第19話『アリスカラー』

 国家魔法師認定試験に合格した僕は、国家魔法師の仕事内容や義務などを学ぶために初期合宿へと足を運んでいた。



「これより、国家魔法師、七十二期生、初期合宿をはじめる!」


 一次試験で試験官をしていた、ルナ・アスールさんが、この合宿での進行を務めるようだ。今日も変わらず、しっかりと前髪が揃えられている。


「今回の合宿で、教官を務める、ルナ・アスールだ。私のことは教官と呼ぶように。では、まず、最初に、君達には改めて、自己紹介をして貰う!」


 女性としては低く、それでいて聞き取りやすい声で、ルナ教官が言った。

 一次試験の際よりも、どことなく厳しい印象を感じる。


「では、僭越ながら、私から挨拶させていただきます。サミュエル・ホワイト、十八歳。得意魔法は身体魔法による視力の上昇と、視野の拡張です」


 やや青みがかったブロンドの髪を、きっちりと七三分けにしている、いかにも真面目そうな風貌の青年が、真っ先に手をあげ、自己紹介を済ませた。


「俺は、ニックだ! 聴力に関しては自信があるぜ! 歳は十四だ。よろしく!」


 先ほど名乗ったサミュエルさんとは対照的な印象を持つ、坊主頭の少年が、とにかく大きな声で自己紹介をした。耳がいいのに、声がでかいとは、なんだか不思議な人だ。こう言ってはなんだが、頭が回るタイプではなさそうだ。得意魔法の説明がなかったが、身体魔法を使った、聴力の強化と言うことでいいのだろうか?


「俺の名前は、リザ・ヴェルメリオ。十五歳の身体魔法師だ! この大剣で敵を切る。以上!」


 声のでかさでは、リザも負けていないだろう。不思議なことに、先ほどのニックに比べて、リザの声の大きさは、勇ましさや、強者の風格のような雰囲気を醸し出している。これが坊主と美少女の違いなのかも知れない。


「あ、えっと、その。ラルムです……。十三歳です……。精神魔法を使います……。」


 この世界に来て、この姿の僕よりも小柄な人を見たのは、はじめてかも知れない。それほどまでに少女は小さかった。声のボリュームも体と比例するかのように小さかった。しかし、その小さな体には明らかに大き過ぎるローブを着ており、顔は大きなフードによって、完全に覆い隠されていた。


 では、最後に僕の自己紹介のようだ。


「僕の名前はフィロス、年齢は十歳。精神魔法師です。この中では最年少になりますが、どうかよろしくお願いします」


 最年少どころか、本当は最年長なのだが…。


 一次試験には、あれだけいた人も、最終的に合格したのは、たったの五人だけだったようだ。僕の自己紹介で最後となった。

 

「よし、全員自己紹介は終わったようだな。今年はやけに若い魔法師が多いが、国家魔法師に年齢は関係ない。君達は、その実力を認められて選ばれたのだから。では、さっそくだが、国家魔法師の職務内容について説明する」



 ルナ教官による、職務内容の説明は、一時間近く続いた。要点をまとめるとこうだ。国家魔法師の基本的な職務は、魔法学の研究にあり、その成果をまとめ、国に提出することが中心になるようだ。

 その他にも治安の維持なども職務に含まれるようだ。

 そして、重要なのが、非常時には国の兵士になるということだ。つまり、戦争が起きれば、率先して戦いに参加しなければならない。確かに、魔法が持つ力は大きく、戦争の勝敗は魔法師が決めると言っても過言ではないだろう。

 ノイラートが現国王になってからは、一度も戦争が起きていないらしい。したがって、五十期生以降の国家魔法師は、戦争自体を経験していないらしい。



「さて、今日の座学はここまでだ。今から昼休憩を挟み、その後は、身体魔法師と精神魔法師に分かれて、専門魔法の訓練を行う。では、休憩開始だ」


 ルナ教官の合図で、各々が動きはじめた。


「なぁ、みんな、この施設には、食堂もあることだし、ここは一つ、全員で昼食を食べることにしないか? 七十二期生の同期として、親睦を深めよう」


 七三分けが特徴のサミュエルさんが皆に呼びかけた。


「そいつはいいな! 俺、さっきの教官の話、ほとんどわからんかったから、誰か説明してくれ」


 坊主のニックがあっけらかんとした態度で言った。

 この人は、どうやって筆記試験を乗り越えたのだろうか?


「ニック、お前バカだな〜。さっきの話は要するに、自分の腕を磨いて、国の治安守って、いざって時には戦えって意味だよ」


 相変わらず、リザはストレートな物言いをする。彼女の考え方はいつも、ざっくばらんとしているが、そのどれもが、往々にして的を得ている気がする。


「おぉ! なるほど、つまり頑張りゃいいんだな?」


 ニックが大き過ぎる声で返事をする。声のボリューム調整が壊れていそうだ。


 そんなやり取りを交わしながら、皆で食堂へと向かった。


「すみません、オールウェボスを一つ」


 サミュエルさんが、注文をした。


「僕もそれをお願いします」


 なんだか最近は、こんなやり取りを何度かしている気がするが、今日は秘策があった。リザは味を重視する傾向が強いため、素材や見た目にこだわらないから、同じ注文をするのは危険だ。そしてニックは、おそらく馬鹿なので外そう。小柄なラルムは、フードで顔が隠れており、今一つ、何を考えているかわからないので、外しておく。となると、この中で一番の常識人であろうサミュエルさんと同じ注文をすれば、外れは引かないであろうという考えだ。


 料理が届いて確信した。僕の作戦は完璧であったと。こんがり焼かれた鶏肉の上に、ペースト状のクリームらしきものが塗られており、非常にまろやかで、肉の旨みを引き立てている。


「これは、本当に美味しいね。はじめて食べたよ」


 サミュエルさんありがとう。君のおかげで安心して昼食を食べられる。


「フィロス君の口にあって良かったよ。鶏の焼き加減が最高だね」


 紳士的な優しい笑顔で話しかけてくれるサミュエルさん。


「それに、このペースト状のクリームがいいアクセントになってるよね」


 そんなやり取りをしながらも、フォークの手が止まらない僕。本当に美味い!


「このペーストには、隠し味にゴブリンの睾丸が使われているのさ」


 ん? なに? 隠し味どころか、永遠に隠し続けていて欲しかった単語が聞こえた気がする……。


「えっと、うん、美味しいね……」


 確認をするのは、やめよう。パンドラの匣しかり、ブラックボックスしかり、男子高校生のベッドの下しかり、世の中には知らなくていいこともあるようだ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。ここは大人として、大人しく、ニーチェに従っておこう。


「流石の俺も、ゴブリンの睾丸は食えねーなー」


 リザが笑いながら言った。言ってしまった……。

 サミュエルさんなら間違いないと思ったのだが、ゴブリンの睾丸を食べる、とんだサイコ野郎だった。サミュエルさんのサは、サイコ野郎のサだった……。


「何を言っているのだ、好き嫌いは良くないぞ」


 真面目な表情で、リザに注意をするサミュエルさん。

 好き嫌いとか、そうゆう方向性の問題ではない気がするのだが……。真面目で良い人なのは、わかるが、今後サミュエルさんには要注意だな。


「ごちそうさまでした……」

 

 食べ切ったさ。命は粗末に出来ない。この日ほど、心を揺さぶる、ごちそうさまは、はじめてだった。



「さて、飯も食ったし、移動するかー」


 ニックがマイペースに言った。


「じゃあ、俺たち身体魔法師は外での訓練だから、またな、フィロスにラルム!」


 リザが威勢良く言いながら、サミュエルさんとニックを連れて食堂を出た。


「じゃあ、僕たちも指定された場所に行こうか」


「うん……」


 ラルムが小さな声で返事をした。


 なんだか、不思議な気分である。僕の周りには、強いイメージを持つ女性ばかりがいるせいか、こうした、弱々しい女の子を見ると、自分がしっかりしなくてはと思えた。


 そんな、密かな決意を胸に、午後からの訓練がはじまった。


「やぁ、フィロス君」


 僕たちが部屋に入ると、そこには、いつもの見慣れた笑顔で、長い髭に手をやる、バールさんの姿があった。


「えっと、精神魔法の訓練は、バールさんが担当なんですか?」


「いかにも、ワシがこの合宿での精神魔法の訓練を行うことになった」


 それは良かった。バールさんならば、安心して訓練が行える。


「でも、宮殿でのお仕事はどうするのですか?」


 アンス王女をほったらかしにするのは、あまりに危険だと思うのだが……。


「ワシが仕事の日は、カルバンからエルヴィラが来る予定じゃよ」


 バールさんが、苦々しく言った。

 相変わらず、エルヴィラさんとは、仲が悪いようだ。


「ラルム、こちらは、バールさん。ノイラート王に直々に仕える、とても凄い精神魔法師だよ」


 僕がラルムに、バールさんを紹介すると、バールさんが、優しい顔で話はじめた。


「褒めてくれるのは嬉しいがのぅ、紹介の必要はないんじゃ。何せラルムはワシの弟子じゃからのぅ」


 ラルムからは、そんな素振りがなかったので、正直驚きを隠せない。


「師匠……。訓練に……」


 小さな声で、ラルムがバールさんを師匠と呼んだ。


「そうじゃったのぅ、訓練に移るとしよう」


 そう言って、バールさんが懐からカードの束を取り出す。


「あっ、トランプじゃないですか!」


 この世界には、娯楽が少なく、僕が暇つぶしがてら、宮殿内にある、質の良い紙で作った、トランプの束だった。休憩時間などには、バールさんとアンス王女と僕の三人で遊んでいたりもする。


「トランプって……」


 大きなフードで顔が見えないが、おそらくは、トランプの説明を求めているのだろう。


「ラルム、ワシの目を見なさい」


「え、でも……」


「ワシは大丈夫じゃよ」


 二人の師弟が、意味深なやりとりをしつつ、ラルムがしっかりとバールさんの方を向いた。こちらからでは、フードが邪魔で顔が見えないのが残念だ。


「なるほど、トランプ、面白い……」


 精神魔法で情報を共有したのか、ラルムはトランプのルールを理解したようだ。それにしても、この一瞬で、精神の共有をしたのも凄いが、共有した情報を整理して、自分の知識にするのが、あまりにも早過ぎる。とても優秀なのだろう。流石、バールさんの弟子だ。


「さっそくじゃが、今日はこのトランプを使って、ババ抜きをしようかの」


 活き活きと、楽しそうに、笑うバールさん。


「え、それだけですか?」


「一度でもワシに勝てたら、今日の訓練は終わりじゃよ」


 バールさんのその一言ではじまった、ババ抜きだったが、これが、予想以上の難題だった。バールさんの精神魔法による読みが正確過ぎて、全くと言っていいほどに勝てないのだ。例え、バールさんがババを持っていても、意識の誘導で、ババを引かされてしまう。そして、意外なことに、ラルムがいつも、最後にババを持って終了してしまう。

 先ほどのバールさんとのやりとりを見る限り、ラルムが僕よりも優れた精神魔法を扱うのは明白だったのだが。


「はぁ、はぁ、はぁ、」


 そうして、何ゲームもやっている内に、ラルムの呼吸が、急に乱れた。


「ラルム、無理をするでない。お前には、普通の精神魔法は向いていない。その眼を使うのじゃ」


「いや、でも……」


 ラルムは何かを躊躇しているようだった。


「フィロス君は、賢い子じゃ、絶対にワシが保証する。それに、もし仮に今後、その眼を使うべき時に、その覚悟がなければ、一生後悔することだって、あるやも知れんぞ?」


 重みのある言葉を、優しく言い聞かせるバールさん。


「わかった……」


 そう言って、ラルムはその大きなフードを脱いでみせた。


「……。綺麗だ」


 あまりの神秘性に、一瞬意識が揺らいだ。

 ラルムの髪は鮮やかな水色のショートカットで、それだけでも十分に綺麗なのだが、一番の特徴は、その瞳だろう。数秒ごとに色が変化しているのである。ある時は水色、ある時は黄色。ある時は赤色。そして、それらが混ざりあった、形容しがたい程に、美しい色を見せる瞬間がある。


「あまり、見ないで……」


 ラルムの頬と瞳が同時に桃色に染まり、とても幻想的な表情に見えた。

 

「フィロス君。その瞳は、アリスカラーと呼ばれる現象なんじゃ」


 バールさんが、真面目な表情で言った。


「アリスとは、あのアリスですか?」


「いかにもじゃ。アリス・ステラもこのように、色が変化する瞳をしていたことから、この現象がアリスカラーと呼ばれるようになったのじゃ」


 バールさんの説明が終わると、ラルムの横顔には、悲しみの色がさしている。


 なるほど、事情はなんとなくわかった。この世界の人々が、アリス・ステラを怖れているのであれば、そのアリスと同じ瞳をしている人物も恐怖の対象ということだろう。差別意識のような何かがあるのかも知れない。

 だが、異世界から来た僕にとっては、そんなことは関係がない。僕は素直に感じたことを口に出した。


「色々と複雑な事情はあるのかも知れないですが、こんなにも幻想的で美しい瞳は生まれてはじめて見ました」


 色彩が織り成す変化に、僕の瞳は釘づけだった。

 あまりにも、僕が、ラルムの瞳ばかり見てしまったからだろうか、そっぽを向かれてしまった。


「私の瞳は、災いを呼ぶの……」


 ラルムが小さな声でつぶやくように言った。


「そんなことは、まったくないのじゃが、根拠のないバカな言い伝えがあってのぅ。ラルムはそれを気にしているのじゃ。むしろ、この力には無限の可能性があるのじゃが」


 バールさんが僕にだけ聞こえる声で説明してくれた。


「具体的にはどのような力があるのですか?」


 見た目だけが問題視されているのだろうか。


「相手の意識の表層や、発動前の魔法の種類などを、色によって識別することが出来るようじゃ。それも、見ただけで一瞬に」


 少し、誇らしげに語るバールさん。弟子への愛情を感じる態度だった。


「勝手に流れてくるの……」


 青い瞳で、悲しそうにつぶやくラルム。


「すごいことじゃないか、それは、他の人よりも優れている長所だよ!」


「他の人と違うのは嫌だよ……」


 消え入りそうな声でラルムは言った。


「うーん、でも、少なくとも、悪いことではないと思うけれど」


「勝手に、人の心を読んでしまうのは、褒められたことじゃない……」


 辛そうな表情を浮かべるラルム。


「意識の表層なんて、表情からでも、少しはわかるのだから、ラルムの力は、その延長にあるだけだって、考えられない?」


「実際に意識を読まれた人は怖がる。なぜか、あなたの色は見えにくいけれど……」


 不思議そうな表情を浮かべつつ、緑色の瞳でこちらを見つめるラルム。


 僕の意識が色として、知覚されにくいのは、僕の意識が、地球とイデアを行き来していることに起因するのだろうか?


「僕の考えが見えないなら、僕にとってのラルムは、瞳が綺麗な普通の女の子でしかないよ」


「君にとっては、私は普通なの?」


「そうだよ、しっかりと普通さ」


「そっか、うん……。ありがと」


 とても綺麗な黄色の瞳で、今日はじめての肯定的な意思表示をするラルム。


「よし、じゃあ、まずは、普通な僕と、普通なラルムが協力して、バールさんを倒しますか」


 僕の提案に対して、小さく頷いてくれたラルム。少しだけ分かり合えた気がする。


 そこからは、はやかった。ラルムがバールさんの手札を全て当てるので、ものの数分で、決着がついた。


「いやいや、参ったわい。ワシの負けじゃ」


 そう言いながらも、今日一番の笑顔を見せるバールさん。おそらくは、弟子の成長がとても嬉しいのだろう。バールさんの優しい瞳が全てを物語っている。

 やっぱり、特別な力などなくても、人のことを思い、考える力があれば、大切な人達の考えは自ずとわかるようだった。

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