第5話『実体二元論』
人は眠りについている間に、その日の記憶を整理している。では、眠ることの出来ない僕は、自身の記憶をいつ整理しているのだろう。
「ねぇ、哲也」
「……」
「ねぇったら!」
力強くも綺麗な声で、僕の思考は引き戻された。
「ん、あぁ、ごめん、どうしたの?」
眠気まなこをこすりながら、隣りの少女に声をかけた。
「また考え事?」
心配してくれているのだろう、彼女の瞳には不安の色が残っていた。
「いや、まぁ、ね?」
意識が覚醒していないのか、ずいぶんと曖昧な返事をしてしまった。
「ずいぶんと余裕があるのね、ゼミの課題は終わったのかしら?」
現在僕は大学内の図書館にきており、同じゼミに所属する、倉橋 理沙とゼミで出された課題を消化しに来ていた。
「デカルトが提示した、実体二元論についてのレポートだよね?」
課題の内容を確認する僕。
「そうよ、現代の専門家達でこの考え方を支持している人はほとんどいないわよね」
「そうだね、実体二元論では何せ、肉体や物体の他にも、魂や霊魂と呼ばれる、心的実体が存在するのだと、明確に言っているからね」
現代を生きる僕達からすると、少しばかり非現実的だが、ロマンのある考え方でもある。
「現代の科学では、物質は物理法則のみに従って運動するって考えが常識だものね。それに、実体二元論を支持するとすれば、脳が活動を停止しても、魂は残り続けることになるわ。その事実はあまりにもオカルトチックじゃない?」
そう言って彼女はゆっくりと首を傾げた。真っ直ぐに伸びた綺麗な黒髪が揺れる。
「現代科学は、魂やら霊魂なんて得体の知れないものは排除したがるからね」
僕がそう言うと、すぐさま理沙からの問いがきた。
「あら、哲也は違うわけ?」
「いや、もちろん、僕も現代科学的な立ち場に立って、実体二元論については否定的なレポートを書き上げたさ。ただ最近、どうしても気になることがあってね」
「何かしら?」
興味深そうにこちらを見つめる理沙。
「脳科学の分野にも造詣が深い理沙に、こんなことを言うのもあれなんだけど……」
「なによ?」
「今から話すことはとても胡散臭いし、現代科学の視点から見れば、とても馬鹿馬鹿しいことを言うから、聞き流してくれて構わない」
「う、うん」
動揺しながらも返事をくれる理沙。
「理沙はシャーマンやイタコの存在は知っているかな?」
「知っているわよ、霊を自分に憑依させたり、死者の魂と会話したり出来ると言い張っている人たちよね?」
現実主義者の、あまりにも理沙らしい表現に、引き返そうか悩む僕……。漫画の影響でシャーマンを目指していた幼い頃の僕が聞いたら、涙するような辛口コメントだった。
「まぁ、今はシャーマンやイタコがどうのって話ではなく、もし仮に、自分の意識が自分とは違う他の身体に入ってしまう、なんて現象がおきた場合には、肉体とは別に魂という存在がなければ、成り立たないように思えない?」
突拍子もないことを言っている自覚はある。そんな気持ちの中、恐る恐る、理沙へと問いかけた僕。
「そんな仮定に意味があるかはさておき、確かにそんな非現実的な現象が現実におきたとすれば、魂みたいなものの存在が、ひょっとすると、あるかも知れない位のことは言えるのかもね」
もの凄く胡乱な目つきで僕を見つめる理沙。理沙は非現実的なオカルト話の類がもの凄く嫌いなのである。デカルトとは仲良くなれないタイプだ。
「だよね……」
現在の僕はまさに、自身の意識がこの身体とは別の身体に入ることもあり、いわゆる魂というようなあやふやなものを信じざるを得ない状況だ。
「というか、しれっと言ったから気がつかなかったけれど、哲也はもうレポートを書き上げたの?」
「あぁ、当たり障りのない内容で書き上げたよ」
「ちょっとみせてよ」
そう言って、僕の右手からレポート用紙を奪い去る理沙。
「さっきまで、シャーマンがどうのこうのと言っていた人間が書いたとは思えない完成度ね。これなら最高評価は間違いないわね。安心したわ、急に非現実的なことを言いはじめたから」
「教授の好きそうな内容にしただけさ」
評価が得やすい文字列を並べたに過ぎない。
「哲也って、自分が思っていないことでも、自分の意見かのように扱えるわよね、尊敬するわ」
「嫌味かい?」
「いや、違うのよ、自分の考えとは別の思考すら許容出来るっていうのは、人と関わる上での、究極の歩み寄りだと思うの」
独特な表現で意思表示をする理沙。彼女のこう言う言い回しが、僕は嫌いじゃない。
「それは褒め過ぎだね、僕は単に自分の考えとは別の考えで成り立つものでも、一定の根拠を持っていたら、その考え方の肝だけをくりぬいて食べるような人間だよ」
「美味しいとこどりね」
理沙の琴線に触れたのだろうか? くすりと控えめな笑顔を見せている。
「不味いのは誰だって嫌だろ?」
軽い調子で僕は理沙に問いかける。
「確かに、それはそうね」
「それに、好き嫌いでいえば、間違いなく理沙の方が多いだろ? 理沙はグルメだから、少しでも不味い考え方をする人を許容しないじゃないか」
「不味いものは不味いという、これこそが真の優しさよ」
理沙がとてもいい顔で言い切っている……。
「哲学っぽく言っても駄目だから」
そう言って指摘すると、理沙は微笑を浮かべながらこう答えた。
「今のは安易で不味かったわね」
「不味いことよりも上手いことを言っていたいものだね」
「上手いこと言った感が顔からにじみ出ているわよ?」
「それは、不味いね」
自分ではポーカーフェイスのつもりだったが、彼女は僕の表情筋に詳しいようだ。僕の得意げな顔を一発で見抜いた。
「そんなことよりも、一番不味いのは私のレポートがまだ未完成なことよ」
手元のノートパソコンを睨みつけながら、理沙が言った。
「話ばかりしているからさ」
「仕方がないじゃない、私には大学内での友人が哲也しかいないのだから。つまり必然的に、他の場所で他人に意見を吐露しない分、ここで消費するしかないの」
少しばかり、いじけた様子で語る理沙。
「何が仕方ないのかはわからないけれど、理沙はなんで友達を作らないの?」
聞く人が聞けばとんでもない質問にも聞こえるが、それは、信頼関係が前提にある質問だった。
「なぜ他人も自身と同じように友達が作れる人間性を持ち合わせていると思っているの? それは完全に思い込みよ。私はあなたのように、人の意見に同調するのも、人の思考を読み取る力にも欠けているのよ。ただ、私は私が協調性のないことを知っている」
それが自分の生き様なのだと、真っ直ぐな瞳で、歪曲した意見を述べる理沙。
「そんな、無知の知みたいに言われても……」
「別に、哲也に協調性があるのだから、私にそれがなくとも、二人で話しているこの空間には何一つ支障は無いわね」
曲がりくねった言い分を貫き通す彼女。
「もの凄く暴力的な言い分だね、僕は嫌いじゃないけど」
こう言う、極論を言っているのを自覚しながらも、そこに、信念みたいな物を持っているのが、倉橋理沙の魅力なのかも知れない。
「私にとっての友人は哲也だけなのだから、私はあなたに嫌われない私であればそれでいいの、だから、やっぱり、問題は無いのよ」
まとめてみると、とんでもない言い分を全力でぶつけられているだけなのだが、なぜかそれが心地よくも感じる。おそらくそれは、協調性のある僕が、協調性がないことを持っている理沙の考え方に、ある種のあこがれを持っているからなのだと思う。
そういう事にしておこう。
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