第3話『魔法学という名の学問』

 イデアという世界に哲学がない大きな理由の一つが魔法学の存在だろう。魔法の利便性は高く、実用性を考えるならば、魔法学を学ぶことはとても自然な行いだといえる。その利便性の高さゆえに、人々から哲学のような物に時間を割くという発想すら生まれなかったのかも知れない。



  今日はアンス王女と共に、国王の側近である魔法師から魔法学を学ぶことになっている。


 場所は宮殿の敷地内にある、魔法訓練場で行なわれる。施設内はドーム状の作りで、天井がとても高く、かなり広い作りになっていた。


「やぁ、君が噂のフィロス君だね?」


  訓練場に足を踏み入れたとたん、とんがり帽子を被った、いかにも魔法使いといった風貌の老人が話しかけてきた。


「はい、僕がフィロスです」


「ほぉ、これまた複雑な状態にあるのう」

 

「え? 何がです?」


「いやいや、老いぼれのたわごとよ」

 

 そういって老人は愉快そうに笑った。


「自己紹介が遅れてしまったね、私はノイラート王国で国家魔法師をさせて貰っている、バール・シェム。気軽にバールと呼んで欲しいのぅ」


 人好きのする優しい笑顔が印象的だ。


「では、バールさんと呼ばせていただきます。私はノイラート王の宮殿に使える、哲学者のフィロスです。よろしくお願いします」


 僕は手短かに自己紹介を済ませた。


「王から話は聞いておりましたが、哲学という新しい学問を王女に教えているのだとか、大変興味深い」


 そう言って、こちらを覗き込むように見るバールさん。


「哲学はとても味わい深い学問ですよ」


「ぜひともお相伴に預かりたいものじゃ」

 

 ゆったりとした口調で、楽しそうに話すバールさん。

 

「今度また、別の時間に楽しみましょう」


 僕がそう言うと、バールさんがこう答えた。


「今日はあくまで王女の授業がメインディッシュ、これは、ワシの数少ない仕事であり趣味じゃからな」

 

 そういって、彼は蓄えられた髭を触りながら、朗らかに笑っていた。


「僕は魔法学に大変興味があるのですが、あいにくと、あまり魔法学には縁のない所で育ったもので……」


 縁がないどころの話ではない。魔法のない世界で育ってきたのだから。


「なるほど、では、アンス王女が来る前に、基本の知識についてだけでも説明するかの」


 バールさんが優しく言う。


「ぜひ、ご教授下さい!」


 前のめりに返事をする僕。


「まず最初に言っておかねばならぬ事がある。魔法学という学問は、あくまでも学問で、知識がなければ使うことは出来ないものじゃ。そして便利な力ではあるものの、万能とは程遠い力であることも理解してほしい」


「というと?」


「現代の魔法師は、おとぎ話に出てくる魔女のように、何もない空間から炎を生み出したり、巨大なドラゴンを呼び出したりすることは出来ぬ。無から有を生み出すことが出来ないというのが、魔法学の絶対のルールじゃ。魔法学とはあくまで、人間が本来持つ能力を引き出す力と思ってくれ」


「なるほど、因果関係をねじ曲げる力はないということですね」


 ある一定の法則があるのだろう。


「その通り、魔法一つを行うにも、それに適した環境や精神状態を整える必要があり、魔法が及ぼす影響を正確に思い浮かべる必要があるのじゃ」

 

 バールさんの丁寧な説明のおかげで少しずつイメージが出来てきた。


「おこしたい現象を理解した上で必要な条件を揃え、そこに働きかけるイメージが必要ですね」


「素晴らしい、魔法学の素養があるかも知れん」

 

 そう言いながら、大きくウィンクを決めるバールさん。余裕のある茶目っ気さを感じる。


「実際に魔法にはどのようなものがあるのですか?」


 魔法によって何が出来るのかは一番気になる点であった。


「現在の魔法学は大きくわけると二つの現象だけを扱っている」


「二つだけですか?」


 魔法の種類が二つだけとは、何となく少ないように感じる。


「身体魔法と精神魔法。この二つの魔法について、研究を深め、その思想を実践にうつすのが魔法学じゃ」

 

 なるほど、思想を実践にうつすというプロセスに関しては、哲学も魔法学も同じというわけか。


「その、身体魔法と精神魔法というのは、具体的にはどのような現象をおこせるのですか?」

 

 何もかもが未知の領域で、知識欲が新たな知識を求めて僕を急かしたてる。


「身体魔法も精神魔法も、人の神経に干渉する魔法なのじゃが、その為には神経の話をすべきかの」


「お願いします」


「神経というのは、電気的信号を媒介として情報を処理しているのじゃが、そこから説明をしようかの?」


 僕の様子を見つつ慎重に説明を進めるバールさん。


「いえ、神経が電気的信号を媒介にしていることは理解しています」


「なんと! 魔法学を学んだことがないのに、神経についての知識はあるというのか、何とも不思議じゃのう」


 バールさんは、驚きと好奇心を混ぜ合わせたような、不思議な表情で声をあげた。


 この国では、神経科学の分野も魔法学の知識として学ぶようだ。その可能性については考えていなかった……。


「少々特殊な環境で育ったもので……」


 流石に、この言い訳ももう苦しい。


「大変興味深い生い立ちではあるが、ここは一旦、話を進めるとしよう」


 僕の気まずい表情を見て、気を使ってくれたのだろう。バールさんからは大人の余裕を感じる。


「えぇ、助かります」


「身体魔法では、神経の媒介である電気的信号に魔法の力で干渉し、情報を処理する速度を上げるのじゃ。つまり、身体への命令がより速い速度で行われるようになり、身体能力を一時的に向上させることが出来るのじゃ」


「なるほど、使い勝手が良さそうですね」


 汎用性が高そうに感じる。


「確かに、精神魔法と比べても、身体魔法の方が使い勝手は良いな」


「では、精神魔法とは?」


「精神魔法もまた、神経の媒介である電気的信号に干渉する力なのじゃが、身体魔法とは違い、自分の神経ではなく、相手の神経に干渉するのじゃ、そして、電気的信号の流れを誘導することが出来る」


「それはつまり、他人を意のままに操れるということですか?」


 だとすれば、とても恐ろしい力だが……。


「繰り返すようじゃが、魔法とは万能ではない。条件を整える必要があるのじゃ。精神魔法で代表的なのは、相手の動揺を誘い、言葉や特定の音で行動の制限をするなどじゃが、何せ自分の神経ではなく、相手の神経に干渉するわけじゃから、単純に言えば、身体魔法よりも扱いが困難な上に、使ってよい範囲が国の法で定められておる」


 なるほど、この世界に精神魔法がある限り、デカルトの言う、神や悪魔的な存在を用意せずとも、皆が皆、誰かに操られている可能性が考えられるわけだ……。懐疑論者なら、泣いて喜ぶ状況だ。


「つまり、その二つの魔法を深く理解し、その成果全てを実践に移し、魔法という現象を成立させることが、魔法師の仕事なわけですね?」


 聞いた話をまとめ、僕なりの考えを述べた。


「その通りではあるのじゃが、そこに一つ問題がある。二つの魔法を学び、知識として蓄えることは可能ではあるが、その両方を一人で実践に移すことは不可能なんじゃ」

 

 バールさんが残念そうに言った。


「それは、なぜですか?」


「魔法は一人に一つしか使えないのじゃよ。身体魔法が使える者は精神魔法が使えない。逆に、精神魔法が使える者は身体魔法が使えないのじゃ」


「なるほど、魔法学という学問はその性質上、一人きりでは真理に辿り着くことが不可能なのですね」

 

 対話という、他者との関わりによって哲学的思考を深めたソクラテスからすれば、どの学問も一人きりでは完結しないといっただろうか。


「まさにその通り、魔法学とは一人では成り立たない学問なわけじゃ。人生と同じじゃよ」


 魔法学も哲学同様に、果てしない広さを感じさせる学問なのだろう。


「バールさんには哲学の素養がありそうです」

 

 ふと感じたことを口にしてみた。


「それは楽しみじゃのう、この歳になっても伸び代のある分野が残っていたとは」


 そう言ってバールさんは茶目っ気あふれる表情でウィンクした。


「それにしても、アンス王女がきませんね?」


 僕がそう言うやいなや、不機嫌そうに入り口から入ってくるアンス王女の姿が見えた。


「あんた達があまりにも楽しそうに話しあっていて、入るに入れなかっただけよ!」


 顔を真っ赤にして抗議するアンス王女。


「それは失礼致しました、何せ年寄りな者で、目も耳も不自由でしてね」


「嘘ね、バールともあろう精神魔法師が、私が近づく気配に気づかないはずがないもの!」


 アンス王女が語気を強めて抗議する。


「すみません、アンス王女のいつ入ろうか、タイミングを計ってはやめて、計ってはやめてを繰り返すお姿があまりにも可愛らしくて」


 笑いをこらえながら、説明をするバールさん。


「これだから、精神魔法師は嫌なのよ! 陰険なやつばっかり!」


  先ほどよりも更に顔を真っ赤に染めながら抗議をするアンス王女。一体どこまで赤くなるのだろうか?


「フィロス君も精神魔法師になる可能性が残っておりますよ?」


「フィ、フィロスのことは関係ないじゃない!」


 精神魔法をかけられているのではないかと疑いたくなるほどに、顔を真っ赤にして怒鳴りだすアンス王女。


「例えワシが精神魔法師じゃなかったとしても、丸わかりですぞ?」


 楽しそうに王女を挑発するバールさん。


「死にたいの?」


 そう言って、拳を握り出すアンス王女。


「おっと、お遊びが過ぎましたな。流石のワシも、身体魔法の権威であられる王女に、真っ向勝負は避けたいのでね」


「えっ、アンス王女ってそんなに凄い魔法師なのですか?」

 

「そうですぞ、最年少で魔法師としての国家資格を獲得した超天才ですぞ」


 バールさんがそう言うと、ムズムズした表情を見せながらも、得意げな顔をしているアンス王女。


「私は王女よ、その位のことは出来て当然だわ」


 そうは言いつつも、その整った横顔からは、喜色があふれ出している。


「魔法学について、ほぼ何も知らない僕が言うのもなんですが、アンス王女が身体魔法師というのは意外ですね。理知的なイメージがあったものですから、精神魔法師の方がイメージには合います」


 僕がそう口にすると、バールさんがすぐさま答えた。


「それは、アンス王女がフィロス君の前でいいカッコをしているだけじゃよ……」


 一瞬何が起きたのか理解出来なかった。気づいた時にはバールさんの眼前にアンス王女が現れ、その拳を顔面すれすれの位置で止めていた。


「それ以上言ったら、わかるわよね?」


「……」


 そこには、無言で頷くバールさんの姿があった。



 つまり、今日の一連の流れで僕が学ぶべき教訓は、アンス王女を何があっても怒らせてはならないというただ一点に他ならなかった。


「先ほどの会話でさらっとでてきましたけど、僕に、精神魔法師の可能性があるって、本当ですか? そもそも、僕でも魔法を使うことは出来るのですか?」


「あぁ、もちろん出来るよ」


 バールさんがあまりにも当たり前のように返事をしたためか、実感がまったくといっていい程にわいてこない……。


 どうやら僕は魔法が使えるみたいだ。

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