第7話『文化の街カルバン』

 現在、王の宮殿から離れ、隣街の『カルバン』にアンス王女と買い物にきている。

 カルバンという街は、文化の街とも呼ばれており、流行りの服飾店や老舗の飲食店などが立ち並ぶ、活気あふれる賑やかな街だ。もう昼下がりだと言うのに、どのお店も繁盛しているようだ。



「ねぇ、フィロス、どちらが似合うかしら?」


 赤のドレスを試着したアンス王女が、僕に意見を求めてきた。


「先ほどの青のドレスは、アンス王女の理知的なイメージを引き立てており、今着ていらっしゃる赤のドレスは、アンス王女の凛々しくもお強い姿を象徴していますね」


「何よ! 結局どっちがいいの?」


「どちらも、大変お似合いですよ」


「そ、そう、じゃあどちらも貰おうかしら」


 顔を赤らめながら、女性店員にドレスを渡し、宮殿まで送るよう指示を出す王女。


「パーティー用のドレスも買ったことだし、私の買い物はこれで終わりよ、次はフィロスの番ね、魔法学に関する本が欲しいのよね?」


 アンス王女は、いつになく上機嫌な様子で言った。

久しぶりの買い物が楽しくて仕方がないのだろう。


「はい、基礎的な物は宮殿の書庫にありますので、応用的な本を購入したいですね」


「なら、いい本屋があるわ、行きましょう」


 腕を引かれて歩くこと数分、目的の店へとたどり着いた。


「道が人であふれかえっていましたが、ちゃんと護衛の方は付いてこられているのでしょうか?」


「大丈夫よ、ちゃんといるわ、そんな近くに護衛を引き連れていたら、逆に目立つじゃない、それに折角二人で買い物に来ているわけだし、その……」


 そういって、上着のフードを目深に被る王女。


「こんな人混みの中でも、護衛さんの位置がわかるのですか?」


「えぇ、身体魔法の応用よ」


 フードで顔は隠れているが、得意そうにしている顔が目に浮かぶ声音だった。


「人の位置がわかるのは便利ですよね」


「精神魔法でも似たようなことが出来るわよ、工程はかなり複雑になるけれどね」


「それは興味深いですね」


「扉の前で話しているのもなんだし、入るわよ」


 扉を開くと、薄暗い店内が見え、壁一面には様々な本達がびっしりと並べられている。

 

 王女曰くここは、国の方針で絶版になった魔法学の古書なども取り扱っており、お金さえあれば、たいていの本は揃うのだという。

 国の方針で絶版にした本を王女の連れが買うというのは果たして、どうなのだろうか?


「あら、アンスちゃん、久しぶりねぇ」


 薄暗い店内に、店員であろう老婆の声が響き渡る。


「久しぶり、エルヴィラ」


 親しげに挨拶を交わすアンス王女。どうやらお客は僕達だけのようだ。


「そちらの小さなボーイフレンドはどうしたんだい?」


「ち、ちがうわよ、彼はフィロス、宮殿で私に哲学という学問を教えている哲学者よ」

 

 噴火前の活火山のような顔をして、必死に弁明する、アンス王女。


「聞いたことのない学問だね? それに歳も相当に若い、不思議な子だね……」


「えぇ、こうみえてもフィロスはとても頭がまわるのよ」


 自信満々に僕の説明をしてくれている。


「私はエルヴィラ、この古びた本屋で店主をやっている婆さんだ、よろしくお願いするよ」


「僕はフィロスといいます。ノイラート王の宮殿でアンス王女に哲学を教えているものです」


「さっきもアンスちゃんが言っていたが、哲学ってのはなんなんだい?」


「その質問がすでに哲学的過ぎて、お答えするのが難しいですね」


 哲学がなんなのかという質問は、それ自体がすでに哲学的な問題だと思う。


「どういうことだい?」


「エルヴィラさんにとって、人生とはなんですか?」


「難しい質問だね……」


「それと同じことです。そして、そのような答えが出ない問いを繰り返し考え続けることが哲学ともいえます」


「なるほどね、哲学って学問をよく知るには、もうちっと時間がかかるってことはわかったよ」


 そういって、目を細めながら笑うエルヴィラさん。


「今日はフィロスに必要な魔法学の本を探しにきたのだけれど」


 アンス王女がそう言うやいなや、エルヴィラさんが返事をした。


「精神魔法についての応用的な本は、右の棚の上にあるよ、見たところ、フィロス君には上から二番目の左から三冊目の本がいいだろう」


「なんで僕が精神魔法を使うと?」


「そりゃあね。魔法学の本を何年も扱ってりゃ、すぐにわかることさ」


 エルヴィラさんが楽しげに言った。


「エルヴィラは精神魔法師でもあり、昔は、バールと一緒に魔法学を学んでいたそうよ」


「昔にちょっとだけだがね、それにあのジジィとは一緒にしないでおくれ」


(バールとエルヴィラは仲が悪いのよ……)とアンス王女が耳打ちで教えてくれた。


「では、少し失礼します」


 そういって、先ほどエルヴィラさんにいわれた本を取ろうとしたのだが、この身体では届かないことに気づいた。


「仕方がないわね、私が取ってあげるわ」


 そう言って、身体魔法で強化された跳躍力を使い、上の棚の本を引き抜いた王女。


「ありがとうございます、アンス王女」


「これぐらい、何てことはないわ」


 そう言いつつも、しっかりと得意げな表情が張り付いている所がポイントだろう。


 表紙には『精神魔法による、意識の同調と誘導について』と書かれている。


「似たような本ならいくらでもあるんだがね、この分野について本当のことを正確に記してあるのは、この一冊だけだと、私は思っているよ?」


「そんな貴重な本をいいのですか?」


「本は読むためにあるし、魔法は使うためにある。そして、その本を正確に読み解き、実践にうつせる人間は珍しい、だからフィロス君に売るとするよ」


 本に対しての愛情や造詣の深さを感じさせる一言だった。


「ありがとうございます、大切に読ませていただきます。では、おいくらで売っていただけますか?」


「アンスちゃんの先生でもあり、フィロス君も中々見込みのある男の子だからね、サービスで500万Gで売ろう」


「よかったわね、フィロス! 普通この手の古書は安くても1000万Gはするわよ」

 

 アンス王女は純粋に喜んでいるようだが、僕の月の給金が40万Gほどであることを考えると、僕に500万Gを払う経済的余裕はなかった。これは決して、僕の貰っている額が低いわけではない、おそるべし魔法学……。


「あ、あの、えーとですね……」


「確かにこの本は内容が内容だけに、絶版になってしまった貴重な本だが、気にするな、今回はこの額でよいよい!」


「あの、すみません、僕、そんなにお金を持っていません……」


 こんなに情けないセリフは中々ないだろう……。


「フィロス、月の給金はどうしたのよ?」


 不思議そうに首をかしげるアンス王女。おそらく宮殿内で暮らしていた王女にはこの世界における金銭感覚が、他の世界からきた、僕以上に欠けているのだろう。


「出来るだけ浪費は控えているのですが……」


「そう、なら私が買ってあげる!」


「いえいえ、流石にそれはいけませんよ」


「じゃあ、貸してあげる! そうすればフィロスは少なくとも返すまでの間はずっと私の先生だものね」


 そう言って王女は、頬を染めつつも恥ずかしそうに笑った。


「本当によろしいのですか?」


「えぇ、もちろんよ、エルヴィラ、代金は使いの者が持ってくるから、その時でもいい?」

 

「アンスちゃんが言うなら間違いはないからね」

 

 そう言って、エルヴィラさんは王女に本を渡す。


「今日はありがとう。じゃあ、またくるわね」

 

 アンス王女の一言を最後に店を出た。



「はい、フィロス」


 そう言って、先ほど購入した本を僕に手渡すアンス王女。


「ありがとうございます。このお金は必ず返しますので」


「本当はプレゼントでもいいのだけれど、フィロスがそう言うのなら」


「アンス王女、あの」


「なに?」


「これはほんの気持ちなのですが」


 そう言って僕は、懐から小さな紙袋を取り出す。


「あけてもいいの?」


 おそるおそる、僕に確認をとるアンス王女。


「えぇ、もちろん」


 僕がそう言うと、ピンクの包装を優しくあけるアンス王女。


「髪留め? これを私に?」


「はい、最初のお店で見つけたのです。アンス王女の瞳と同じ、翡翠色の綺麗な髪留めがありましたので」


「……」


 アンス王女が黙ってしまった。


「すみません、お気に召さなかったでしょうか?」


「いや、違うのよ、嬉しさと驚きがごちゃまぜになったの、それで自分でもよくわからなくて」


「アンス王女がつけるほど高価なものではないのですが、よく似合うと思ったもので……」


「ありがとう…… 本当に嬉しい」


 翡翠色の目から涙がこぼれていた。


「え、あの、その、すみません」


「なんで、フィロスが謝るのよ、私は嬉しくて泣いているのよ? お母様がよく言っているのだけれど、涙は悲しい時には堪えて、本当に嬉しい時にまでとっておきなさいってね。そうすれば、涙は悲しいものじゃなくなるから。私はいつもその話を疑っていたのよ。涙はいつも、悲しみや辛さの側にあったから。でも本当だったのね、嬉しい時にも涙は出るみたい」


 そういって涙する王女の髪に、そっと髪留めをとめる。

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