第6話『幸福、自由、美徳』

 地球における様々な国の法は、その成り立ちから哲学とは密接な関係にある。一方、イデアにおける法の成り立ちは魔法学と共に進化してきた。


 イデアという世界には哲学という学問が体系化されていない。しかし、哲学的な発想をまったくしないわけではなく、哲学と呼ばれるような考え方に名前が与えられなかったのだ。その結果、人々の間では、哲学のような考え方に共通認識が持たれず、人間の存在意義や使命のような、ある種、日常生活を営む上で必要のない考えは深く追求されずにきた。だがそれも仕方がないことだ。哲学は生きるための指標を与えてくれるが、魔法学はすぐ目の前の日常生活を劇的に変化させる学問だ。


 地球とイデアというニつの世界はそれぞれ異なる進化を遂げてきたのだ。法の特質が違うのも、当たり前のことであった。



「フィロスよ! フィロスはいるか!」


 国王が切羽詰まった声で僕を探していた。

 現在僕は宮殿内の書物庫で、魔法学に関する入門書を読み漁っていたところだ。


「はい、フィロスはここにおります」


 僕は手にとっていた本を一旦本棚に戻し、それから返事をした。


「やはり、ここにおったか、探したぞフィロス。バールのやつにお前の居場所を聞いたら、最近は書物庫にいることが多いと言ってな」


 急いでここまで来たのだろう、王の額には汗がびっしりとにじんでいた。


「そんなに急がれてどうしたのですか?」


「どうしてもお前の意見が聞きたくてな」


 眉間にしわを寄せ、深刻な表情を見せる国王。


「一体どのような?」


「先日、我がノイラート王国、西の都市『ロスメルタ』にて地震があったのは知っているか?」


「はい、話だけは、バールさんからお聞きしました」


「地震そのものによる被害は大きくなかったのだが、海に面している町に津波が押し寄せてな、周囲一帯が水没してしまったのだ。幸いにも身体魔法師の活躍により死者は出なかったのだが、少し問題がおきてな」


 そう語る、王の声は暗い。


「問題とは?」


「ロスメルタは、作物がよくとれる場所で、食料の生産が盛んな都市なのだ。だから、水没した町の住人達にも十分な食料が与えられるはずだったのだが……」


 国王の声が尻すぼみになっていく。


「どうしたのですか?」


「ロスメルタの商人達がここぞとばかりにあらゆる食料を買い占め、難民達に、相場の倍以上の値段で売りつけているのだよ」


 こめかみに手をやり、頭を悩ませる国王。


「なるほど、津波に乗じて商人達が値段のつり上げを行なっていると」


「そうなのだ。それにより、難民達が苦しんでいるのはわかっているのだが、商人達にとってみれば、仕事のチャンスを作っているだけとも言える……」


 国王は、難民達の辛さと商人達の生活に関して真剣に考えているのだろう。その表情は苦悩に満ちていた。


「ノイラートの法ではどうなっているのですか?」


 僕はまだ、こちら側の法については明るくない。


「原則としては、商品の価格に関しては商人に決める権限がある……」


「例外はあるのですか?」


 原則という前置きから察するに、特別処置はあるのだろう。


「非常事態については、国王の権限で決めることも可能だ」


 それゆえに悩んでいるのか……。


「なるほど、では国王様の意思次第では?」


 決定権はまさに、国王にあるのだから。


「そうなのだが、難民を助ける為に今すぐ値下げを行えば、今度は難民達が我先にと商品を求め、争いが生まれかねんし、さらに商人達からの不満が積もれば、商品そのものの流通も滞るかも知れない。そうなれば、ロスメルタだけではなく、周辺の都市全てにも影響が出る」


 目をつむり、あれこれと逡巡する国王。


「国王様はこの国をどのようにしていきたいのですか?」


「いきなりなんだ?」


 急な問いかけに、不思議そうに首を傾げる国王。


「この問題について考える際に、重要な点が三つあります」


「ほぅ、三つとな?」


 興味深気に、国王が問い返した。


「幸福、自由、美徳についてです」


「つまり、どういうことだ?」


 あまりピンときていない様子の国王。


「より多くの『幸福』をもたらすことを考えれば、難民を切り捨てるべきでしょう。商人達の機嫌を損ねるのは危険です。ロスメルタの市場は大きく、商品の流通に乱れが生じれば、大きな損失になり、それに関わる多くの民が不幸になります」


「だが、しかし、それでは難民が……」


 国王が深い溜め息をつく。


「『自由』に関してもまた、商人を擁護する立場になるのですが、市場は個人の自由を尊重する形で成り立っており、この国の法に照らし合わせるなら、価格は個人に自由につけさせるべきでしょう」


「……」


 国王は沈黙しながら、最後の選択肢を待っているようだ。


「最後は『美徳』についてです。例え高い価格により、商品が売れ、都市や国全体の利益が増すのだとしても、全体の幸福を考える際に、つましい暮らしを強いられている民を見過ごすことは、全体の幸せを考えているといえるのかどうかですね」


「なるほどな……」


「僕から言えるのは、この三点のどれかに正解があるわけではないということです。この三点を並べた際に民の意見は割れるでしょう。だからこそ、国王様が自分の意思で、選び抜くべきなのです」


「フィロスよ」


 何かを決意したように、居住まいを正す国王。


「はい、なんでしょう?」


「先代のノイラート国王である我が父は、結果を重んじる人でな、国を大きくする為には何でもやった。懇意にしていた隣国が他国に攻められれば、その隙をついて戦争を仕掛けるような人だった。だが、そんな国王だったからこそ、ノイラート王国は父の代で栄華を極めたと言っていい。人としては賛否両論あるだろうが、私はそんな父を尊敬していた。国王の責務とは、国の繁栄に尽くすことだと思うからだ」

 

 神妙な面持ちでゆっくりと頷く国王。


「では、結論が出たということですね」


 一瞬の間が空き、書物庫の中に、沈黙が訪れる。

 静まりかえった空間に、再び、国王の声が。


「あぁ、私は美徳を重んじることにするよ、私が思う国王の理想とは、離れてしまうがね」


 国王の表情には、先ほどまでとは違う覚悟のようなものが伺える。


「なぜ、先代とは違う道を?」


「私には父のような優れた資質はないからな。私が力を入れたところで、父が築き上げたこの国を超えるような国には出来ないだろう。ならば、せめて、貧困の民にも目を向ける、美徳ある国にしたいと思ってな」


 そう言って、現ノイラート国王は、力強く笑った。


「なるほど、わかりました」


 僕は背筋を伸ばし、国王の決断を聞いた。


「あとは、商人達の不満をどうにかすることだが、まぁ、国王は頼りなくとも、我が国の家臣達は優秀だからな、なんとかなるか?」


 自身の限界を自覚し、わからない時には人に頼る。この考え方は案外難しい。国王ともなれば、立場があり、見栄やプライドも高くなるはずだ。少なくとも僕には、見栄やプライドにこだわらない現国王は立派な国王にみえた。



 後日、バールさんの案で、商品の値段を普段の値段まで下げ、値下げした分の代金を国の財源で補填し商人達に還元するという措置をとり、なんとか事態は収拾した。


 国から給与を貰っている僕の給料には影響が出なかったが、王の出っ張ったお腹がへこんだことから、財源の出どころがはっきりとした。やっぱり、この国の王は、美徳を重んじる、良き国王のようだ。

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