第23話『可能世界と不可能世界』

 可能世界とは、僕達が矛盾なく考えられる世界のことである。文字通り、存在が可能な世界のことを指す。


 現在の僕は、理沙と大学内のラウンジで、今日の講義に関して、意見を交わしているわけだが、別の場所、例えば食堂や図書館で話をすることもできた。つまり、僕達が食堂や図書館で話し合いをしている世界は可能世界なわけだ。


 可能世界があるということは、もちろん、不可能世界という言葉もある。何を不可能として定義するかにもよるが、例えば、僕と理沙が、太陽の上で話し合いを行うのは不可能である。よって、太陽の上で僕達が話し合いをしている世界は不可能世界といえる。


「ライプニッツによれば、無数の可能世界のうち、一番いい世界を選んで、神様が実現してくれたのが、この世界ってことになるのだけれど、本当にそうなのかな?」


 僕が理沙に問いかける。


「何よ、藪から棒に。この世界よりも、より良い可能世界があるかどうかって話?」


 二つの世界を行き来する僕は、少なくとも、可能世界が、僕達が現実世界と呼ぶ世界の他にも存在することを知っている。


「例えば、魔法のある世界とかはどうだろう?」


 僕の問いかけに、明らかに難色を示す理沙。


「魔法が存在する時点でそれは、不可能世界なんじゃないの?」


 非現実的な話は嫌いな理沙だが、なんだかんだ言いつつも、必ず話題にはのってきてくれる。


「人の電気信号に介入することで、人の意思を曲げるような現象を起こすことが出来るとして、そのような科学で説明が出来る力を魔法と呼ぶとすればどうかな?」


「その存在を論理的に考えることが出来る世界のことを可能世界と呼ぶのだから、その世界が存在するかどうかは別として、魔法という現象が説明可能なものであれば、哲也の言うような世界を可能世界と呼ぶことは出来るのかもね」


 嫌々ながらも、一応は肯定的な意見をくれる理沙。


「理沙は、僕達が生きるこの世界以外の可能世界は実在しないと思う?」


 異世界の存在には否定的なのだろうか?


「そうね、論理的に考えることは出来ても、あまり信じる気にはなれないわ。こうした考えが、哲学の幅を狭めることは理解出来るのだけれど」


 複雑な表情で語る理沙。


「確かに信じにくいことだよね。様々な可能世界が存在したとしても、そこに暮らす各々は、自分の住む世界こそが現実世界だと考えるだろうしね」


 僕がそう言うと、理沙が何かを思い出したような仕草を見せる。


「それはなんだか、自己認識の考え方にも似ているわね。私は大学生で、髪の色は黒、身長は168センチ、血液型はA型。でも、だからと言って、それらの情報の集合体こそが、私なんだとは、考えられないものね」


 自己を振り返りながら、語る理沙。


「他の人からすれば、様々な人達から、理沙を選び出す目印は、君の見た目や声などの、無数の事実でしかないのだけれどね」


 つまり、他者から見た場合の僕は、地球側にいる際は、新谷 哲也であるし、イデア側にいる際は、フィロスであるわけだ。僕がいかに、その二人は同一人物だと主張した所で、他者から見れば、その二人は、別々に存在するまったく別の人間なのだ。まぁ、イデアと地球が交わることなどないのだから、この仮定に意味はないが。


「仮に、私の精神が別の身体に入ったとして、私が私であることを、本当の意味で理解できるのは私だけということね」


「僕達は、その人の持っている性質によって、自分以外の人を識別しているからね」


 それしか、判断手段が無いのだ。


「私がどんな大学に通っていようと、どんな髪色で、どんな背格好をしていようと、私は端的に私であるとしか言えないわけね」


 煮え切らない様子ではあるが、一応の落とし所を見つけた理沙。


「そうだね、それと同じように、様々な可能世界から現実世界を区別するのには、食堂だろうが、ラウンジだろうが、関係ないのさ。何が起ころうと、現実は端的に現実でしかない」


 僕の言い分に深く頷く理沙。


「なんだか、それって、恋とか愛に似ているわね」


 なんだか理沙らしくない、抽象的な例えだ。


「恋って言うのは、その人の持っている何らかの性質に向けられるものだけれど、愛はそうではないわ。愛は、その人そのものに向けられているもの。愛は端的に、愛としか呼べないのよ」


 恋愛という抽象的な感覚に、しっかりとした言葉を当てはめて考えるのは、実に理沙らしい考えだと思えた。


「見た目と中身は、その人を表す性質なわけだから、例え、その人の性格を好きになっても、それは恋であって、愛ではないわけだ。じゃあ、見た目と中身以外を好きにならなきゃいけないわけだけれど、そんな現象は起こり得るの?」


 僕が単純な疑問を口にする。


「それは単に、貴方がまだ知らないだけよ」


 理沙にしては、珍しく、決めつけるような物言いであった。まるで自分は愛の正体を知っているかのように。

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