第5話 奇襲


 遠聞によれば敵軍の数はおよそ五千。それに対して穂羽の兵力は三千、それも金で雇った浪人が多くを占める。正面からぶつかれば穂羽が勝つ可能性は万に一つもない。

 七月二日、九弦城で軍議が開かれ、虎姫から部隊の編成についての指示が出された。

 虎姫は穂羽の軍を二つに分けた。

 ひとつが、虎姫が直接指揮をする少数精鋭の機動部隊で、数は五百。中身はかつて沼越城での反乱に参加した兎流の家臣たちが中心である。進軍してくる敵を避けて後方に回り込み、敵と本拠地の間を遮断するのが目標である。

 一方で九弦城には寄せ集めの二千五百が残ることになった。こちらの総大将は袮人が務めることになっていたが、もちろんそれは形式上のことで実際は砂坂が指揮を執る。

 この日、虎姫は鎧姿で軍議に参加していた。軍議が終わり次第、虎姫の部隊が直ちに出陣する予定であった。

「作戦の目的は砺岐軍の後方を遮断し、志陽の中で孤立させることにある。……というのは砺岐も十分承知しておるじゃろう。こちらが物資を引き上げたことにはすぐに気づくじゃろうからな。問題はそのときに砺岐軍がどのように動くか、じゃ。わしらはそれを逆手に取る」

 虎姫は一同に向けて語った。

 虎姫や兎流の家臣たちの鎧は、穂羽の他の武者たちの鎧よりもずいぶんと薄く見えた。胴や籠手には無数の傷跡があり、兜はずいぶんと飾り気が少ない。

「それよりも心配なのはこの城の守りじゃ。わしらが外で暴れている間にここが落ちては話にならぬぞ」

「その点は私が命に代えてもここを守る」

 砂坂が声に怒気を含ませて答えた。砂坂は袮人に対しては忠節を曲げなかったが、その彼女でも虎姫に対しては未だに敵意を隠そうともしなかった。

 虎姫は皮肉っぽく、唇の端を上げて笑った。

「命を賭けるだけで守れるのならこの世に落ちる城などなかろうよ。なに、城を出る時さえ間違わなければ勝算はある。とにかく、お主はそれまで何としても時間を稼げ」

「言われずとも分かっている。お前こそ、我々を裏切るな」

「くふふ、それは頼もしい。それから主様よ、お主はなるべく戦場に顔を出すんじゃぞ。ただでさえお主らは士気が低いのじゃからな、格好くらいつけておけ」

「分かった」

 袮人は戦場で戦ったことなどない。虎姫は自信満々だが、そりゃあ虎姫ほどの武人であればどんな戦場でも生き残れるだろうが……。

「そのような顔をするでない。心配せずとも、この鳴子が主様を勝たせてやる。では、皆の衆、しっかりとな。見送りは不要じゃ」

 気軽に言って、虎姫は出陣した。

 軍議が終わり、各々が自分の仕事に戻る中、諸井田が袮人に話しかけてきた。

「大丈夫でしょうか」

 諸井田らしくない、抽象的な問いだった。何を、と聞き返すには、心当たりが多すぎる。

「あの女にできなければ誰にもできまい。私たちは自分の仕事を果たすまでだ」

 袮人の方こそ諸井田に泣きつきたいくらいだった。いや、この男のことだから、それを牽制するための質問だったのかもしれないが……。袮人の答えに満足そうに頷いて、諸井田は大広間を出て行った。

 三日後、快進撃を続ける五千の砺岐衆が、さしたる抵抗もなく九弦城を包囲した。




 九弦城が包囲される前に出陣した虎姫の部隊は、敵の索敵に引っかからないように山陰や森を選んで砺岐衆の背後へ移動した。

 警戒すべきは敵の直接的な哨戒網だけではない。よそ者がぞろぞろと隊列を組んで歩けばたちまち近隣住民の噂の種となる。

 兎流の兵士たちには隠密行軍のノウハウがあった。また、全軍合わせて五百名という小回りの良さもこの場合は有利に働いた。

 出発してから七日が経った日の夜。虎姫の部隊は渦毬城うずまりじょう近くの山陰に身を潜めて偵察を行っていた。

 渦毬城は砺岐国から志陽国を通る街道沿いに建てられた山城である。交通の要所を押さえる拠点であり、砺岐軍は九弦城を目指す道中にすでにこの城を落としていた。

「今夜は風が強い。夜襲にはうってつけの夜じゃ」

 虎姫は隣の阿木楽に嬉しそうに漏らした。

「どこから取りかかりますか?」

「まずはわしが、四人連れて中に入る。門を内側から開けるから、合図をしたら全員で突入せい」

「合図?」

「中の砺岐衆が騒ぎ出したらそれが合図じゃ」

 虎姫は部隊の中から腕利きを四人選んで、阿木楽と永玄に後を託した。

 五人は影の中から出ないようにして、するすると城の方に近づいていった。虎姫は背中に丸盾を背負い、右手には短槍、左手にはかぎ爪つきの縄を抱えていた。

 城の板塀に鉤爪をひっかけて、虎姫を先頭に縄を登って五人が城の中に入った。

 しばらく経つと正門が少しだけ開いたのが阿木楽たちから見えた。開門には成功したが、本隊が突入するのは陽動が始まった後である。

 虎姫を待つ阿木楽たちにとっては長い静寂の時間が続いた。

 やがて城の中から、悲鳴と、怒声と、大勢がかけずり回る足音が聞こえてきた。

「突入する」

 阿木楽が指示を出して、本隊は渦毬城の正門に全力で走った。

 ――城の中は地獄であった。

 門のそばに血を流して倒れた男。さらに奥へ進むとあちこちに血だまりと、切り落とされた腕や首、そしてもちろんその持ち主が倒れていた。血や臓物のむせ返るような臭い。

 阿木楽は部隊をいくつかに分けて城の中枢を目指して動いた。

 阿木楽が虎姫たちと合流したとき、彼女は敵と切り結びながら城内を縦横無尽に駆け巡っているところであった。

「姫、助けに参りました」

「なんじゃ、もう来たのか。早すぎるわ」

 阿木楽に答えながら、虎姫は槍を目前の敵に突き刺した。すでに返り血で彼女の鎧は赤黒く汚れていた。

「大将を探すのじゃ。できれば生かして捕らえたい」

 そう言って、虎姫は味方の戦列から一人飛び出して、敵の中を風のように駆け抜けていった。それは死の風であり、すれ違う虎姫の槍によってたくさんの兵が瞬く間に絶命させられた。

 やがて虎姫は、城内の殺戮から逃げだそうとしていた砺岐の大将を生きたまま捕らえて阿木楽たちの元に戻ってきた。

 結局、奇襲をかけてから四時間足らずで、虎姫の部隊は大した被害も出さずに渦毬城を完全に制圧してしまった。

「それで姫、これからどうします? 敵の背後を突きますか?」

「それはまだ早い。わしらはここで砺岐に化ける。――砺岐衆の死体を片付けろ! 捕虜はすべて牢につなげ! 決して外に出すな!」

 虎姫の命により、渦毬城から戦闘の痕跡が急いで隠された。夜が明けるころには、一見して昨日と同じ渦毬城の姿を取り戻していた。また、砺岐の大将から聞き出した情報が、虎姫の部隊を砺岐衆に偽装するのに利用された。

 虎姫たちが城を占拠して五日が経った。その日、九弦城の包囲を続ける砺岐の本隊へ物資を輸送するため、砺岐国からの援軍三百が街道を通過しようとした。

 報告を受けた虎姫は、直ちに街道の門を閉ざし、部隊に戦闘体勢をとるように命じた。

 砺岐の援軍が城の前まで来た。虎姫はそれを見張り櫓の上から見下ろして誰何した。虎姫は異人の面構えを隠すため、頬当てで顔の下半分を隠していた。

「我ら木根きねより参った、兵糧を前線まで運ぶ者である! 開門せよ!」

 木根正国きねまさくには砺岐の国衆であり、穂羽への侵攻軍の実質的な司令官である。虎姫は言葉を返した。

「ならぬ! そちらが真に砺岐の者であるか改める! まずは城の中へ入られよ!」

「我々は急いでおるのだ! ここでそのような問答をしておる暇はない!」

「我らは木根様より街道を封鎖するように命じられておる! 貴様らの身を改めるまでは通過を認めるわけにはいかぬ!」

 虎姫と砺岐軍の間でしばらく問答が続いたが、最後は砺岐軍の方が折れて虎姫の指示に従う方を選んだ。

 虎姫は城の門を開けさせて、部隊を城の中に招き入れた。虎姫も見張り櫓から降りて、地上で部隊の大将を出迎えた。

「我らやましいことは何一つない! 好きなだけ改めよ! ただし、ここで足止めを受けたことは木根様に報告させてもらう!」

 虎姫が手で合図を送ると、城の門が静かに閉ざされた。

「そうじゃな。後でお主らの殿もそちらに送るから、そこで好きなだけ報告すればよかろう」

「――なんと?」

 虎姫は素早く刀を抜くと、その一閃で大将の喉元を掻き切った。戦では好んで短槍を使う虎姫であったが居合いの心得もあった。

 虎姫は死んだ大将の体を蹴り倒すと、そのまま後ろに跳んで彼らから距離を取った。

「放て!」

 敵は、多くの者が、状況を飲み込めずに立ちすくむだけであった。

 素早く反応した者もいたが、彼らが反撃を行うよりもずっと早く、城の屋根から矢を射られて死んだ。広場から壁へ逃れようとした者は、周囲を取り囲んでいた兎流の兵が槍で刺し殺した。

 十分と経たずに呆気なく敵は全滅した。

「奴らの荷物を改めよ」

 虎姫が指示した。輸送されていた荷車の中身の大半が米であることを確認した虎姫は、自分たちの行軍に必要な量だけを取り分けて、残りはすべて燃やすように指示した。




 侍女が袮人に鎧を着せている間、砂坂は戦場での心得を説いていた。

「戦場での指示はわたしが出します。袮人様は司令部として、また予備兵力として後方に控えてください。大将がみだりに兵を動かさず、山のように構えることで、前線の兵士たちは安心して闘うことができます」

「ああ」

「敵が迫ってきた場合でもわたしたちが命を賭けて守ります。くれぐれも取り乱したり、見苦しい姿を見せないように。そのような姿を見せれば兵士たちが浮き足立ちます」

「ああ」

「袮人様、聞いていますか?」

「……鎧が苦しい」

「そういうものです」

 砂坂はすげない返事をして袮人を立たせた。

 部屋を出て廊下を進むと、戦準備をしていた兵士たちは一様に頭を下げた。自分の鎧姿はどう贔屓目に見ても似合っているとは言いがたい。ひょっとすると、自分ではなく、横を歩いている砂坂の方に頭を下げているのかもしれない、と思った。彼女の鎧姿は実に様になっていた。

 廊下の先で、束塚十三の姿を見つけた。足を止めたくなったが平然を装った。

 十三の方も袮人の姿を見つけると、ささっと近寄ってきて目の前で膝を突いた。

「これは袮人殿に砂坂殿! ご出陣でございますな! わが束塚家はいかなるときも穂羽様のお味方ですぞ!」

 袮人ではなく、主に砂坂の方を見ての売り込みであった。

 砂坂も頷いて、

「束塚殿のお力添えにはいつも感謝している。このたびの戦、穂羽と袮人様のために力を合わせよう」

「はっ!」

「……十三殿。乙乃はどうした?」

 返事までに時間があったが、十三は袮人の方を向かずに答えた。

「乙乃は、我が束塚領に帰らせました。あれは戦場では袮人殿の力にはなれませぬでしょうし」

「……いや、ならば良い」

 袮人は答えて十三と別れた。

「この城が落ちても跡継ぎの命だけは助けようという腹か」

 小声で砂坂が漏らした。

「十三が参戦してくれだだけでも十分だろう。各々が自らの家のことを考えるのは当然のこと。束塚家には穂羽家と心中する義理などないだろうし」

「袮人様。そのようなことを不用意に口にするのはお辞めください。兵士の士気にかかわります」

「うん。悪かった」

 袮人は建物の外に出ると、小姓が用意した床几(折りたたみ式の椅子のこと)に腰掛けた。外と言ってもここは本丸で、周辺は城壁に囲まれており、現在三の丸へ攻撃を仕掛けている敵の姿を直接見ることはできない。

 砂坂は袮人に一礼すると城門を抜けてひとりで前線の部隊へ向かった。

 遠くから雄叫びと、槍と鎧のぶつかる音、矢が風を切る音が聞こえる。



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