第13話『迷宮区ラーウス』

 『迷宮区』この三文字は、いかにも異世界らしい響きがする。


 イデアという世界に意識が生まれて、それなりの月日が経つ僕であったが、地道な魔法の鍛錬はしているものの、魔物との戦いや、未知の冒険といった、いわゆる異世界をイメージする際の代表的なイベントとは、一切縁のない生活を送っていた。


 しかし、そんな僕にもついに、そんなイベントが舞い込んできた。


 それは、ノイラート王国の東に属する、『ラーウス』と呼ばれる迷宮区の探索だった。


 探索とはいっても、『ラーウス』は様々な魔法師によって調べつくされた、それほど危険な場所ではないらしい。


 一応、国の方針として、定期的な視察が必要とのことで、バールさんが依頼されたようだが、その任務に僕も付き添うこととなった。そして、僕が行くことが決まると、アンス王女が、私も絶対に行く! と言いはじめたので、結局は三人で行く運びとなった。


 迷宮区の探索は魔法師の仕事の一つでもあり、国家魔法師になる為には、必要な経験だという。


 そして現在、僕達はその迷宮区の入り口付近まで来ていた。


「フィロス君、今から迷宮区に入るわけだが、その前に注意事項があるのじゃ」


 バールさんが真剣な表情で静かに言った。


「はい」


「迷宮区内では、アンス王女とワシから離れ過ぎないようにしてくれ」


 注意深く説明をするバールさん。


「この迷宮区には、私も何度も潜っているけれど、一応は魔物も出るから注意が必要ね、まぁ、私がいれば、フィロスには指一本触れさせないわ」


 十二歳の少女としては、あまりにも頼もし過ぎる発言であった。


「まぁ、魔大陸から流れてきた魔物とはいえ、低級な魔物しか出ないのは確認ずみじゃ、それでも、備えるにこしたことはないからのぅ」


 備えあれば憂いなしと言った所だろう。


「はい、よろしくお願いします」


「では、行こうかのぅ」


 バールさんの掛け声を合図に、迷宮区への入り口の階段を下りはじめる僕ら。



 迷宮区内は昼間だというのに、薄暗い。地下にあるのだから、当たり前といえば、当たり前なのだろう。灯りといえば、壁に等間隔に取りつけられた、ランタンの灯りだけだ。


 石造りの床を一歩踏みしめるごとに、足裏に確かな感触が伝わってくる。


 探索を開始して十五分が立つ頃合いだろうか? 僕は生まれてはじめて、魔物と対峙することとなった。


「あ、これは、スケルトンですね? 生物図鑑で見ました」


 人体の骨格模型のような、骨だけの姿の魔物が、コツコツと音を立てながら、こちらにやってくる。


「そうじゃ、迷宮区で亡くなった人の骨に、精神魔法の研究の余波で、不安定な魂が定着されたとされておる。倒し方は知っているかのぅ?」


 バールさんが落ち着いた声で説明してくれる。


「えぇ、図鑑で読みました。確か、魂の定着が非常に不安定なので、精神魔法でゆさぶり、魂の繋がりを断ち切るのですよね?」


 図鑑によれば、あくまで、精神魔法の余波で偶然定着している、とても繋がりの弱い魂だと書いていたはず。


 精神魔法は神経に干渉する仕組みだが、この骨のどこに神経が通っているのだろうか?


「あの、神経が通っているようには見えないのですが、精神魔法は効くんですよね?」


 ふとした疑問が口から出た。


「その辺の説明は後じゃ、とにかく今は、目の前の敵が先決じゃ」


 骨の魔物が左右に不安定に揺れながら、こちらに近づいてきていた。


 対象の精神を乱すイメージ、意識を同調する。器の中の水を移し替え、その移した水を乱すイメージを作り上げる。


「トレース!」


 イメージの完成とともに精神魔法が発動した。


 数秒後、意外にもあっけなく、スケルトンの魂がぷっつりと切れた感覚が伝わってきた。それと同時に、先ほどまで動いていた骨の魔物は、バラバラとなり、床に崩れ落ちた。物理的にふれたわけではないが、それゆえに、命を奪った感覚が僕の脳にしっかりと伝わってくる……。


「フィロス? 大丈夫?」


 不安そうな顔で、こちらを気づかう王女。


「精神魔法による、フィードバックがおきたのじゃな、最初のうちは反動もあるからのぅ。しかし、最初の実戦でここまで落ち着いて魔法を使いこなすとは、流石の一言じゃ」


 感心した様子のバールさんが頷きながら声をかけてくれた。


「先ほどの、スケルトンの神経についての話が聞きたいのですが?」


 一体どういう仕組みなのだろうか?

 

「アリス・ステラの文献によれば、アリスはすでに、生物の神経を肉体以外の仕組みで再現することに成功していたようじゃ、そして、その研究の過程で、あのような魔物が誕生したと言われておる……」


 つまり、本当の事実は、アリス本人だけが知っているわけだ……。


「まぁ、今はひとまず、フィロスの初陣の成果を喜ぶべきだわ!」


 どこまでも真っ直ぐに、力強く、アンス王女が言った。



 その後、一時間近く探索を続け、三体目のスケルトンを討伐した頃、新たな魔物と遭遇した。


「あれは、ゴブリンですね!」


 図鑑に描かれていた、小鬼のような姿の生物が、こちら側に迫ってきている。


「ゴブリンはスケルトンと違い、ある程度の知性があるからのぅ、先ほどよりは、精神魔法が効きにくい。フィロス君は動きを止めることだけに専念して欲しい」


 バールさんの言う通りに、相手の動きを止めるイメージを膨らませる。


「トレース!」


 神経への干渉に成功したようだ。ゴブリンの動きが一瞬止まる。そして、その一瞬を見逃す王女ではなかった。アンス王女の身体が急激に加速し、瞬く間に、ゴブリンの首がはねられた。


「フィロス、ナイスアシストね!」


 何事も無かったかのように、剣先の血を払い、腰の鞘に剣を収めるアンス王女。


「あ、ありがとうございます」


 十二歳の少女が、こともなげに剣を扱い、命のやり取りをしている姿に、僕は複雑な心境になっていた。


「戦闘を重ねるごとに、精神魔法の扱いがスムーズになっておる、かなり飲み込みがはやいのぅ」


 感心した様子でバールさんが頷いている。


 確かに、戦闘をこなし、敵を倒すたびに、少しずつではあるが、精神魔法の精度が上がっている気がする。そして、僕の中の、魔物の命を奪うことへのハードルは下がっているように思える……。そのことが何だか、怖ろしくも感じる。


 その後も、探索を続けていると、いくつもの足音がこちらに近づいてきた。


「ゴブリンが五体ほど近づいてきておるのぅ、先ほどのゴブリンの弔い合戦かの?」


 バールさんがそう言った直後、曲がり角から複数のゴブリンが顔を出した。


「ちっとばかり、数が多いのぅ、ワシがやろう」


 そう言って、バールさんがゴブリンの集団を視界にとらえ、短く何かを唱えた。その瞬間、ゴブリン達は、手に持つ短めの棍棒で、互いに互いを殴りはじめ、あっという間に自滅しあった。


「五体もの相手に同時に精神魔法を使ったのですか?」


 複数の相手に同時に精神魔法をかけるなど、今の僕には想像がつかない。


「いや、ゴブリン一体一体の精神に個別に干渉したわけではなく、大まかに、空間を捉えて、そこに相手が錯乱するような精神魔法を広くかけるイメージじゃのぅ」

 

「なるほど……」


 バールさんは気軽に言っているが、おそらくは、かなり高度な技術なのだろう。言っていることは何と無くわかるが、イメージは共有出来ていない。


「夜になると、魔物も今より、活発になりおる、今日はここらでお開きとするかのぅ」


 バールさんの一言をきっかけに、僕の初めての迷宮区探索は終了した。

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