第6話 九弦城の決戦


 九弦城を包囲した木根正国ら砺岐軍は、ここまでは損害らしき損害も出さず、包囲も盤石であったが、しかし城を落とすには今ひとつ決め手に欠ける状態であった。

 砺岐軍は徐々に包囲を狭め、穂羽の粘り強い抵抗に遭いながらも、九弦城の曲輪を少しずつ浸食していった。

 九弦城の内通者から穂羽軍のおおよその兵力は把握していたし、どこかからの援軍を待っているという話も聞かない。敵は、ただ自分たちの破滅を先延ばししているだけだ。

 その割には降伏の交渉にも来ないのが不可解であったが、おそらくこちらを疲弊させてなるべく有利な条件にしようという算段だろう、と砺岐衆は考えていた。

 そして、その戦略はともかく、こちらを疲弊させるための戦術は実に的確と言わざるを得なかった。

 簡単に言えば、今の砺岐軍には兵糧がなかった。

 砺岐国はずっと穂羽家の支配下に置かれていた。敵への内通が疑われて処断されたり、取りつぶされた国衆は数知れない。そのような状況で不満を募らせていた砺岐の国衆たちにとって、このたびの穂羽の混乱は千載一遇の好機であった。それゆえ木根正国は「速攻」を指向し、九弦城をまっすぐ突いたのだが……。

 予想外だったのは、道中の城に兵糧の備蓄がまるでなかったことである。

 行軍を止めて近隣の村々から食料を略奪する提案も出たが、そんなことをしている間に穂羽が防備を固める可能性もあった。

 こうなると、必死にかき集めた大兵力が裏目に出ることになる。これまでの行軍で兵糧はほとんど使い果たしてしまった。

 唯一の希望は、本隊から遅れて、砺岐国より兵糧が輸送される手はずになっていることであった。それまでの間、城下町の商人から米を買い付けたり、近隣の村々からの略奪を認めることで消耗を少しでも和らげようとした。しかし今は収穫の前であり、九弦城の周辺から調達するにも限度があった。。

 包囲から五日が経ち、十日が経ち、二十日が経った。

 それでも輸送は来なかった。

 日に日に、足軽の脱走や、連合を組んでいる国衆たちの不満の声が耳に入るようになってきた。

 皇歴一二四〇年八月一日、木根正国は国衆の代表たちを集めて新たな作戦を提案した。

 輸送部隊は来ない。おそらく穂羽より何らかの妨害を受けて足止めされているのだろう。このまま待ち続ければ今度こそ兵糧が尽きる。

 そうなる前に、本隊五千から千ほどを割いて、砺岐方面との連絡線を確保する。可能であれば輸送部隊と合流する。

 また、残り四千からさらに千ほどを割いて、穂羽の支城を攻略する部隊とする。この別働隊は穂羽の支城を攻略したのち、そこに蓄えられた物資を本隊へ輸送する。

「木根殿。それではここに残されるのはわずか三千の軍となるが、敵が城から打って出る危険はないのか?」

 一人が木根に疑問を投げた。

「その可能性はあるが、敵の数は三千に届かないという話だ。であれば数の上はこちらが有利。正面からぶつかったのであればこちらが有利。そして別働隊が戻るまでは、本隊はとにかく防御を固めて敵の攻勢を支える。たとえ交戦することになっても別働隊が引き返すまでは耐えきれる」

 結局木根の提案が受け入れられて、本隊から二つの別働隊が出発した。

 このうち連絡線の確保に向かった別働隊の指揮は木根正国の家臣である馬場正成に任された。馬場の部隊は敵との交戦もなく街道を砺岐国方面に行軍し、やがて渦毬城へ辿り着いた。

 渦毬城はすでに砺岐の軍が抑えているはずだったが、状況を考えればここが敵の手に落ちた可能性は高かった。

 しかし城の様子を慎重に探ってゆくと、馬場の予想に反して城はもぬけの空だった。

 馬場は家臣たちに城の周辺を探索するように命じた。一日がかりの捜索の末に、砺岐の兵士たちの多数の死体が山に捨てられていたのが見つかった。

「――敵はまだ近くにいるかもしれん! 各々警戒を怠るな!」

 馬場は部下に指示を飛ばした。




 九弦城にこもっていた袮人たちは偵察の末に敵軍が別働隊を出したという結論に至った。しかもその別働隊は、全軍の三割を越える大軍だという。

「なるほど。ここまでは虎姫の言った通りの展開になったな。恐ろしい女だ……」

「それで、いかがいたしますか?」

 砂坂は袮人に改めて問うた。

「決まっている。虎姫を信じるしかない。――こちらから打って出るぞ。砂坂殿、指揮を頼む」


 砺岐軍が支城攻略の別働隊を出してから五日後、九弦城にこもっていた穂羽軍が攻勢に出た。

「すぐに別働隊へ伝令を出せ! 敵をこちらで引きつけて、別働隊と挟撃するぞ!」

 木根はすぐさま防戦の用意を命じた。

 砺岐軍は穂羽軍を引きつけたまま城外に撤退すると、鶴翼、つまりV字型の陣形で穂羽の突撃を待ち構えた。

 口を開けて待っていた砺岐軍の正面に穂羽軍が飛び込んだ。

 交戦が始まった直後、伝令が木根のもとへ駆け込んできた。

「殿! 殿! 後方より敵軍! こちらを目指して直進してきます!」

「何だと? ――馬鹿な。罠にかけられたというのか」

 鶴翼の陣の弱点は、背後から攻撃されたときに、V字の折り返しの部分にある司令部が敵の直撃を受けてしまうという点にある。

「まさか、兵糧を残さなかったのは……こちらが、兵糧獲得のために兵を分断すると睨んで……それを見計らって挟撃するための……」

「殿!」

「……反転! 反転せよ! 後方の敵を食い止めよ!」

 無論、砺岐の武者たちも戦の素人ではなかった。奇襲に混乱することなく、九弦城の敵は前方の部隊に足止めを任せ、後方の部隊は素早く反転すると、突進してくる敵と司令部との間に割り込んで壁となった。

 しかし、それはあまりにも遅すぎたし、この場合は敵が悪すぎた。

 奇襲部隊の前進を阻もうと割り込んだ後方部隊の兵士たちは、その部隊の異様な様相に息を飲んだ。

 彼らは円盾を並べ、槍を構えていた。横一列に並んだ戦列が、足並みを一切乱すことなく、足音まで揃えて前進してくるのである。まさにそれこそが、虎姫率いる兎流の精鋭たちであった。

「矢を放て!」

 足軽大将の声に、弓衆が虎姫の部隊に矢を放つ。降り注ぐ矢の雨を盾で受けながら、虎姫の部隊はなおも足並みを乱すことなく前進を続ける。

「臆するな! 前進!」

 弓衆に代わって槍衆が前に出た。雄叫びを上げて虎姫の部隊と衝突した。

 槍衆の最初の一撃を、虎姫の部隊は盾で防いた。虎姫たちはすぐに盾を捨て、砺岐軍に肉薄して乱戦に持ち込んだ。

 ――戦いというにはあまりにも一方的すぎた。

 練度が違った。

 技術が違った。

 殺意が違った。

 槍を持った素人と、槍を持った獣の戦いだった。

「怯むな! 前へ出ろ! 前へ――」

 足軽大将の命令は途中で途切れた。飛んできた短槍が顎から下の肉と骨をごっそり奪ってしまった。

 虎姫に司令部を食い千切られ、前線は穂羽軍の本隊より圧迫され、砺岐軍は撤退するより他はなかった。司令部といくつかの部隊以外はもはや組織的な抵抗もできない有様であった。

 虎姫の部隊は穂羽の本隊に合流すると、ばらばらに逃走する砺岐軍は放置して、支城攻略から引き返してくる別働隊に備えた。

 すでに数の上では穂羽軍の方が勝っている上に、本隊の敗北が伝わっていたのだろう。別働隊はろくに交戦もせぬまま撤退した。

 それより少し後に、砺岐に三護の援軍が入ったという情報が遠聞からもたらされた。




 勝利に酔う袮人たちの裏で、もうひとつの物語が進行していた。

 舞台は穂羽家の同盟国、天作家の領内である。天作の重臣、木幡直文の前に頭を垂れる者がいた。

 かつて虎姫に城を奪われ、減封された梶邦一鉄斎である。

 一鉄斎は九弦城の戦いにも参加していたが、砺岐の軍を退けたところで城を飛び出して、以前より交流のあった木幡氏を頼って出奔したのである。この度の戦いで多くの者が穂羽から出奔したが、勝利の後に出奔した者はこの一鉄斎ただ一人だけである。

「この梶邦一鉄斎、これより誠心誠意、天作家にお仕え申す」

 板間に額をこすりつけるように頭を垂れた。それを見て木幡は満足して頷いた。一鉄斎のぎらぎらと怪しく輝く目には気づかなかった。


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