第9話 宣戦布告


 皇歴一二四〇年八月二十日、天作龍頼が近隣の大名に、穂羽との断交とその正当性を主張する書状を出した。それに真っ先に同調したのはやはり砺岐衆であった。

 また、これは国内に潜伏している諸井田の遠聞からの情報であるが、天作は穂羽に従う国衆たちに対しても穂羽からの離反を呼びかける書状を乱発している様子であった。

 すぐに評定が開かれて、諸井田や取次たちから状況の共有がなされた。

「戦はもう避けられん。一同、覚悟せよ」

 虎姫が通る声で言った。その声に異を唱える者は、誰もいなかった。

「――書状を出す」

「あの、どちらに?」

「宛先は、深見だ」

 深見氏は戸賀国の北部の領主である。つい五年前までは独立した勢力を保っていたが、天作龍頼に攻められると激戦の末に降伏し、以後は天作に臣従していた。

「内容は?」

「深見と同盟を結ぶ」

「謀反をそそのかすということですな」

 七将がひとり、大室慶長(おおむろよしなが)の言葉に袮人は頷いた。

 穂羽と天作が交戦すれば天作の領内には軍事的な空白ができる。その隙に蜂起することを促すのである。

 もし深見と軍事同盟を結ぶことができれば、南北から天作に対して揺さぶりをかけることができる。

「……深見がこの提案に乗ってくれるでしょうか」

 砂坂の疑問はもっともであった。

「実を言うと、諸井田に言って、すでに種を蒔いてもらっている」

「袮人様の命で、深見の小倅には密かに話を通しております。まあ、それでもこちらの提案に乗るかは五分五分というところですが」

「なんじゃ、頼りないのう」

「なにぶん、時間がなかったもので……」

 天作とて無能な大名というわけではないだろう。仮に深見がこちらの提案に乗ってくれたとしても、企みが露見し蜂起する前に捕らえられる可能性だってある。

 いや、仮にそうなったとしても、天作は領内に不安を覚えて出兵を延期してくれるかもしれない。その効果を考えるなら、深見の返事に依らず、あえてこちらから謀反についての情報を流すという手もあるのではないか。

 他家の運命をまるで捨て駒のように考えている自分に気づいて、袮人は自己嫌悪の沼に沈みかけた。

 諸井田が袮人の意識を評定の場に呼び戻した。

「……袮人様。天作はこのたびの出兵について、近隣の大名に書状を出しております。こちらも対抗して、穂羽の正当性を主張なさるがよろしいかと」

「ああ。出して減るものでもなし、出せる書状は出しておこう」

 貧乏くさい発言に家臣の何人かが苦笑した。

「次は軍についてだが、砂坂」

「はい」

「国衆から兵を集めてくれ。部隊編成については虎姫がすでに考えている。前にも言ったが、軍に関することは虎姫の指図に従うように」

「……承知」

 砂坂には、虎姫に思うところもあっただろうが、それを表に出すことはなかった。その横では納得のいかない様子の大室がうなり声を上げていたが。

 大室の視線に内心怯えつつ、袮人はさらに続けた。

「それから、諸井田。天作との間に会談の機会を作って欲しい」

 これはさすがに家臣一同がどよめいた。

「袮人様自らが出向くとおっしゃる?」

「取次は追い返せても当主代理であれば彼らも無碍には扱えまい。……もうひとつ、天作は必ず三護へ同盟の申し出をしているはず。それを探ってほしい」

「同盟についてはすでに探っておりますが……しかし一体何をなさるおつもりなので?」

「少しでも天作の動きを鈍らせたい」

「下手な手を打てば藪蛇となりますぞ」

 諸井田の言うことはもっともであった。しかし天作がいつ動くか分からない状況は作戦を立てる上でも危険である。彼らの動きをこちらの制御下に置く必要があった。

「護衛が必要ならわしの方から何人か出すが?」

「必要ない。あくまで内密の話をしにいくという体で会いに行く」

「……で、主様は結局何をしに行くんじゃ」

「兄上に謀反を起こすから兵を貸してくれと頼みに行くんだ」

 さすがに家臣たちが言葉を失った。ただひとり虎姫だけが大笑いしていた。




 早急に袮人と天作の間に会談の場が設けられた。袮人は箕島の案内で、馬を走らせて戸賀国の国境の砦へ向かった。

 と言っても会談の相手は天作本人ではなくその重臣、曲淵豊孝である。

 曲淵豊孝は背の高い痩せた男だった。年は四〇ほどだろうか。目は細く、顔全体が骨張っている。全体として骸骨のような印象を持った。

「曲淵殿、このたびは拝謁いただきまことに――」

「そのようなかしこまった挨拶は無用にございます。こちらこそ、穂羽様が御自らお越しくださり恐縮にございます」

 曲淵が本心から恐縮していないのは袮人にも分かった。

「して、一体どのようなお話でしょうかな? 護衛も付けずに参られるなど……」

「曲淵殿に内密なご相談がございまして」

「はて、どような内容ですかな。この曲淵にできることであれば、可能な限り力になりたいと存じますが……いかんせん龍頼様は頑固なお方であらせられますから……」

 おそらく曲淵は、袮人が和平の交渉に来たのだと考えているのだろう。できぬ事もあると牽制しているのだ。

 ここで曲淵が袮人を殺したり捕らえたりする危険はあまり高くないと考えていた。普通にやれば勝てる戦である。もしそのようなだまし討ちをすれば天作の正当性を損なうことになるし、ましてや今の袮人は当主の代理でしかなく、袮人を害したところで穂羽を確実に下せるという保証はないのだ。

 ――というようなことは、目の前の男も考えているはずである。

 袮人は内面を表に出さぬようにして、もう一度頭を下げた。

「はっ。実を言うと、私は穂羽の家督を継いだわけではありませぬ」

「事情は聞いております。この曲淵も賢義様のご快復を願っております」

 嘘をつけ、と袮人は腹の中で毒づいた。

「もし兄上が快復した折には、当主の兄上が穂羽の一切を仕切ることになります」

「それが筋でしょうな」

「しかし兄上は生来病弱であり、いつ病に伏せるか分からぬ男が当主となったままでは、世は乱れ民は惑いましょう。それにこのたびの塔京寺のことも、兄上は決して妥協はせぬ、徹底抗戦だと申しております。しかしそれでは民は戦でますます困窮するばかりで、私の本意ではありません」

「では穂羽様は――」

「未だに兄を正当な当主と崇める家臣もおりますが、多くはこの私こそが穂羽を継ぐに相応しいと言ってくれています。彼らを糾合し素早く九弦城を押さえてしまえば、もはや兄を担ぎ上げる者などおりますまい」

 袮人は立ち上がると、曲淵のそばに近寄った。小声で続ける。

「……無論、天作様のお力添えがあってこそ、そのようなこともできる、ということでございますが」

「……兄に弓を引くと申しておるのか」

「たとえ天下に兄殺しの悪評が広がろうとも、民のためには被らねばならぬ泥もありましょう」

「仮に家督を継いだとして、その先はどうなさるおつもりか」

「天作様がそれをお認めくだされば、穂羽は全力を挙げてそれに報いる用意がございます」

「……つまり、穂羽は天作に下ると言っているのだな?」

「私が穂羽の正統な当主となれば、血を流すことなく、穂羽と天作様が手を取り合って天下を治めることもできましょう。志陽の民を救うにはそれしかない、と私は考えております。穂羽は天作様のお力添えがなければ立ちゆきませぬ。特に、東から三護が睨みを利かせておりますゆえ」

 曲淵は腕を組んだ。ううむ、と唸る。警戒しているそぶりは見せているが、戯れ言だと追い返すまでは行かない。

 穂羽を無血で落とせるという話はこの上なく魅力的な申し出だろう。少なくとも曲淵の独断でどうこう決められるものではない。

「すでに何人かの信頼できる家臣には話を通しており、九弦城を押さえる計画を密かに進めております。近日中に良い報せをお伝えできるかと存じます」

「ふむ……。良いでしょう。もちろん、このような重大なことを独断で決めるわけにはいきませんから、龍頼様のご判断を仰ぐことになりますが、きっと良い返事ができると思います」

「では私はすぐに九弦城に戻ります。長く留守にしては兄上の家臣に怪しまれます。何かあれば箕島に文を持たせますからそれをお待ちください」

「……よろしい。龍頼様には話を通しておきますから、その点についてはご安心ください。実行はいつになりますか?」

「九月に入るころには」

「龍頼様に伝えておきましょう」

「本日はまことにありがとうございました。では私はこれにて」

 袮人は平伏して、曲淵との会見を終えた。

 会見が終わってからも曲淵はしばらく部屋を動かなかった。念のため袮人が砦を出たことを小姓に確認させた後で奥の襖を開けた。

「――龍頼様、あの者の話、どのように思いますか?」

 襖の向こうには天作龍頼がいた。

 曲淵の問いかけにも答えず、龍頼は腕を組んだまま畳に視線を落とし、微かに唸り声を上げていた。

「あの者を信用してはなりません。あれは罠です」

 代わりに、隣にいた梶邦一鉄斎が曲淵の質問に答えた。曲淵は眉をひそめて、龍頼が口を開くのを待った。

「……一鉄斎、おぬしはあの若造と面識があるか?」

「直接会ったことはありませんが、九弦城で見かけたことがあります」

「あれは嘘がつける男と思うか?」

「はい。若人ですが穂羽の血を引く者です」

 曲淵の頭越しに龍頼と一鉄斎が話す。一鉄斎は龍頼の直臣ではなく曲淵の寄子であるはずだった。

 天作に出奔して以来、一鉄斎は曲淵のもとで穂羽の国衆との仲介役を務めていた。しかし国衆の切り崩しは失敗し、穂羽への工作を担当していた曲淵は面目を失っていた。

「あの穂羽なにがしの提案が本気であるならこれほど美味い話もあるまい」

「では、乗りますか?」

 一鉄斎との間に割り込んで曲淵が尋ねる。やっと龍頼が曲淵の方を見た。

「お前はどう思う。あの若造を見てどう感じた」

「……何かを企んでいるのは間違いありません。しかし提案を無碍にすることもないかと」

「提案に乗ったふりをして見せる、ということだな」

「今後、追加の要求があるのかも」

「そのように考えるのは穂羽の思う壺です。奴らは我々を惑わすつもりなのです!」

 なおも訴える一鉄斎を曲淵は睨みつけた。

「……木の実がいずれひとりでに落ちてくるというのであれば何もせずに待っているのも良かろう。そして秋になっても落ちてこなければ自らの手で枝からもげば良いだけのこと。穂羽がどのように動こうと、わしらの成すべきことに迷いは生まれぬ」

「では、進軍は九月まで待ち、穂羽袮人の企みの成否を見てから次の手を考えるということで」

「次の手は決まっておる」老人は感情のない声で言った。「九月になれば、謀反の成否にかかわらず天作は穂羽に攻め込む」

「戦う……のですか? 穂羽袮人が当主になれば、天作に臣従すると――」

「我ら天作は、謀反人と手を組むを良しとせぬ」

「……おっしゃるとおりです」

 曲淵は頭を下げた。穂羽袮人の謀反が成功しようと失敗しようと、それは穂羽に大きな混乱をもたらす。いずれにしても、今すぐ攻めるよりは落としやすいだろう。

「本隊は鴻巣山館へ戻し、お前の先鋒部隊は国境で待機せよ」

 ――まさにそれこそが袮人の狙いであったが、龍頼たちは知る由もない。

「一鉄斎。おぬしも曲淵に付き添え。志陽国の道案内をせよ」

「……仰せのままに」

 一鉄斎は龍頼に平伏した。


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