第10話『魔法学の実戦』

 ノイラートでの生活サイクルに、一つ大きなルーティーンが加わった。それは、学んだ魔法学の知識を実践に移すことだ。実践というよりも、実戦と呼べるかも知れない。



「おはよう、フィロス君!」


 朝一番から、元気な声のバールさん。


「おはようございます、バールさん」


 早朝の魔法訓練場に、バールさんと僕の声が響く。


「精神魔法の基礎に関しては、ある程度予習済みかの?」


「はい、書庫にある基礎的な精神魔法に関する本は、一通り目を通しました」


「ほぅ、勉強熱心じゃな」


「あとは、カルバンの古書店で購入した本も少しずつ読んでいます」


「エルヴィラのババァから買ったのかい?」


 苦虫を潰したような顔でバールさんが言う。


「えぇ、まぁ」


 バールさんがこんな口調になるのは初めてのことで、動揺を隠せない僕であった。


「あいつはロクでもねぇババァじゃからな、気をつけなければいけないぞ」


 一体、バールさんとエルヴィラさんの間に何があったのだろう……。


「そ、それより、今日の授業は何をするのでしょうか?」


 一刻でもはやく話題を変えなければと、話題を本題へと移す。


「今日は、身体魔法師が相手になった場合の立ち回りについてやっていこうかの」


 いつもの気軽な調子で、さり気なく難しいことを言うバールさん。


「対面勝負で精神魔法師が身体魔法師に勝ち目があるのですか?」


「それは場所と状況にもよるのぅ、しかし今日は、勝ち負けうんぬんよりも、実戦の感覚に慣れることが大事じゃ、フィロス君の目的の為にもな」


 そう言って、バールさんがアイコンタクトを送ってくる。


「なるほど、わかりました」


 今の僕には、実力の向上が急務であった。


「では、入ってきて下さい」


 バールさんが訓練場の入り口に向かって叫んだ。


「まったく、いつまで待たせる気よ」


 いつもの優雅なドレス姿ではなく、機能性の高そうなボトムス姿のアンス王女が現れた。


「いやいや、ワシは最初から一緒にはじめようと言ったのに、アンス王女が、どうしても、先生っぽく登場したいと言うから、わざわざ途中で呼んだわけなんじゃが」


「ちょっと! バール! それはフィロスには言わないでって言ったわよね!」


 今日も順調に顔が真っ赤な王女である。


「そうじゃったかのぅ? 年寄りなもので、物忘れが激しいのじゃよ」


「よく言うわね、昔の女は忘れないのに」


 これは痛烈な一言……。


「さて、授業に戻ろうかの」


 珍しく、アンス王女の反撃が決まった瞬間である。


「今日は、私がフィロスの相手を務めるわ」


 自信に満ち溢れた表情のアンス王女。


「よろしくお願いします」


「では、今日は二人に尻尾とりをやってもらうぞ」


「え? 尻尾とりですか?」

 

 実戦というのだから、もう少しハードな課題をイメージしていた。いや、もしかすると、日本における尻尾とりと、ノイラートにおける尻尾とりは、まったくの別物の可能性がある。


「そうじゃ、お互いがこの細縄をズボンの後ろに入れて、その縄を奪い合うゲームじゃ」


「なるほど、その遊びなら知っています」


「ただの遊びだと思っていたら、痛い目を見るわよ?」


 アンス王女が挑発的に言った。


「魔法学を学びはじめたばかりのフィロス君が、国家魔法師であるアンス王女にハンデなしで競うには無理があるのでな、少しばかりルールを決めようかの」


「あの、話の腰を折るようで、すみません、度々気にはなっていたのですが、国家魔法師とはどのような職なのですか?」


 なんとなくの予想はつくのだが。


「そうじゃの、国家魔法師とは、読んで字のごとく、国が公認している魔法師じゃの。国家魔法師になる為には、魔法学に関する様々な試験を突破する必要があるのじゃ。知識と実技の両方が求められるため、中々に難関と言ってよいじゃろう」


「国家魔法師には、どの様なメリットが?」


 次々に疑問が出てくる。


「安定した地位が保証される。それに加えて、国から定期的に魔法学の研究費用として、お金が貰える。あとは、重要施設への出入りがしやすくなるのと、魔大陸への調査が許されるのぅ」


 君には必須じゃろ? と視線で合図を送ってくるバールさん。


「まぁ、魔大陸の調査に関しては、国家魔法師になって更に様々な実績を上げる必要があるけれどね、まぁ、好きこのんで行く場所でもないわね」

 

 アンス王女が複雑な表情で言った。



 僕のこの世界での当面の目標は、アリス・ステラの情報を集めるため、魔大陸に行くことだが、その為にはこの国で国家魔法師になる必要があるようだ。


「国家魔法師に興味が出たかの?」


 分かりきった質問をあえて投げかけるバールさん。


「はい、とても」


「では、その為にも、話を戻すぞぃ」


「お願いします」


「まず、フィロス君にはこの、赤、青、黄色の細縄を一本ずつ、後ろにつけて貰う、そしてアンス王女にはこの赤色の縄を一つつけて貰う」


「僕は三本なんですね」


「フィロス君の勝利条件は、シンプルにアンス王女の赤縄を一本引き抜くだけじゃ、そしてアンス王女の勝利条件は、赤、青、黄色の順番で、フィロス君の縄を引き抜くことじゃ。この順番が違ったり、まとめて引き抜いてしまっても負けじゃ」


「なるほど、わかったわ」


 王女の視線から自信が伝わってくる。


「では、はじめるかの、二人とも距離をとるのじゃ……。よし、はじめ!」


「よし、まずは精神魔法で動きを止めて………」


 僕が思考を開始した時にはすでに、視界からアンス王女が消えており、再び姿を現した時には、その右手に三色の縄が握られていた……。


「アンス王女の勝ちじゃな」


 バールさんが、アンス王女の勝利を告げる。


「えっと、その、何が起きたのですか?」


 あまりにも一瞬のことで、思考が置いてきぼりをくらっている。


「とてもシンプルな現象じゃよ。王女が身体魔法で身体を強化して、とてつもない速度でフィロス君の後ろに回りこみ、赤、青、黄色の順番で尻尾を抜き去っただけじゃよ」


 目にもとまらぬ速さとはよく言ったものだ。なるほど、動きを止める精神魔法は、対象を視認しなければならないからな、これとは別の方法を考えねばならない。


 


「勝てない……」


 その後、負けること数十回、僕の手が王女の縄に触れることすらなかった。


「フィロス君はまじめじゃのう」

 

 バールさんが楽しそうに呟いた。


 まじめ? どういうことだ? 正攻法以外に何か手段があるのだろうか……。搦め手や嘘の類か?


 あぁ、そうか、なるほど。


「フィロス、まだ続けるの? 今日はここらで終わりにしない?」


「あと、一戦だけお願いします」


「いいわよ、今日はこれで最後よ?」


 余裕の表情でアンス王女が言った。


「はい、ありがとうございます。それと質問を一つよろしいでしょうか?」


「えぇ、いいわよ」


「真っ青な林檎と、真っ赤なバナナだとどちらが食べたくないですか?」


「うーん、どちらも嫌ね、でも青色の林檎の方が不気味かしらね?」


 青色の林檎を思い浮かべ、嫌そうな表情を見せるアンス王女。


「そうですね、食事の際に、感覚で一番働いているのは、味覚でも嗅覚でもなく視覚なのですよ、そして青には食欲減退効果がありますからね」


「話自体は面白いけれど、今必要かしら?」


 不思議そうに首を捻る王女。


「では、そろそろ行きますぞ、はじめ!」

 

 バールさんの合図と共に瞬く間に僕の尻尾が奪われていく。そして三本ともあっさり、アンス王女の手に収まってしまった……。



「勝者は、フィロス君じゃ」


 バールさんの勝敗判定がついに僕に傾いた。


「え? なんでよ?」

 

 不思議そうに抗議をする王女。


「アンス王女がルールを破ったからじゃよ」


「私は何も破っていないわ!」


「いいえ、縄を引き抜く順番が青、黄色、赤の順で引いておりました」


「そんな、私は……」


 握りしめている三本の縄を不思議そうに見つめるアンス王女。


「すみません、アンス王女。先ほどの青い林檎の話の際に、色を誤認するような精神魔法を使わせていただきました」


「なっ! むぅ」


 謎の言葉を呟きながら悔しそうな表情を浮かべるアンス王女。


「なるほど、上手い手を使ったわね、じゃあ、あともう一回勝負して終わりね」


 さり気なく、もう一戦しようと企むアンス王女。根っからの負けず嫌いなのだろう。負けたままでは終われないらしい。王女としてのプライドがそうさせるのか。


「先ほど、最後の一回とご自身で言っとったではないですか」


 バールさんがそう言うと、悔しそうに顔を紅潮させるアンス王女。一つ確かに言えることは、この林檎だけは誤認の使用が無いほどに強い赤色であるということであった。

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