第9話『アリス・ステラ』

 ノイラート王国での僕の生活スタイルは、アンス王女への授業をする、バールさんの授業を受ける、宮殿内の書庫でイデアの文化や魔法学についての本を読みふけるの、三パターンである。


 そして現在の僕はというと、イデアの生物達が綺麗な絵で描かれている、児童向けの生物図鑑を読んでいた。


 その図鑑には、ゴブリンやドラゴンなど、地球上には存在しない生物達がずらりと並んでいる。そして、それぞれの生物が辿った進化の過程などが描かれている。


 この図鑑を読むまで、僕はてっきり、魔法というものは、人間にのみ適応するものだと考えていた。


 イデアにおける生物には、魔法の影響を強く受けて突然変異を起こした種が存在するらしい。


 この図鑑によれば、イデアという世界は、発達し過ぎた魔法学の力により、一度、文明そのものが滅びたのだという。今僕が知覚しているこのイデアは、その文明が滅びた後に再建された文明のようだ。そして、ゴブリンやドラゴンなどの生物は、文明崩壊以前の魔法学の発展途中で人為的に生み出され、文明崩壊後の今でも、魔法生物達は種を残している。いわば生きた化石のようなものだ。


 僕が生物図鑑を食い入るように見つめていると、書庫の扉がノックされた。


「はーい」


 ノックの主は大体検討がついているので、気軽に返事をした。


「おぅ、今日もここにいたのかのぅ、勉強熱心じゃな」


 バールさんが扉から顔をのぞかせていた。


「えぇ、この生物図鑑を見ていました」

 

 そう言って僕は、図鑑をバールさんの方に向ける。


「ほぅ、この本はまさにフィロス君のような年齢に向けて書かれているものだが、君が手にしていると、なんだか違和感を覚えるのぅ?」


 長く蓄えられたヒゲを触りながら、バールさんが言った。


「とても興味深い内容です!」

 

 この図鑑は本当によく出来ていると思う。


「確かにとても面白い図鑑じゃな、作者名を見てくれんかの?」


 にやにやしながら、こちらを見つめるバールさん。


「バール・シェム? あれ! この図鑑ってバールさんが書いていたんですか⁉︎」


「知らずに読んでいたのかい?」


 口角を上げ、とても愉快そうに笑うバールさん。


「この生物達の絵もバールさんが書いたのですか?」


「いかにも、全てワシの手書きじゃとも」


「とても綺麗な絵を描くのですね」


「国家魔法師になっていなければ、絵描きになりたかったのぅ」


 そういって、無邪気に笑うバールさん。


「あの、いくつか質問よろしいでしょうか?」


「もちろんじゃとも」


「このイデアと呼ばれる世界は、一度文明が滅びた後に出来上がった文明というのは本当なのですか?」

 

 これは、この世界の根幹に関わる重要な問題だ。


「あぁ、本当じゃよ」


 当たり前の事実確認をするように、すんなりとバールさんは答えた。


「では、なぜこんなにも重要なことが、他の本達では語られていないのですか?」


 当然の疑問を口にする僕。


「ふむ、長くなるがよいかの?」


 落ち着いたトーンで問いかけるバールさん。


「はい、お願いします」


「文明が崩壊する以前の、ある女性魔法師についての話じゃ。その者の名前は『アリス・ステラ』という。一説によれば、世界で最初の魔法師とも言われておる。今の常識では考えられんことじゃが、アリスは身体魔法と精神魔法の両方を自在に操ることが出来たそうじゃ。アリスはその卓越した魔法学の才能で全てを手に入れたという。そう永遠の命までも。身体魔法による肉体の若返りと、精神魔法による、意識や思考の移し替えすらも可能としていた、彼女にとっては、永遠の命を手にするのは、別段難しいことでも無かったじゃろうな」


 永遠の命……。


「あの、意識や思考の移し替えというのは?」


 話の規模が大きく、想像がしにくい……。


「わかりやすく言えば、魂を他の肉体に移し替えることが出来たのじゃ」


 嫌悪感が見え隠れする表情でバールさんは言った。


「……」


 それは、つまり……


「アリスは何百年と自身の肉体を身体魔法で保ち続け、脳のメモリの限界が来れば、精神魔法で他者の脳に自身の記憶のバックアップをとり、自身の記憶にも精神魔法をかけ、その時点で必要とする記憶だけを残して、記憶の整理を行なったという」


「精神魔法は他者にしか使えないのでは?」


 魔法学に関する文献には、精神魔法は自分自身に使用することは不可能と書いていたはずだ……。


「その説明は最後になりそうじゃの」


「失礼しました、話を続けて下さい」


「そうして、何百年と生き続けたアリスは、あることに気づく。わざわざ他者でバックアップなどを取らずとも、全員の精神を統一してしまえばいいのだと。そう考えたアリスは、他者に対して、片っ端から精神魔法をかけ、自身の精神と他者の精神を繋いでいった。しかし、ここにアリスの誤算があった。他者の思考は、アリスに比べて、完璧とはほど遠いものであった。足し算のようにはいかなかったのだ。アリス・ステラという人物は一人であったからこそ、完璧でいられた。そこに他者という不純物をいれてしまったが為に彼女のシステムは崩壊してしまったのじゃ」


 複雑な表情を浮かべながら、バールさんは語った。


「つまり、文明が滅びたというよりも、彼女一人が作り上げた至高のシステムが彼女一人の崩壊により消え去ったということですか?」


 アリス・ステラという人物そのものが、文明になっていたというのか……。


「そういうことじゃの。そして先ほどの質問じゃが、精神魔法は他者にしか使えないというのは、アリス・ステラのような者を魔法学において生み出さないために生まれたシステムだと、ワシは考えておる。一人の人間が身体魔法と精神魔法のどちらかしか使えないのも同じ理由じゃ」


「では、一体、誰がそのようなシステムを作り上げたのですか?」


「それもまた、『アリス・ステラ』が構築したとワシは考えておる」


 バールさんが慎重に語り進める。


「どういうことでしょうか?」


「アリスは、自身の失敗から学び、次に魔法学が一定の水準まで進化した時、また同じことを繰り返さないようにと、最後の力で、そのシステムだけを残して消えたのではないかと、ワシは考えておる」


「僕には、単純に、自身に匹敵する何者かが現れないようにと、安全装置のようなものを取り付けたように思えます」


「ほぅ、それは面白い考えじゃのう」


 興味深そうに、バールさんが頷く。


「経緯についてはわかりましたが、なぜ、このような考えが書かれた本が他にないのでしょうか?」


 こんな重要な情報が、なぜ出回っていないのか、そんな疑問からくる質問だった。


「それはのぅ、人々が皆一様に、アリス・ステラを怖れているからじゃよ。皆この件に関しては考えたくはないのじゃろうな。少なくともこの国では、この類の本を出すこと自体が禁止されているからのぅ」


 人は皆、自身の考えで推し量れないことに恐れを抱くのだろうか。


「ではこの図鑑はなぜ?」


「それはワシの趣味で書いたものでのぅ、こっそりとここの書庫にしまっておいたのじゃよ。どうせここの書庫にくる人など、ワシとフィロス君ぐらいじゃからのう」


「なるほど、では、アリス・ステラについての文献を探すのは不可能なのですか?」


 僕には、彼女の情報を知る必要がある。


「方法はあるにはある。じゃが、かなりの危険が付きまとう。そうまでして、調べる必要があるのかのぅ?」


「アリスの精神魔法について知りたいことがありまして」


 精神魔法によって意識や思考の移し替えが可能となると、現在の僕の状況についても、説明がつくかも知れないのだ。どんな些細な手掛かりでも欲しいところだ。


「ふむ、興味本位ではないと?」


 試すようにこちらを見るバールさん。


「何でしたら、僕の精神に干渉してみてください」


 なりふり構っていられる場合ではなかった。


「いやいや、ふざけていないのは、その目を見れば十分じゃよ」


 真剣な面持ちでバールさんが答えた。


「危険が付きまとうとは、どういうことなのですか?」


「アリス・ステラという人物について知るには一番の近道があるのじゃよ」


 バールさんの声のトーンが下がった。


「近道ですか?」


「アリスが魔法学を研究していた魔大陸に行くのが一番はやい。しかし、そこの生態系にはアリスの研究が色濃く残っており、凶暴な魔法生物が生息しておる」


「なるほど、その生物達が厄介だと?」


「まぁ、わかりやすい所では、そんな所じゃのう。今のフィロス君では三日生き抜くのも厳しいじゃろうな」


 髭を整えながら、複雑な表情を見せるバールさん。


「なるほど、一定の知識と力が必要なわけですね」


「その通りじゃ、まぁどちらにせよ、知識も力も正しく成長させることは良いことじゃよ」


 バールさんの声のトーンが戻った。


「はい、これからもご指導よろしくお願いします」


「最後に忠告しておくべきことがある。わかってはおると思うが、アリス・ステラという名前を不用意に口に出してはいけないということと、魔大陸に行きたいと考えていることは、口外しない方がよかろう」


 いつになく真剣な表情を見せるバールさん。


「アンス王女にもですか?」


「もちろんじゃ、いつになるかはわからんが、伝えるとしても、知識と力が十分に整い、その上で出発する前がよかろう。今話したところで止められるだけじゃ、それに、多大な心配をかけることになる」


「そうですね、心配はかけたくないですし、人に心配されるレベルでは、そもそもあちらでは生き残れないということですね」


 日々の鍛錬を重ねなければ。


「急ぎ過ぎないように進んでいこうかの」


 僕の危うい、前のめりさを感じとったのか、優しくも含みのある笑顔でバールさんが言った。

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