第20話『共感覚』

 共感覚とは、何かの刺激に対して、通常、感じるであろう感覚の他に、別の感覚を生じさせることである。共感覚者と呼ばれる人達には、文字や数字に色を感じる人がいるらしい。その他にも形に味を感じることすらあると言う。このように、共感覚と言っても、多種多様な症状があり、共感覚者が見ている世界は、私達とは大きく異なった世界なのかも知れない。


 

 今日は、田舎に住む、中学時代からの友人である、一ノ瀬 彩に会いに来ていた。


 一ノ瀬 彩という人物は、共感覚の持ち主で、黒字の文字を見ても、色がついたように見える、グラフィームカラー共感覚の保有者だ。


 なぜ急に、田舎に足を運んでまで、彼女に会いに来たかと言われれば、アリスカラーの保有者である、ラルムのことを少しでも理解したいと思った、僕なりの行動である。


 ラルムの持つアリスカラーと一ノ瀬 彩が持つグラフィームカラーという症状は、他者には見えない色が見えると言う点において、非常に似た性質があると感じる。


「なぁ、彩から見える世界ってのは、やっぱり他とは違うものなのか?」


 一ノ瀬家の縁側に二人並んで座り、僕が彩に語りかける。


「私にとっては、文字や数字に色があるのが普通の世界で、その他の世界なんて知らないのだから、比べようがないわ。それに、そんなことはわかっているだろうに、なぜ、そんな質問をするの?」


 不思議そうに首を傾げる彩。黒のショートカットが風に揺れる。


「いや、比べようがないのはわかっているのだけれど、それでも聞きたくなってしまったんだよ」


 色によって世界を捉える人の気持ちが、少しでもわかりたかった。


「哲也がそういうスタンスを取るのは珍しいね。多分、他人の為なんだよね?」


 彩が見えているのは、はたして色だけなのだろうか。彼女にはいつも見透かされている。いや、理解してくれているのか。


「他人って言い方は好きじゃないかも知れないな。友人の為だよ」


 僕がそう言うと、彩はクスクスと小さく笑いながら、こう言うのだ。


「自分以外の人は皆、他の人なんだから、他人という呼び方も間違ってはいないだろう?」


 彩はこうして、自分では、思ってもいないことでも、会話が自分ごのみの展開になるのであれば、平気で自論を曲げるやつだ。


「じゃあ、僕も他人かい?」


 少々ずるい戦法を打ち出す僕。


「哲也はもう、私の一部みたいなものさ。身体が別にあるだけで、実質、私の延長線上にある」


 探るように僕を見ながら、実に楽しそうに話を進める彩。


「無茶苦茶で意味不明な理屈だが、なんだか光栄な気分だから、よしとするよ」


 少なくとも、悪い気はしない。


「新谷 哲也って文字が、哲也と会うたびに違う色に見えるようになるんだ。これは本当に不思議だ。自分でも理解出来ない」


 最初に会った時は青、次は緑、その次は赤だったかな?


「今の僕の名前は何色なんだい?」


 共感覚は、神経の病気とみなされることもあり、本人の精神状態と密接な関係にあるという。つまり、彼女の中で、僕の印象そのものが、変化し続けているのだろうか。


「それがさ、今は何故だか、見えないんだよ」


「黒色の普通の文字に見えるってこと?」


 インクそのものの色が見えているのだろうか。


「いや、うっすらとした、モヤのような色達が漂っている感じなんだ」


 怪訝そうな顔をする彩。


「色達?」


「そう、複数の淡い色が折り重なっている感じ?」


 自分でも理解が追いついていない様子だ。


「似たようなことは前にもあったの?」


 僕がそう問いかけると、なぜだか、楽しそうに笑いながら、彩はこう言うのだ。


「ない! これが初めて!」


 初めての感覚が自身を襲っているというのに、純粋にそれを楽しんでいる様子だ。


「怖くはないの?」


「新谷 哲也という文字列が、私に危害を加えることはないよ」


 何を根拠に言っているのか、不思議になるほど、明確に、彼女は言い切った。


「信頼の証として、とらえておくよ」


「光栄に思ってくれ」


 そう言ってまた、小さく笑う彩であった。


「あのさ、一ノ瀬って苗字には、1という数字が含まれているけれど、その場合って、文字列としての印象が色に変わるのか、数字としての印象が色に変わるのか、どっちなんだ?」


 僕が少し前から気になっていたことを口にする。


「私の場合は、一ノ瀬って文字列の印象が色に見えるよ。漢数字の場合はね。アラビア数字なら別だけれどね」


「なるほどなぁ、漢数字とアラビア数字でも変わってくるわけね」


 意味は同じでも、形や印象に左右されるのかも知れない。


「ローマ数字は、アルファベットを認識する時のイメージに近いかも」


 淡々と説明を続ける彩。


「あのさぁ、最後に一ついいかい?」


 僕が本当に聞きたかったことがある。


「一つと言わず、いくつでもどうぞ」


 細っそりとした体つきの彩だが、彼女の性格は、太っ腹な上に器が大きい。その彩の奥行きの広さに、何度助けられたことか。


「こんなことを聞くのもどうかとは思うのだけれど、彩は、明日から共感覚を無くすことが出来るとしたら、どうする?」


 不躾な質問であることは承知の上だ。


「私は、明日からも共感覚者として生きるよ」


「なぜ?」


「色のある世界で生きてきた私を否定したくないし、それが私だから。それに、この症状がなければ、哲也の色の変化がわからないだろ?」


 実に彩らしく、様々な色を魅せる生き方だと感じた。この言葉をしっかりとラルムにも伝えよう。それが僕の今やるべきことだ。


「今日は、ありがとう。とても参考になったよ」


「いやいや、私もとても楽しい時間を過ごせたよ。ただ一つ不満があるとすれば、今日のこの時間を哲也は、他の娘の為に過ごしたってことかな?」


 彩は小さく笑いながら、こちらを値踏みするかのように、隅々まで僕の表情を捉えていた。


 きっと彼女には、人の心までも、色で見えているのだろう。これが女の勘であるならば、女の勘の正体は魔法である。

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