第17話『パーソナルスペース』

 パーソナルスペースとは、他人に近づかれると嫌な気持ちになる、言わば、自分が決めたテリトリーのようなものだ。別の呼び方では、パーソナルエリアや対人距離とも言われている。



「パーソナルスペースってのは、心の縄張りみたいなものだ。その形や広さは人によって違うけれど、誰にだってある。自分の縄張りを土足で入られるのには誰しも、抵抗があるはずだ」


 岡本教授の声が、講義室に響き渡る。


 現在は、対人関係に関する、心理学の講義を受けている最中だ。


「パーソナルスペースが広い人の特徴としては、集団行動が苦手であったり、一人の時間を大切にしたい人や、自分のペースを崩されたくない人など、内向的な人が多いとされているようだ。君はどうかね?」


 岡本教授が、前列の女子生徒に質問を投げかけた。


「私は、基本的には、パーソナルスペースは広い方だと思います。電車などでは、他人とは離れた席に座りたいですし、エレベーターで他人と一緒になるのも、なんとなく嫌です」


 やや小さな声で、早口に答える女子生徒。


「なるほどね、にとはどういうことだい?」


 岡本教授が更に質問を重ねる。


「親しくなった友人とはたくさんスキンシップをとりたいタイプなんです」


 短く切り揃えられた襟足を触りながら、恥ずかしそうに答える女子生徒。

 

「なるほど、ありがとう。確かに、パーソナルスペースは、相手との信頼関係によっても大きく左右される。心の距離が縮めば、パーソナルスペースも縮まるということだね。では、そこの君、恋人はいるかい?」


 今度は、髪を茶色に染めている男子生徒を当てる教授。


「いますけど……」


 急に当てられて、困惑している様子の茶髪の生徒。


「では、質問だ、自分の彼女と手を繋ぐのに抵抗はあるかい?」


 唐突な質問を投げかける岡本教授。


「いえ、もちろんないですよ」


 素直に答える茶髪の生徒。


「では、初対面の人ならどうだい?」


「流石に抵抗はありますけど、可愛い子なら、ラッキーですね」


 あまりに素直な茶髪だった。


「なるほど、パーソナルスペースは、初対面の相手でも縮まることがあるようだね、私も勉強になったよ。では、彼のガールフレンドを知っている生徒は、しっかりと今の発言を報告するように」


 岡本教授の発言に何人かの生徒が勢いよく返事をしていた。おそらく、今日中につげ口されることは決まったようだ。なんだか、晴れやかな気分である。


「一般的には、男性よりも女性の方がパーソナルスペースは狭いとされている」


 ゆっくりと説明を続ける教授。


 確かに、仲の良い女友達同士が至近距離で、きゃっきゃ、うふふと写真を撮ったりする光景はよく見るな。あれが男同士ならば、阿鼻叫喚の地獄絵図だ……。


「その他にも、国によっても傾向が違うことから、育った環境が、パーソナルスペースの広さに深く関わってくるとも言われている」


 岡本教授が、よく通る声で説明している。


 僕の知っている異世界人の多くは皆、パーソナルスペースが狭い人ばかりな気がする。アンス王女もバールさんも、最初から割と近い感じで接してくれた印象がある。リザに関しては、言わずもがなだ。あれは近いというよりは、ゼロ距離だ。女性のパーソナルスペースが狭いということを差し引いても近過ぎるだろう。


 そう考えると、イデアの世界で育った人は、パーソナルスペースが狭くなる傾向があるのだろうか? 確かに、育った国どころの話ではない。世界そのものが違うのだから。


 これからは、人を見る時には、新たな視点が入ってきそうだ。


「これから君達は、様々な場面で、パーソナルスペースの重要性を実感するだろう。友人関係や恋人はもちろん、仕事などもそうだろう。我々が世の中を上手く生きるには、パーソナルスペースを深く理解し、尊重し合うことが重要だ」


 そういって教授は、講義のまとめに取りかかった。


 この講義を受けてぼんやりと思い浮かんだことがある。精神魔法を上手く利用すれば、他者のパーソナルスペースをはっきりと感じることが出来るのではないかと。そうすれば、今まで不確定だったこの分野が、劇的に変わるのではないかと。それに、パーソナルスペースの把握は、相手の虚をつくことや、その他にも、同意を得たい時などにも役に立ちそうだ。


 こんな思考が頭の中を駆け巡っていたら、今日のまとめを聞き忘れてしまった……。


 今日の講義は心理学部の生徒ばかりで、僕の知り合いはほとんどいない。


 まず僕は、知り合いではない人にも、ノートを貸してくれるような、パーソナルスペースが狭い人を探す必要があるようだった。

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