第二部

第7話 謀略


 天作氏の本拠地である鴻巣山館こうのすやまやかたに、十二人の重臣が集っていた。彼らの中には方面軍司令官の任に就いている者も含まれる。そうした者たちを前線から遠ざけてまで鴻巣山館に集めたのは、この日、天作家の評定が行われるためであった。

 天作家の評定にはルールが定められていた。それは、家中を代表する重臣を十二人選出し、その者たちの合議によって物事を定める、というものである。

 そのルールを定めたのは現在の当主である天作龍頼あまさかたつよりの父、義在よしありである。義在は龍頼のクーデターで処刑されたが、義在の代に定めた制度の多くはそのまま維持されていた。

 十二人の重臣が評定の間に揃った。最後に龍頼が現れて、それに付き従っていた小姓が、龍頼の合図で一礼して退出した。

 龍頼は今年で六十二になる老人であったが、痩せてきたとはいえその風貌にはぎらぎらとした野生的な力強さが残っていた。

「これより評定を始める。さて、こたびの議題であるが――」

 簡潔な挨拶の後、一同に議題を投げかける。

 それを受けて重臣たちが思い思いに発言をする。これに反論が付き、さらに議論が発展する。重臣たちの意見が一切の衝突なく一致することはまれであった。

 十二人の中で、議論に参加しなかった者が二人いた。二人はいずれも評定に参加するのは初めての者たちだった。発言しなかったのは怠慢ではなく先達に遠慮してのことである。

「あの……垂水たるみ殿」

 評定の最中、新顔の一人が、隣に座る重臣、垂水村晴たるみむらはるに小声で尋ねた。

「先ほどから龍頼様が一言もないのだが……これは大丈夫なのでしょうか?」

 垂水はその質問に虚を衝かれた顔をしていたが、やがて笑顔を浮かべて簡潔に答えた。

「これは、そういうものなのだ」

 議論の最後は、それまでずっと黙っていた龍頼が、その議題についての結論だけを述べて終わる。それで、重臣たちの議論も打ち切られる。

 新顔二人が「十二人」の中に加わったのは、「十二人」から欠員が出たためであった。十二人の中に龍頼の暗殺を企てた者がいたのだが、決行直前に龍頼に察知されて処刑されたのであった。

「では、最後の議題は、穂羽への対応についてである」

 重臣の何人かが前のめりになった。この議題こそが今回の評定の本題であると考えている者が多かった。

 後の調査で、処刑された二人が穂羽と通じていたことが明らかになったのである。それ以来、評定ではたびたび穂羽についての議題が出ていたが、現在までは慎重論が優勢であり、穂羽家に対しては未だ具体的な行動には出ていなかった。

 重臣たちが、三護と砺岐の動向についての調査結果をそれぞれ報告する。

「どうも砺岐衆は正式に三護と軍事同盟を結んだようだな。砺岐が穂羽に侵攻したのは三護が裏で糸を引いていたからで、それが同盟の条件だったようだ」

 と、曲淵豊孝まがりぶちとよたかが発言した。

「曲淵殿、その話は確かなのか? いや、疑うわけではないが」

「裏は取ってある。俺の手先が砺岐の連中に接触して確認した」

「であれば、三護の狙いは何であろうか」

 そう言って、垂水村晴が豊かな髭の生えた顎に手を当てた。

「そりゃあもちろん、同盟を結んだあとに梯子を外されちゃあ良い面の皮だからな」

 熊谷有景くまがいありかげの発言に、何人かの重臣が頷いた。

「助けが欲しくばまずは己の血を流せ、か……。すると三護は穂羽とは徹底的に戦う覚悟なんだろうか」

「北の情勢も安定していると聞くし、本腰を入れて穂羽攻めをやるのは間違いなかろう」

「うむ。わしもそう思う」

 熊谷が垂水の意見に頷いた。

「穂羽は一門衆のほとんどを戦で失って、砺岐にも離反されておる。これに三護が攻め込めば結果は火を見るよりも明らかだろう。そうなる前に、わしらも穂羽攻めを始める必要があるのではないか?」

「俺も熊谷殿に賛成だ。三護に先に志陽を押さえられるのは不味い」

 天作氏の支配下にあるのは戸賀国とがのくに流州国るしゅうのくにの二ヶ国であったが、いずれも内陸部であり、港がないことが経済の大きな枷になっていた。

 盛り上がる熊谷と曲淵に、十二人の中でもっとも老齢の垂水が待ったをかけた。

「それは分かるが、穂羽とてそう簡単に落ちるとは思えぬ。九弦城に籠城されれば落とすのに何ヶ月かかるか分からぬし、その間ずっと国を空けておくことになる。それに気になるのは三護の動きだ。志陽を巡って三護と争うことになれば、ますます海が遠のくことになるぞ」

 垂水の反論にはそれなりに説得力があった。国力で言えば三護よりも天作の方が勝っているが、穂羽と砺岐衆と三護の三者を同時に相手をするのはさすがに無理筋である。

「それに、先の戦いで穂羽は砺岐の侵攻を退けた。我々は穂羽の兵力を過小評価していたのではないか?」

「いや、俺の兵力見積もりは間違っていなかった。穂羽の軍を率いた鳴子姫とかいう女が寡兵で上手く戦ったということらしい」

 曲淵がそう主張すると、垂水は我が意を得たりと勢いづいた。

「であろう。今の穂羽は賢義の弟が当主を代理しているらしいが、意外とこの者、穂羽を建て直してしまうかもしれんぞ」

「ただの幸運ではないのか? その弟は武人ではない、ただの商人だと聞いたぞ。そもそも砺岐は攻めを焦るあまり兵站を疎かにし、軍の統率も悪かったと聞く。これは砺岐の自滅ではないのか?」

 熊谷の言葉に何人かが頷く。しかし垂水は涼しい顔で、

「しかし我々が穂羽を攻めたときに、その幸運がもう一度起きてはたまらぬ」

「三護と同盟するのはどうでしょう? 我らが穂羽を攻めれば三護と利害が一致します」

 発言したのは唐粕達助からかすたつすけである。すぐに反論が来た。

「三護が乗ってくるか? つい先日まで、我らは穂羽と共に三護を攻めていたのだぞ?」

「三護との交渉はどうなっていますか?」

「門前払いじゃ」

「それではまるで駄目ではないか」

「取次役、私が代わりましょうか?」

「唐粕殿、言葉が過ぎますぞ!」

「三護との交渉は続けるとして、今のうちに穂羽攻めの準備を始めるべきではないか? 必要であれば俺が穂羽への調略を仕掛けてもいいが」

「うむ。もたもたしていては三護に南を塞がれてしまうからな」

「穂羽を攻めるのは三護と盟約を結び、穂羽への調略の結果を待ってからだ。この垂水村晴、天作のお家をみすみす危うくする決には賛同しかねる」

 垂水が一同の顔を見回して主張する。何人かが頷く。頷かなかった熊谷や曲淵も、この点について反論はしなかった。

「龍頼様、ご裁断を」

 一同が龍頼を見た。龍頼はしばらく思案したあと、

「では、そのように。一同、ご苦労であった」

 そう答えて、穂羽家への方針を承認した。





 砺岐衆の侵攻を凌いでから、穂羽袮人は戦後の処理に追われてゆっくり休むこともできなかった。

 相変わらず賢義は回復の見込みが立たない。敵の侵攻という緊急事態ゆえに袮人が当主代理となったわけであるが、賢義が政務に復帰できない以上、他に適任者も見当たらず、このまま穂羽家の当主を続けるしかなかった。

 防衛戦であったため、勝ったとはいえ新たな領地を手に入れたわけでも賠償金を得たわけでもない。そのため袮人は、離反した国衆や家臣の知行や、穂羽家の直轄領にさえ手をつけて手柄を立てた者たちに恩賞をばらまいた。

 砺岐を失った穂羽家の財政状態は最悪であったが、とにかくこれ以上の離反者を出すわけにはいかなかった。これらの仕置きの半分は諸井田の入れ知恵である。

 砺岐との戦いの後も、袮人は変わらず九弦城の客間で寝起きする生活を続けていたが、さすがにそれでは不便だろうと砂坂の手配で城内に袮人のための屋敷が用意された。

「思ったよりも古いな」

「へえ。なにぶん急を要するとのことでしたので、新しく屋敷を建てる時間もなく」

「いや、屋敷は古い方が良い。丈夫にできているということだからな」

 砂坂の小姓が恐縮した。

 小姓を帰らせてから袮人は屋敷を一人で見て回った。あまり大きくはないが台所もあるし、一人が住むには十分な広さだ。畳の部屋がなく、すべて板間だったのが残念だが。

 困ったのは、これからこの屋敷をどうやって維持するかということだった。これからしばらく政務で忙殺されるだろうし、屋敷に帰れぬ日も多いだろう。

 さすがに家中の者に掃除を命じるわけにもいかない。個人的に下人を雇うしかないだろう。勘定衆から支度金を預かっているため、当面は金に苦労することはないだろうが、穂羽の家格に合う下人をどのように雇えばいいのか見当もつかない。

 後で砂坂殿に相談するか……と思いながら、軽い気持ちで板間にごろりと横になったが最後、猛烈な眠気に意識が引きずり込まれた。




 袮人は日の出のころに登城して、夜遅くまで政務にかかりきりになる生活を繰り返していた。内政や軍事の分野では素人の袮人では専門的な判断はできない。袮人の仕事は、極論すれば「どの家臣の言葉を信じるか」を考えることだった。

 たくさんの家臣が出奔、あるいは離反したとはいえ、穂羽家にはまだたくさんの有能な家臣が残っていた。しかし問題なのはその有能さではなくて、彼らはいずれも、その背景となる組織の利益を代弁する立場であるということだった。

 たとえば、城の普請を提案した家臣がいた。袮人はその家臣を部屋に呼び出して詳しい話を聞いた。

 曰く、このたびの戦いで九弦城は大きく傷ついた。このままでは城の防衛力に不安があるし、城に戦いの爪痕が残ったままでは穂羽家の威信を傷つけてしまう。そこで、このたびの戦で所領を増やした国衆たちに、城の修繕のための労役を命じてはどうか。国衆たちは穂羽家によって土地を安堵されているのだから、穂羽家を存続させるための労役であれば喜んで従ってくれるはずだ。

 袮人はその話に賛成して、しかし即答は避けて一度その家臣を下がらせた。

「それで、諸井田はどう思う? 私は悪くないと思ったが」

 一緒に話を聞いていた諸井田に意見を求めた。しかし諸井田は、唸りながら腕を組んだ。

「どうした? 話の筋は通っていると思ったが」

「袮人様はあの者の家のことをご存じですか?」

「……いや、よくは知らないが」

「あの者には子がおらず、高槻という家から養子を迎え入れました」

「それが?」

「その高槻という国衆は、束塚と領地を接しておるのです。そして高槻と束塚は川の水利権を巡ってしばしば訴訟を起こして争っております」

「ああ……なるほど……」

 砺岐との戦いで最も大きな恩賞を得たのは束塚であった。所領を増やした者、というのはなんということはない。束塚を名指ししているようなものだった。

「なるほど……束塚の力を少しでも削いでおきたいということか」

 政務において、袮人は諸井田と砂坂を重用した。砂坂はもともと「穂羽の七将」として武名を馳せていたが、諸井田の場合は取次衆の筆頭であった香月晴氏が出奔したために繰り上がりでその地位に収まった。

 現在、穂羽家にとっての最大の問題が、国衆たちの混乱だった。砺岐の侵攻に際して一時的に穂羽の号令に従っていた者たちも、状況が落ち着いてくると家督を巡る血で血を洗う泥沼の内戦状態に陥っていた。

 状況は砺岐衆を退けたときよりも悪くなっていると言える。国衆たちの混乱が収まらなければ彼らから兵を募ることなどできないし、家督争いに乗じて他の大名たちが介入してくる可能性もある。特に諸井田は沈黙したままの天作を強く警戒していた。

 この状況に対して、袮人は国衆たちの内政に積極的に介入する方針を選んだ。ここのところの袮人はこの対応に忙殺されていたのである。

 また、領内で頻発している訴訟の対応も頭痛の種だった。穂羽家には三人の郡司がおり、領内を三つの地域に分割してそれぞれの地域の訴訟の裁定を行っていた。ところが郡司のうち一人は三護への出兵で戦死し、しかも穂羽家中で戦死や離反が相次いだことから領土に絡んだ訴訟が爆発し、郡司だけではとうてい裁ききれなくなってきたのである。

 相変わらず、家中には「砺岐を取り戻せ!」という声も大きかった。砺岐の侵攻を穂羽軍が退けたことがその声を後押しした。

 しかし諸井田や砂坂に相談するまでもなく、袮人はそのような声は歯牙にもかけなかった。

 彼らには現実が見えていない。どうにか即死は免れたが、穂羽家は未だに死にかけているのである。早く出血を止めねば他家への侵攻どころか穂羽が遠からず滅ぼされることになる。



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