこの通路から来ている。ここの塔からは弓衆が前線を援護している」

 砂坂が頭を乗り出して、手で場所を示しながら続ける。

「敵の主力はここの部分に集中している。今は何とか交代で守っているが、手薄なこちら側や、ここの外側から攻め込まれると、こちらにはもう守るための兵がいない」

「ふむ。状況は理解したぞ。では、ここの部隊を一時後方に下げよ。わしらはここを突破して、奴らの背後を脅かすとしよう」

 軽く言ってのけると、連れてきた兎流の兵士たちに檄を飛ばした。

 砂坂の命令で、砦の通路のひとつから部隊が撤退した。天作軍はすぐにその通路に殺到した。

 その先に待ち構えていたのは、黒衣の軍団。

「来たぞ、兎流の衆。構えよ!」

 虎姫の号令と共に、兎流の兵士たちは一糸乱れぬ動きで槍と盾を構えた。それは前面を盾で隙間なく覆うための隊列であり、天作軍から見ればそれはまるで鉄の壁のようであった。

 天作の兵と兎流衆の鉄の隊列が激突する。狭い通路の中では回り込むことも避けることもできない。天作兵の槍は兎流衆の盾で止められてしまい、そうなれば力で押し合うしかない。

 槍と盾のぶつかる激しい金属音が響く。

「下がるな! こらえろ!」

 虎姫が声高く叫ぶ。

 初め、人数に勝る天作軍は、人間の質量をそのままぶつけて津波のように兎流衆の壁を押し出していた。

 しかしその波は兎流衆の踏ん張りにより徐々に力を失っていった。やがて兎流衆は数倍の天作軍と力で拮抗し、それ以降、兎流の組んだ隊列は一歩も下がらなくなった。

 虎姫が叫べば、兎流衆はそれに雄叫びで応えた。声は重なり、うねり、空気を震わせる。暴力のような振動が敵軍の後方にまで届き――兎流衆の士気に押されたのか、敵の力が揺らいだ。兎流の声を止められる盾などあるはずもなかった。

「前進!」

 敵が怯んだ隙を見逃さず、虎姫が叫ぶ。盾の壁が一瞬で崩され、中からは槍が飛び出し、最前列の敵を素早く殺傷していく。敵が反撃に出ようとすると、後方の列が前に出て再び盾を構えて戦線を前に押し出す。さながら鉄の鱗を持つ巨大な生き物が形を変えながら前進しているようだった。

 近づけば必ず死ぬと分かっているのに前進できる者は少なかった。やがて天作の兵士の中に、指示を無視して敵から逃げる者が出始めた。

「待て! お主たち逃げるな!」

「押すな! そこをどけ!」

「なぜ下がる! 前進しろ!」

「邪魔だ! どけ!」

「い、嫌だ! 死にたくない――」

 天作軍の中で怒号が飛び交う。前進しようとする後列の部隊と後退する前列の部隊が入り乱れ、押し合いになり、天作の戦列は崩壊した。兎流の兵士たちは前進し、それを無慈悲に、ひとつひとつ噛み砕き、打ち砕き、冷静に処理していった。

 兎流衆が前線に出てから一時間も経っていなかったが、敵は兎流衆の突破を諦めたのか徐々に後退を始めた。

「姫様、追撃しますか?」

「敵はどこまで下がった? 砦から離れていったか?」

「そのようです。奴ら隙だらけです。今なら突き崩せます」

「いや……今回は見送るとしよう。わしらだけで追撃して包囲されるのも面白くない」

 虎姫は袮人たちへ部隊を再編するように言い残して、自らはすぐに砦の東側へ戻った。

 東側の部隊に合流したとき、大室たちが大声を出して兵士を集めているのが見えた。さらに彼方へ視線をやると、そこに敵の姿はなく、山の麓の森からもくもくと黒い煙が登っていた。

 虎姫は阿木楽を見つけ出して状況を説明させた。

「こちらの敵はさきほど撤退しました。敵は森に火を放って撤退しました。今追撃の用意をしているところです」

「……急いで大将たちを呼び戻せ。わしのところに連れてこい!」

 すぐに大室と束塚、鎌坪が駆けつけた。

「今さらやって来て何だ。敵はしっぽを巻いて逃げ出した。今から追撃に行ってとどめを刺す。総大将殿はそこで見ておれ」

 大室が虎姫を見下ろすようにして言った。

「行ってはならぬ」

「なんだと?」

「これは敵の罠じゃ。北側の敵も撤退した。やつらはわざと隙を作って撤退して、こちらの追撃を誘っておるんじゃ。奴らの狙いはわしらを砦の中から引っ張り出すことにある」

「ふん! 総大将殿は我々に手柄を立てられるのがお気に召さないようだ」

「なんじゃと?」

「大口を叩いておきながらお前たち兎流衆は後ろに下がってばかりだ。敵の攻勢を支えているのは一体誰だと思うておるのか」

「わしらはお主が負けるのに備えて前線に出なかったんじゃ。お主にもう少し甲斐性があればわしも心置きなく前線に出れたんじゃがの」

「貴様……無礼だぞ!」

「お主の物言いこそ総大将に対して無礼ではないか!」

「おれが言ったのは事実だ! 礼儀の知らぬ小娘が!」

「お二方、落ち着かれよ!」

 鎌坪の大声を、大将たちは初めて耳にした。大室は荒くなった呼吸を整えると、深く息を吐いて虎姫から顔をそらした。虎姫も、腰の刀に伸ばした手を引っ込める。

 二人が落ち着くのを待ってから束塚が低い声で質問した。

「偽装退却であるというが、その根拠をお聞かせ願いますかな?」

「ひとつ、攻撃を中断するのはともかく、退却する理由がない。ふたつ、森を焼いたのは自分たちが伏せている姿を見えなくするため。みっつ、敵はわしらとここで決着をつけるつもりでいるが、決着をつけるにはわしらを砦から引っ張り出すしかない」

「妄想だ!」

 遠くで大室が吐き捨てた。

「しかし大室殿、ついさきほども、虎姫は東側からも敵が攻めてくると妄想を言っておりましたぞ。しかし蓋を開けてみればどうです、妄想というのも案外馬鹿にならない。兎流の姫様には山の神様のご加護でもあるのかもしれぬ」

「馬鹿馬鹿しい!」

「ついさきほどわしらは総大将に命を預けると、とりあえずは納得したはずです。であれば、この場もそれに従うまで」

「……では追撃はしないとして、これからどうするのです」

 鎌坪の質問に、虎姫は指を立てて答える。

「敵はこちらが追撃するのを身を伏せて待っておる。しかしわしらが追撃してこないとなれば再び姿を見せて誘いをかけるはずじゃ。そこを逆に待ち伏せして敵を包囲する」

「よろしい! ……大室殿も鎌坪殿もよろしいか」

 束塚の言葉に鎌坪が頷く。大室は何も言わなかったが、反論がなかったので束塚は満足げに頷いて、手柄顔で虎姫を見た。

 結局、追撃の準備は中断されて、束塚ら三つの部隊は防御の体制を固めたまま敵の再度の攻撃を待つことになった。

「もし敵が来なければどうなる……そうなればみすみす追撃の機会を逃した虎姫の責任だ……腹を切るだけでは済まさんぞ……兎流の山猿たちは全員このおれが葬ってやる……」

 大室は敵を待ちながらぶつぶつとつぶやく。家臣たちは、主人のあまりの不機嫌な様子を見て誰も話しかけようとはしなかった。

 虎姫は敵の動きが偽装退却であることはほぼ間違いないと確信していたが、この場合は敵の策略よりも味方の暴走の方が厄介だった。戦意と不満をため込んだ大将たちを、長い時間待機させておくのは危険が大きかった。

「敵が戻ってくるのが先か、あ奴らが暴発するのが先か……」

 幸いにも、大室たちの暴発よりも先に敵が姿を見せた。

 煙の向こうから蹄の音が響き、ややあって姿が視認できるところまで近づいてきた。

「待て……全員まだ動くな……引きつけるんじゃ……」

 虎姫は小さな声で命じた。小隊長たちが命令を伝達していく。敵を目前にし、兵たちの熱量と戦意がじりじりと高まっていくのを肌で感じた。

 やがて、天作の部隊と束塚らの部隊が衝突した。前線より交戦を知らせる法螺貝の音が聞こえた。

「今じゃ! 突っ込め!」

 虎姫の命令によって沈黙は破られた。兎流衆は獣のような雄叫びを上げて、ススキの草原から体を起こした。驚いたのは天作軍である。突然、自軍の側面に現れた敵の姿に動揺し、足軽たちの足並みが崩れた。

 その隙に、兎流衆は敵軍後方の弓衆に襲いかかった。敵の足軽大将が混乱を沈めようと馬上から大声で命令を出したが、直後に投げ槍を受けて落馬した。

 天作軍は、自軍の前方を砦、右翼側を山、左翼側を兎流衆に囲まれて身動きが取れなくなった。

 天作軍は混乱のうちに司令官を次々と討ち取られて、数の上では未だに優勢であったが、やがて指揮系統の壊滅により組織的な抵抗ができなくなり、混乱のまま逃走した。

 敵の後退に引っ張られて穂羽軍も前に出たが、虎姫はすぐに大将を呼び出して追撃を押しとどめた。

「奴らはもう烏合の衆じゃ、反撃できぬ。それよりも北側が気になる。こちらは最低限の見張りを残して本隊の援護に向かうのじゃ」

 もはや虎姫の命令に逆らう者はいなかった。

 虎姫の読み通り北側の敵も再び攻撃を始めていた。これまでの戦いで数を減らしていた穂羽軍の本隊は一瞬で劣勢に追い込まれたが、三部隊の援軍がかろうじて間に合った。

「……束塚殿。虎姫はどうした?」

 援軍に兎流衆の姿がないのを見て袮人が質問した。

「それが、わしらには、とにかく袮人様の援護に回れとだけ……」

 そのころ虎姫の部隊は砦を出発し、東側から天作軍が通った道を逆方向に進んでいた。北東の山を外側から迂回することで密かに北側の天作軍の背後に回り込むことに成功した。

 戦線が膠着したころ、虎姫たちが敵の背後を奇襲した。敵が浮き足だったのを見て束塚が追撃を進言し、袮人と砂坂がそれを受け総攻撃を命じた。

 挟撃を受けて天作軍は壊滅的な打撃を受け、反撃を諦めて散り散りになって撤退した。

 虎姫が砦に凱旋すると、穂羽の兵士たちが戦勝に沸き立っていた。見張り台に上って大声で騒ぎ立てる者、板壁を太鼓のように叩いて歌い始める者など様々だった。

 その様子を見て虎姫の顔も一瞬綻んだが、そんな彼女を真顔に戻す情報が諸井田の遠聞によりもたらされた。

 天作の本隊は虎姫の予想を超えた速度で行軍し、すでに国境の山を越えて志陽に侵入しているとのことだった。

 その情報を袮人にも伝えると、袮人は遠くを見つめてぽつりとつぶやいた。

「用兵巧者はどの陣営にもいるということだな……」

「……天作は、先鋒がわしらの攻撃に遭うと踏んで行軍を急がせたんじゃろうな。いや、先鋒を囮にして本隊を安全に志陽に入れたのか……」

 いずれにしても、敵の先鋒部隊を叩き、本隊の大軍は国境の山岳地帯で迎撃するという、もっとも理想的な展開はこれで選べなくなった。




「しくじった……しくじった……しくじった……! 味方は何をしている! 比木の部隊を呼び戻せ! 柴長! 新田! どこに行った! 早く部隊を再編しろ!」

 崩壊する天作軍の真っ只中で、総大将の曲淵は馬上から喚き散らしながら右往左往している。

「曲淵殿、どうか落ち着いてください」

 一鉄斎が声をかけるも、曲淵はこの場にはいない誰かに対して命令と恨み言を繰り返すばかりである。

 他の家臣たちは、取り乱すばかりの主君をどう取り扱って良いのか分からずにいるようであった。一鉄斎は彼らに対して首を横に振った。彼らはほっとした表情で一鉄斎に一礼すると、撤退の準備のために各々その場から立ち去った。

「梶邦! お前も部隊の指揮を取れ! 何とかここは堪えるんだ!」

「曲淵殿、すでにお味方は総崩れでございます。もはや撤退するしかありません」

「馬鹿を言え! ここを堪えれば反撃できる! 敵は少数だ! それに……それに、龍頼様から預かった軍をみすみす損なったとなれば、俺は……俺は……」

 曲淵はすがるように一鉄斎を見た。

「そうだ……残った味方を集めて敵に突撃して一矢報いるぞ! おれたちが腰抜けではないことを龍頼様に示すのだ!」

「そのようなことをしてもただの犬死でございます。生きて逃げてこそ龍頼様に弁明の機会もございましょう、名誉挽回の機会もございましょう」

「梶邦! 貴様、命惜しさにそのようなことを!」

「ここで戦死してもそれが何の名誉になりますか。それに、あなたにはお味方を引き連れて戸賀に連れ戻すというお役目がございましょう!」

「今さらどのような顔をして龍頼様にお会いすればいいのだ!」

 そのとき、どこかから流れ矢が飛んできて曲淵のすぐ横をかすめた。曲淵はかすり傷ひとつ負わず、矢は地面に刺さったが、それに驚いて姿勢を崩し、馬が暴れて曲淵は振り落とされた。

「畜生――」

 そのとき一鉄斎は地面に刺さった矢を抜き取ると、それを背中に隠して曲淵に近づいた。素早く周囲に視線を配り、こちらを見ている家臣がいないことを確かめる。

 手を差し出し、曲淵がそれを取って立ち上がろうとした瞬間、一鉄斎は曲淵の喉元に矢を突き刺した。

「がっ――」

 喉の奥から水が溢れるような声が聞こえた。曲淵が一鉄斎の手を振りほどこうとしたので、さらに力を込めて矢を深く刺した。

 曲淵の濁った瞳が一鉄斎を見た。一鉄斎は、彼の耳元で囁いた。

「死にたいのなら……お一人で死ぬのがよろしいかと」

「な……ぜ……」

「お許しを」

 一鉄斎が手を離すと曲淵の体は地面に崩れ落ちた。

「曲淵殿が討たれた! 誰かここに!」

 一鉄斎は大声を出して触れ回った。

 その後、曲淵の家臣が軍の指揮を引き継ぎ、天作軍は多くを失いつつも戦場からの離脱に成功した。




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