第12話『王女との出会い』
あれは、一ヶ月前のことにも思えるし、半年や一年前のことにも感じる。イデアと地球に流れる、『時間』という概念が違う以上、明確なことは言えないが、ただ一つだけ、確かなことがある。
今から語るこの物語は、僕と一人の王女が出会った日の記憶だ。
* * *
大学の課題をやっていたはずが、いつの間にやら、居眠りをしてしまったようだ。意識が目覚めかけ、ぼやけた視界が徐々にクリアになってきた。
壁一面の本棚に所狭しと並んでいる本からして、ここが図書館なのは間違いないはずだ。しかし、大学の図書館にこんなスペースがあっただろうか? 先ほどまでの、課題をやっていたスペースとは明らかに雰囲気が違う。
「そこにいるのは誰だ!」
見知らぬ男性の声が扉越しにこちらを詰問してくる。
ここは学生立ち入り禁止の場所なのだろうか? だとすれば、はやく誤解を解かねば。
「す、すみません、学生が立ち入り禁止の場所だったとは知らずに……」
相手のあまりの剣幕に動揺をあらわにする僕。
「何をわけのわからないことを言っている、両手をあげて、ゆっくりと部屋から出てこい!」
およそ、大学という場所では考えられない程の緊迫感で捲し立てられた僕は、わけも分からないまま、とにかく要求通りに部屋から出た。
その先に見えたものは、見たこともないほどに美しく装飾された一面、大理石の廊下であった。ここで一つ、はっきりとしたことがある。この場所は少なくとも大学ではないと言うことだ。大学の廊下の壁には、こんな立派な肖像画達は並んでいない。では、ここはどこなのだ? 何もかもが突然過ぎて、状況を上手く飲み込めない……。
「随分と若いが、他国の少年兵か?」
彫りの深い外国人と思われる男性に話かけられた。
「えっと、その、兵士ではありません……」
兵士かどうかを聞かれたのなど、生まれてこの方、初めての体験だ。それに少年? 僕がそんな歳に見えるのだろうか。
「十歳そこそこの子どもがノイラート王の宮殿に侵入するなど前代未聞だ、どうするべきか……」
額にシワを寄せながら、何やら考え事をする男性。
十歳そこそこの子どもとは、僕のことか? からかわれているのだろうか? しかし、話のトーンは真剣そのものだ。よく、外国人からみて、日本人は若く見られがちだが、流石にその範疇を超えているだろう。それに、ノイラートなんて国は知らない。侵入? 随分と物騒なワードだな。一体全体どうなっているのだろう。
「状況がよくわからないのですが……」
ありのままの言葉が口をついて出た。
「しらをきるようなら命はないぞ?」
外国人らしき男が、訝しげにこちらをにらむ。
「ほ、本当によくわからなくて……」
寝起きな上に、わけのわからない状況で、上手く頭が回らないでいた。
「嘘はついていないようだな、精神に嘘の兆候がない……。とりあえず、私と一緒についてきて貰おうか」
「はい……」
他の返事が許される状況ではなかった。
「国王様、不審人物を捕らえましたので、報告にまいりました」
僕は丈夫な縄で両腕を縛られ、巨大な扉の前まで連れてこられていた。
「よし、ウォールよ、入るがよい」
何者かの声とともに扉が大きく開いた。
扉の向こうには、現実感のない光景が広がっていた。床一面に赤い絨毯が敷き詰められ、広すぎる部屋の中央には階段があり、その一番上には、金細工が施されている明らかに高そうなイスが一つ。そしてその上には、顔よりもでかい王冠をかぶった男が座っている。
「国王様、この者が、宮殿内の書庫に侵入しておりましたので、連れてまいりました」
僕を連行した男が、国王らしき人物に報告をした。
「なるほど、でかしたぞウォールよ。そこの少年よ、名はなんと申す?」
この部屋の最上段に座る、国王らしき人物が言った。
「は、はい、私は……」
あ、あれ? おかしい、口が……
「どうした、名はなんと申す?」
国王が疑わしい目つきでこちらをにらむ。
「私の名前は……」
どういうことなのか、新谷哲也と口に出そうとすると、軽い目眩がして、おまけに口が開かなくなるのだ……。
「言えない事情でもあるのか!」
ウォールと呼ばれていた、中年の男性が怒鳴った。
このままでは、やばい、はやく何か言わなければ……。
「私は、フィロスという者です!」
なぜその名が口を出たのかはわからないが、頭の中にフィロスという文字が突然浮かび上がったのだ。
「フィロスというのだな? 出身国はどこだ?」
国王が問いかける。
「出身は……」
またさっきと同じ現象だ。日本と答えようとすると、目眩とともに口が開かなくなった。
「出身は、北方の辺境の地です……」
頭に浮かぶ言葉をそのまま口にした。
「北といえば、ヒステリカ大陸か?」
国王が訝しげに、こちらを見ている。
「はい」
背中の冷や汗がとまらず、動悸も明らかに乱れているが、とりあえず、話を合わせることにした。
「ウォールよ、この者は本当のことを言っているか?」
国王が従者に問いかける。
「えぇ、精神状態が複雑になっていますが、おそらくは嘘をついていないようです」
先ほどから、僕の発言の真偽をウォールという男に確認しているが、どのような手段を用いているのだろうか? 特に何かされた覚えはないが……。それに、頭に浮かんでくる赤色の文字に従い、名前や出身地を偽っているが、一向にバレる様子もない。
「ヒステリカ大陸の者がなぜ、我が宮殿に忍び込んだのだ!」
国王が声を張り上げた。
「この場所とはまったく別の場所で眠りについたはずなのですが、意識が目覚めた時には先ほどの書庫にいたのです……」
ありのままに起きた現象を説明した。
「ほう、お主は寝てる間に、ヒステリカ大陸からノイラート王国まで海を渡って辿り着いたと?」
馬鹿にするような調子で笑う国王。
「わかりません……」
僕自身、訳がわからないのだ……。
「王よ、その少年はひょっとすると、高度な精神魔法によって、一部の記憶が消されているのかも知れませぬ」
ウォールと呼ばれる男が、神妙な面持ちで言った。
魔法? 何かの隠語だろうか、それとも何かの聞き間違いだろうか、急な展開で思考が追いつかない。
「なるほど、その少年も被害者ということか?」
国王がウォールに問いかける。
「えぇ、ですが、得体の知れないことに変わりはありません……」
複雑な表情を浮かべるウォール。
「だが、殺すのも忍びないしな……」
国王の口から、殺すという言葉が出てきた。
殺すという単語が会話から出てくるとは思わず、事態の深刻度が背中の汗とともに、急速に伝わってきた。
「地下に幽閉するのはどうでしょうか?」
恐る恐る、国王に提案をするウォール。
「うーむ……」
ウォールの提案に頭を悩ませる王。
王の周りに控える、配下と思われる人達も、どうしたものかと思案顔だ。
長考による長い沈黙が続く中、その静寂を破ったのは、一人の少女の言葉だった。
「情けないわね! 皆は一体何に怯えているの? 十歳そこそこの子どもに対してあまりにも構え過ぎよ」
王の隣にいた少女が、力強く言った。
「し、しかしアンス王女、十歳程度とはいえ、宮殿内に侵入した事は紛れも無い事実です」
「ウォール、一旦静かにして」
「はい、出過ぎた真似を……」
アンス王女と呼ばれた少女の発言が、この場を急速に支配していくのが、伝わってくる。
「お前、フィロスと言ったわね?」
金色の流れるような髪をかきあげて、僕に問いかける王女。
「は、はい」
「いい名前ね、それでフィロスは当然、死にたくはないのよね?」
王女がこちらを試すように、わかりきった質問を投げかけてくる。
「は、はい! 命さえお救いいただければ、私は何だっていたします! どうか、命だけは!」
訳のわからない状況だが、訳のわからない内に死ぬのだけは避けねばならない。文字通り必死の命乞いだった。
「その言葉に嘘偽りはないわね?」
王女の大きく綺麗な瞳が、真っ直ぐにこちらを見ている。
「はい、ありません」
「よし、何でもやると言ったわね、ならば、私の従者になりなさい!」
長く美しい金色の髪をかきあげて、王女は力強く言った。
「お、王女さま! そ、それは」
ウォールと呼ばれる男が、慌てた様子で異論を唱えた。
「私なら、寝首をかかれる心配もないし、不穏な動きがあれば、私自らが始末できるわよ、何も問題ないじゃない? いいわよね、お父様?」
王女の翡翠色の瞳から放たれる視線が、国王を威圧している。
「えっと、しかし、うーむ」
急に話題を振られ、慌てた様子の国王。
「いいわよね?」
強い口調で迫る王女。
「そ、そうか、では、精神魔法師の厳重な取り調べの後ならば良いだろう……」
娘に押し切られる形で、国王が結論を出した。
「決まりね。ではフィロス、あなたには何か得意なことはあるかしら? 出来ることが知りたいわ」
「哲学ならば、人よりも少し知識があります」
「てつがく? 聞いたことのない言葉ね、その、てつがくとやらは何なのかしら?」
哲学を聞いたことがない? いや、これは、僕が試されているのだろうか……。
「哲学とは、知を愛する者達が、己の人生全てをかけ、世界の根源や原理を理性によって求める学問です」
「世界の根源とは、随分と大きく出たわね! そんな学問をあなたは、この私に教えられるというのね?」
好奇心が溢れんばかりの瞳で、王女が言った。
「教えるというよりも、人生を通して、一緒に学んでいくという形になるかも知れません」
「なるほど、いいわね! 気に入った! 今日からあなたは、私に、
そう言って、優しくも力強く微笑む王女。
窓から差し込む陽の光が、王女の艶やかな髪に反射して煌めく。それはまるで、一枚の絵画のようであり、思わず僕は息を飲んだ。
* * *
数時間後……。よくわからない部屋で、取り調べと称した多くの質問を受けたのち、アンス王女に呼びだされ、今は、王女を待っている状態だ。
「よし、入っていいわよ!」
王女の合図が聞こえた。
「し、失礼します」
恐る恐る、部屋のドアを開ける。
部屋の中には、王女の姿があり、真っ直ぐにこちらを見つめている。
「今日から、あなたは、私の従者になるわけだから、変な格好はさせられないわ、だからこれを着なさい」
そう言って、王女が、僕に一着の服を渡してくれた。
「ローブですか?」
「えぇ、そのローブは、私の使いである証明にもなるわ」
「綺麗な緑ですね」
まるで、王女の瞳の色に合わせたかのような、美しい翡翠色のローブだ。
「ほら、合わせてみなさいよ、そこに姿見があるでしょ?」
「あ、はい、失礼します」
そう言って、姿見の前に立つ僕。そこにうつるのは、当然、緑のローブを着た僕……。あれ? 誰だこいつ?
そこには、見たこともない、十歳近くの西洋人らしき子どもの姿がうつっていた。髪の色が銀色で、なんだか現実感のない色だ……。今日一日で多くのことがあり過ぎて脳の処理が追いつかない。頼む、どうかこれは夢であってくれ。そんな思考とともに、考えることを放棄した……。
* * *
そしてその日の夜、宮殿内に与えられた、やけに豪奢な部屋で眠りにつくと、次の瞬間には、居眠りをしてしまった大学の図書館で目が覚め、さっきのことは全てが夢だったのだと安心したのを覚えている。しかし、再び日本の自宅で眠りにつくと、今度は、こちらの宮殿で目覚めることになった……。
そして気がつくのである。これは普通の夢などではない。交互に繰り返される連続した夢だと。いや、違うな、交互に繰り返される連続した現実というべきか。
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