第3話 大物崩れ


 夕方には九弦城の大広間に穂羽の譜代家臣が集まっていた。しかし彼らの顔ぶれは勢揃いと呼ぶには数が少なすぎる。それというのも、勝昌の出征には多くの家臣が同行しており、今は勝昌の安否と同時に彼らの生死も不明なのである。

 袮人は部屋の隅に正座して評定に耳を傾けていた。公には穂羽とは無関係の袮人がこの場に居合わせるのは本来あり得ないことであったが賢義の要請で出席することになった。これが平時であれば家臣たちも異を唱えただろうが、今の状況ではそのような些事に構っていられる余裕のある者はいなかった。

 最初に諸井田より、三護の奇襲を受けた穂羽軍は総崩れで、勝昌や六人の息子たちの生死も不明であることが伝えられた。

 その後、勝昌の安否が分かるまでは賢義が当主を代理することが決定された。そこまでは良かったが、では今後どのような行動をすべきかという点については、とにかく情報が不足しており仮説の上に仮説を重ねるしかなく、議論はひたすら空回りを続けた。

 翌二十六日の明け方には譜代家臣の砂坂酒子すなさかさこが、遅れて夜には負傷した小野沢頼綱おのざわよりつなが帰還したことでようやく戦場での状況が明らかになった。

 緒戦で勝利し、谷で陣を張って豪雨の中で野営していたところに奇襲を受けた。敵は本陣を直撃し、ちょうどそのとき軍議の最中だった勝昌、成親、辰興は混乱の中で行方不明となった。

 司令部の壊滅で穂羽軍は一瞬で恐慌状態に陥った。しばらくの後、六男の国鶴が何とか指揮系統を回復させたころには退路はすでに三護の軍に遮断されていた。

 国鶴はすぐに撤退を決断したが、この場合は決断よりも実行こそが容易ならざることであった。混乱を収拾するために国鶴自身が殿を務め、部隊の撤退と勝昌らの捜索を命じた。砂坂酒子と小野沢頼綱はこのとき撤退した部隊の指揮を任された。

「他の者は……『穂羽の七将』はどうなった?」

 狼狽しながら賢義が訊ねた。

 『穂羽の七将』とは、勝昌が特に重用した七人の譜代家臣のことである。砂坂酒子と小野沢頼綱もこの七人のうちに数えられる。

 砂坂は、真っ先に撤退した己を恥じるように、顔をゆがませながら賢義に報告した。

「霧島殿、保呂殿は最初の襲撃で討ち死になさいました。九条島殿は国鶴殿と戦場に残りました。おそらくは……。それから、鴨野殿なのですが……」

 三護の奇襲で穂羽軍がなすすべもなく壊滅したのは、悪天候ゆえ敵の発見が遅れたことだけが理由ではなく、穂羽軍の中で敵を手引きする者がいたのだ。

「まさか……鴨野殿が裏切るなど……」

 賢義が呆然と呟いた。砂坂も小野沢も沈痛な面持ちで顔を伏せた。

 さらに昼になると、撤退中に離散した足軽大将や小姓らも次々に帰還し、砂坂らの話に補足が付け加えられていった。また、行方不明になっていた七将のひとり、大室慶長おおむろよしながが重傷を負いながらも帰還を果たした。

 しかしこの時点でも、勝昌とその息子たちの生死は依然不明であった。

 賢義は判断を保留し、あと二日は勝昌の帰還を待つことを決めた。

 評定が終わり、解散する家臣たちの中から袮人は諸井田を呼び止めた。

「諸井田殿、あの、私は――」

「ああ。そうですね、情勢がはっきりするまでは、しばらくここに残られるべきかと思います」

「……私に、何か力になれることがあれば良いのですが」

「賢義様は不安になられていらっしゃいます」

「いつもと同じに見えましたが」

「そう見えるように努力なさっているからです。どうか、賢義様をお支えください。袮人様の部屋を用意させますから、しばらくお待ちください」

 そう言って、諸井田は袮人に一礼して早足で部屋を出て行った。

 その日の夜、袮人は初めて入る本丸の客間で、今まで使ったことがない上等な布団に包まれながら、評定のことや産みの父のことを考えていた。様々な記憶がぐるぐると頭の中を巡って、気を抜いた一瞬の隙に、袮人の意識は睡眠の中に落ちてしまった。

 袮人の予想に反して、翌日には再び評定が開かれた。

 勝昌の首が、三護の当主、三護利明さんごとしはるより届けられたためである。それ以降も、兄弟たちの首が次々に届けられた。

 勝昌とその息子たちは、賢義と袮人を除いて全員が戦死したのだ。




 戦場に行った父と兄弟たちが全員死んだことを確認すると、賢義はすぐさま家督を相続したことを国衆たちに宣言した。敗戦と穂羽家当主の死亡によって領内が動揺することを懸念しての素早い対応だったが、効果は不十分だった。

 穂羽家が支配している砺岐国の国衆たちが、穂羽家に対して一方的に絶縁を通告してきたのである。

 穂羽家はこれまで本拠地である志陽国とその北にある砺岐国の二つの国を支配していた。このうち砺岐国が離反したとなると単純に考えても国力は半減である。

 賢義はすぐさま砺岐衆に使者を送ったが門前払いであった。使者はなおも現地で交渉を試みていたが、やがて砺岐衆と三護が同盟を結んだという情報を掴んで慌てて帰国した。

 評定の場で報告を聞いた賢義は、諸井田の方へ顔を向けた。先の敗戦で取次衆の奉行が戦死したため、スライド式に諸井田が奉行に出世した。

「諸井田、その話は信頼できるのか?」

「砺岐を探らせている遠聞とおぎきからの情報です。少なくとも、木根正国きねまさくにはそのように説得して他の国衆を味方に引き入れたようです」

 木根正国は、砺岐に領地を持つ国衆である。今回の独立騒動で、砺岐国の国衆を扇動した実質的な指導者が木根氏であった。

「……まさか、此度のことは砺岐衆と三護の策略か?」

「この短時間で同盟がまとまるとは思えませぬ。策略かはさておいて、事前に交渉があったのは確かでしょうな」

 賢義が表情を硬くした。

 かつての穂羽の七将のひとり、鴨野成丈が三護の家臣の列席に加わったことが、先日届いた三護からの書状で明らかになっていた。鴨野は戦功により伊高いだかに知行を与えらた、とある。それをわざわざ穂羽に報せてきたのは、穂羽の家臣のさらなる離反を誘発する狙いがあるのだろうと諸井田は分析した。

「砺岐衆とは、戦になるか?」

「聞いた話では、彼らは足軽と槍を買い集めているようです」

「今の穂羽に、奴らを迎え撃てるか?」

 賢義は砂坂に質問した。砂坂は腕を組んだまましばらく黙考していた。

「……難しいでしょう。先の戦いでは、砺岐衆は別働隊として城の守りを固めておりましたからほぼ無傷です。対して、志陽衆は当主が多数討ち死にしており、兵を出せる国衆は限られております」

「であれば、天作に助力を請うか……」

 天作は穂羽と軍事同盟を結んだ、隣国の戦国大名である。天作氏は戸賀国とがのくに流州国るしゅうのくにの二カ国を支配しており、軍事力では穂羽氏をも上回ると見られていた。

 賢義は即座に天作への援軍要請を行ったが、三日が経っても返事はなく、書状を持たせた取次も天作とはろくに交渉もできないうちに追い返された。

 ここにきて、賢義たちは自分たちが認識していたよりも事態はさらに深刻であることを理解した。

 天作氏の援軍が期待できないことが知らされるや否や、穂羽家の重臣たちの離反が相次いだ。このとき七将のひとりである小野沢頼綱が天作に出奔し、家中に大きな衝撃が走った。

 それでも賢義は、穂羽に残った国衆へ召集令を出して必死に兵士をかき集めたが、しかし砺岐衆の兵数には遠く及ばない。集められた足軽たちも先の戦いで父や兄を失った者たちばかりだ。

 それらの事態を傍観者として見ていた袮人にも『潮目』が変わったのがはっきりと感じられた。

 六月も半ばにさしかかるころ、さらに事態は悪化する。

 病を押して政務に当たっていた賢義が、とうとう倒れたのである。




 袮人は賢義の部屋に呼び出された。ここ数日は評定も開かれず、袮人にはやることがなかった。

 部屋に入ると、賢義の布団のそばに諸井田と砂坂の姿もあった。戦死と寝返りと出奔が相次ぎ、重臣がごっそり抜け落ちたせいで、今はこの二人がもっとも重要な立場の家臣となってしまった。

 賢義の顔は青白く、普段以上に弱々しくに見えたが、それに気づかないふりをして、袮人は兄に声をかけた。

「袮人……頼みがある」

 か細い声だった。諸井田と砂坂が袮人の方を見ていた。嫌な予感がした。

「はい。何でしょう、兄上」

 袮人は賢義の口元に耳を寄せた。そのとき賢義の手がスッと伸びて、病人とは思えない力で袮人の着物の襟をつかんだ。

「お前が当主の代理として家中をまとめるんだ」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

「そんなこと――兄上、私には無理です!」

 賢義から離れようとするが、賢義のやせ細った手がびくとも動かない。

「お前ならできる」

「しかし私は戦にも出たことがないのですよ!?」

「……戦はそこの砂坂に任せろ。政務は諸井田が取り仕切る」

「いや、その、でも――」

「お前しかいないんだ。おれの弟は、お前だけなんだ」

 賢義の真っ直ぐな視線が袮人を縛り付けた。何かを言い返そうとして口を動かして、しかし兄の顔を見ていると、袮人はその先を言うことができなくなった。

 今まで袮人は兄に様々なものをもらってきたが、兄から袮人に何かを求めるのはこれが初めてだった。

「穂羽を頼む……」

「……分かりました。兄上、安心して、休んでください」

「そうか……良かった」

 賢義の手が滑り落ちる。その後いくら袮人が呼びかけても、賢義は目を閉じたまま静かな呼吸を繰り返すだけだった。

「若様――いや、袮人様」諸井田が袮人に言った。「これより殿が快復されるまでは袮人様が穂羽の頭領です。この諸井田、誠心誠意、袮人様のために尽くしましょう」

「砂坂酒子、同じく袮人様に忠を尽くします。もし袮人様に刃向かう者がおれば、それは穂羽に刃向かったも同じ。この砂坂が成敗してくれましょう」

「いや……成敗はしなくても良いのですが……」

「袮人様。もはやあなたは我々の主であります。そのような話し方をされては他の家臣たちに軽んじられますぞ」

「はい――いや、ああ。なるべく気をつける」

 言ってみると、違和感で背筋のあたりに冷や汗をかいた。そんなはずはないのだが、諸井田と砂坂の表情が笑いをこらえているように見えた。

 すぐに評定が開かれて、賢義がしばらく政務に復帰できないことと、その間は袮人が当主を代理することが家臣たちに宣言された。

 袮人の予想に反して反対の声はなかった。もちろんそれは袮人が信任されたわけではなく、他に適任者がいないという理由による消極的な賛成だった。また、一部の家臣は穂羽家の未来よりも自らの未来を心配するのに忙しかった。

 評定は諸井田が仕切った。目の前に迫った砺岐衆と三護への対応が何よりも最優先であると述べると、まずは他の家臣たちもそれに同意した。

「対応の方針を定めておきたいと思います。交渉でお引き取り願うか、兵を集めて戦とするか……」

「交渉の余地は、あまりないでしょう。何せ取次が出奔するくらいですからな」

 家臣のひとりが皮肉交じりに発言した。三護との外交を担当していた香月氏は賢義が倒れた直後に三護に下っていた。

「……では戦うしかありますまいな。砂坂殿、防衛の手配をお願いします」

 砂坂は頷いた。ここ数日で、彼女もずいぶんやつれたように見えた。

 その後、砂坂より防衛と人の手配の計画が披露された。それにいくつかの訂正が提案され、異論を挟む者がいなくなったところで、諸井田が評定を解散させようとした。

「あの、ひとつよろしいでしょうか――良いか?」

 評定の最初に挨拶をして以来、袮人にとってこれが二度目の発言だった。家臣たちの方を向いていた諸井田が袮人に向き直った。

「何でしょうか、袮人様」

「……砂坂殿。勝算はどのくらいと見る?」

「必ずや勝ちます」

「そうではなくて……。先の戦いで穂羽はたくさんの将兵を失ったし志陽の国衆の多くは当主を失って戦どころではない状態にある。その上砺岐衆は無傷で、背後にはあの三護も控えている。このような状況で穂羽を守る算段はあるのか、と訊いている」

「守りに徹すれば、九弦城はそうやすやすとは落ちませぬ。籠城を続けてとにかく時間を稼ぐしかないでしょう。急な出兵で砺岐衆の方も十分な準備はできていないはずです」

「しかしそれは――」

 諸井田が咳払いと目配せをした。これ以上は砂坂の面目を潰すことになる。

 袮人は砂坂への質門を止めた。それを見て諸井田が評定の終了を告げる。袮人が立ち上がって大広間を出ると家臣たちが頭を垂れた。

 しょせん自分は代理の大名である。波風を立てるべきではない、家臣たちに従っていればいい――と、袮人は考えた。

「――ああ。まったく、私というやつは……」

 袮人が振り返り、大広間に戻ると、解散しかけていた家臣たちが驚いて顔を見合わせた。

「一同、申し訳ないがもう少し評定に付き合ってくれ」

 袮人は再び大広間の上座に腰を下ろした。家臣たちも慌てて着座する。

「砂坂殿、やはり私には疑問がある。すでに穂羽は負け戦をした後だ。今の状況で籠城をしても、誰が穂羽に力を貸してくれると思うか。私たちに必要なのは勝利であって、負けないことではない。それに、私たちの運命を敵の失策に託すことはできない。……と、思うんだが……」

 砂坂は口元を僅かに歪ませた。

「では、袮人様はどうせよとおっしゃるか」

「敵が諦めるのを期待するのではなく、敵軍を殲滅する方法を考える」

「それこそ無理難題。我が方には砺岐衆と互角に戦えるほどの兵力はありませぬ。袮人様は戦の素人であれば分からぬでしょうが――」

「私は素人だが、素人ひとり説き伏せられぬ策で勝てる戦とも思えぬ」

「はっはっは。これは一本取られましたな、砂坂殿」

 砂坂に睨みつけられて、諸井田は自分の禿頭をパンと叩いた。

「これは失敬。しかし袮人様、今の穂羽には砂坂殿以上の武将はおりませぬぞ。その砂坂殿でも不足とあれば、はたして袮人様の期待に応えられる者がおりましょうかな。たとえ妙案が浮かばずとも向こうは待ってはくれませぬ。であれば、持っている駒で最善と思える手を打つしかありますまい」

 諸井田の言うことはもっともだった。袮人には砺岐衆を破る軍略など思いつかない。かと言って、砂坂を絞ったところでそれが出てくるとは思えない。

 そのとき、袮人の脳裏に「虎」のイメージが浮かんだ。

「……一人、寡兵で大軍を相手にするのを得意としている者を知っている。今、ここの牢屋に繋がれている者だ」

「虎ですか。しかしあれは――」

「まさか、袮人様がおっしゃっているのは兎流の姫のことですか?」家臣のひとりが声を上げた。「ありえませぬ。あれは穂羽に弓引いたものですぞ!」

「しかしあの鳴子姫は千の軍で万の軍を退けたと聞いたぞ」

「寝返るに決まっている!」

 別の家臣から腹立たしげな声が飛んだ。

「諸井田殿はどう思う?」

 諸井田は腕を組んで自分の顎を撫でた。

「難しいことをおっしゃいますな。確かにあれが味方になれば心強い。しかし下手をすればあれが寝返り我々の首を土産に砺岐に降るやも。それに家臣たちがあの姫に従うかどうか……」

「砂坂殿から見て、虎姫はどうだ? あれでは不足か?」

「正直に申しまして……」砂坂は他の家臣たちを横目で気にしながら答えた。「鳴子姫ができないのであれば、他の誰にもできないでしょう」

 家臣たちがどよめく。袮人はその意味を噛み締めて、砂坂に頷いた。

「砂坂殿もこう言っておられる。謀反を起こした者を許し、兵を預けるのは道理が通らぬことだが、今はそれ以外に手がない。どうかわかって欲しい。どんな手を使っても、穂羽を――兄上の家を、失いたくないのです」

 袮人は床に手をついて、家臣たちに頭を下げた。大広間のどよめきはしばらく収まらなかった。


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